この作品は2007年に執筆した作品です。
しぐれごこちの第5話でお祭りに出てくる小学生を彼らのつもりで書いていたので、加筆修正して掲載しました。
真夏の真下で。
夏の夜は明るい。粒子だか原子だかが、これでもかっというほど太陽光をぐんぐんすいとって、たらふく膨れ上がっては、消化できずにいるに違いない。おどろくほどに明るいのだ。暑いのは得意じゃないけど、このなんともいえないお日様の残り香と、青く広がる夜が始まると、どうしようもなく胸が躍る。夏だ。夏だ夏だ。今年も夏がやってきた。
七月の終わりには地元のお祭りがある。 けして大きくはないけれど、賑わう。僕は待ち焦がれていた。僕だけじゃない。大地もテッペーもしょうちゃんも。
最近物騒だからと夜の外出をなかなか認めてはもらえないけど、この日だけは特別に、拝みに拝みたおして、お手伝いなんかもバンバンやっちゃって、もう六年生だよ! みんな出歩いてるよ! とはやしたてて、夜十時まで許可をもらって出掛けた。
屋台通りが始まる手前の外套の下で、大地とテッペーとしょうちゃんと待ち合わせている。着くと、大地としょうちゃんがすでに来ていた。たいていは大地が一番乗りで、ついで僕としょうちゃんのどちらかが来て、最後にテッペーがやって来る。この日もいつも通りだった。
テッペーが来るのを焦りながら待つ。
「お・ま・た・せ」
のんきにやってきたテッペーに大地の鉄拳が降り注ぐ。
「おせーよ。時間守れっていったじゃん」
祭りの雰囲気に浮き足立っているのか、大地の気性はいつもよりも荒々しい。テッペーは殴られた頭を大袈裟になでながら「ひっでー」とわめきちらした。
「もういいよ、早く行こうよ」
「あー京、てめぇー俺が殴られたってのにもういいってなんだよ。薄情もーん」
「いいからいいから」
僕だって早くお祭りに行きたい気持ちを抑えきれない。テッペーのことなんて構っていられない。有無をいわさず、文句をいうテッペーの肩をぐいぐいと通り中へ押しやってうながした。テッペーはしばらくしつこくぶつぶつ言っていたが、祭りの太鼓が響き渡り始めると、一気にテンションがあがって、今度は僕の肩に腕を回して今にも踊りだしそうだった。
金魚すくいに、スーパーボールすくいに、くじ。僕はフランクフルトを買って、大地はカキ氷、テッペーはりんご飴とみかん飴で散々悩んだ末に、何故かぶどう飴を買った。テッペーのやることはいつもよくわからない。そして、しょうちゃんは……。
しょうちゃんは元気がなかった。
日頃からそんなに口数が多いほうじゃないけれど、明らかに今日は変だった。それはりんご飴屋に行ったぐらいから酷くなった。まるで心ここにあらずみたいで、お祭りだってちっとも楽しんでないみたいだ。「どうしたの?気分でも悪いの?」と聞いても「そんなことないよ」って言うだけで、大好きな綿菓子だって買わなかった。
そんなしょうちゃんの態度に大地がキレたのは、一通りお祭りを見た後、一息しに、近くの川原に来たときのことだ。
「おい、なんだってんだよ。なんでそんなつまんなそうなんだよ。こういうのはな一人でも暗いやつがいるとつまんなくなるんだよ。なんなんだよ」
大地のいうことはもっともだ。僕もしょうちゃんの態度がおかしくて、ちっとも集中できない。これじゃ、せっかく楽しみにしてきたお祭りが台無しだ。
「なんとか言えよ!」
そういって、大地はしょうちゃんの肩をドンと押した。しょうちゃんは一歩後ずさって、そのまま下を向いて黙り込んだ。重たくて嫌な空気が流れた。たまりかねたのか、テッペーが言う。
「おなかすきすぎて元気でねーんじゃねえの? ほらこれやるよ」
半分かじったぶどう飴を差し出す。テッペーのすることはいつもちょっとズレているが、こういうときとても役に立つ。険悪な雰囲気になると、たいていはテッペーのピントのズレた行動でみんなが笑って、元に戻るのだ。だけれど今回は違った。しょうちゃんは下を向いたまま黙った。何かとてつもなく思いつめたようで、僕らも何も言えなかった。
どれほどそうしていただろう。まるで永遠のように長い時間に感じられたけど、きっと一分も経っていないだろう。しょうちゃんが重たい口を開いた。
「二学期になったら、転校することになった」
息が止まりそうだった。
しょうちゃんの家の両親の仲がうまくいっていないのは知っていた。お父さんが交通事故に遭って以来、働かなくなって、家族にも暴力をふるうようになったらしく、たまに体に痣をつくって登校してきていたし、母さんが言っていたのを聞いた。だからあんまりしょうちゃんと遊んじゃいけないなんて、幻滅するようなことを言って、僕は一週間母さんと口を利かなかった。
両親が離婚したら、自分は母親の実家に行くことになって、そうなったら転校しなくちゃいけない、と、いつだったかしょうちゃんが言っていて、でもそれはサラリとなんでもないことのように言っていたから、本当になるなんて夢にも思わなかった。それが現実になるなんて。しかもこんな日にわかるなんて。僕らが毎年楽しみにしているお祭りの日に。
神様、あんまりだ。
「ぼく、転校なんてしたくないよ」
そういってしょうちゃんはあーあーと声をあげて泣いた。しょうちゃんが泣くところを見たのは、これが初めてで僕らはビックリした。
こんなとき大人ならどうするのだろう?
泣くなって言うだろうか? 泣くな、一生会えなくなるわけじゃないんだから、と言うのだろうか?
けれど僕らは誰一人としてそんなこと言わなかった。一生会えないわけじゃなかったとしても、いつ会えるかわからない現実に変わりはない。夏が終わればもうしょうちゃんとは毎日会うことはなくなるのだ。簡単に会えないことは、別の世界へ異次元ワープするのと同じだ。だから一生会えなくなるわけじゃないなんて、そんな言葉どうしても言えなかった。
子どものぼくらにはどうしようもなかった。
僕らは自分たちが子どもであることを、自分たちが非力であることを、きっと大人たちが思うよりもずっと深いところで理解している。親の勝手に、勝手だよって言えない、言っちゃいけないんだってわかってる。わかっていてでもどうしようもなくて、しょうちゃんはずっとそれを一人で抱えて今日まできたのだろう。
僕はたまらなくなって、涙がにじんできた。いつも泣き虫だとか言われるけど、かまうものか。だってしょうちゃんがいなくなるんだ。夏が終わったらもう一緒に遊べなくなるんだ。切羽詰った思いで、奥歯をかみ締めていたけれど、これ以上はこらえきれない、と思ったとき、ふいにテッペーが言った。
「あ、流れ星」
思わず空を見た。上をむいたせいで、頬を涙がつたった。かすんでいてよくは見えなかったけど、空にはいくつもの星がキラキラしていた。僕らはしばらく無言のままで空を仰いだ。青い夜がどこまでも広がる。この夜をいつまでも忘れたくなかった。きっとみんなそう思っていたに違いない。絶対に。
「今日は、ごめんね」
しょうちゃんが言った。もういつものしょうちゃんの顔をしていた。
「俺たちって子どもだよなー、チキショー!!」
大地がおもむろにそういった。
「当たり前じゃん。けど子ども時代が一番いい時期だっていうし」
テッペーが冷やかすように、だけどどこか寂しげにいった。
僕は何も言えなかった。こんなとき何を言えばいいか言葉をもたない自分がひどく無様だった。きっと僕が誰よりも子どもに違いない。そう思うとやけに切なかった。
ピピピピピピピピッ。
突然のアラーム音が鳴る。テッペーの時計だ。時間にルーズなテッペーにと両親が買い与えた代物だった。
「やべ、早くかえんないと、もうすぐ十時だ」
そう言って一目散にテッペーが走り出す。それを大地が追いかける。僕も慌てて走ろうとした時、ぐっと腕をつかまれた。振り返ると、しょうちゃんの顔が近くにあって、耳元でささやくように「ありがとう」と言った。僕は一瞬何のことだかわからなくて、きょとんとなる。するとしょうちゃんはもう一度まっすぐに僕の目を見ていった。
「泣いてくれてありがとう」
そういってすぐさま二人の後を追いかけるように走り出した。
見ていたの? 僕はビックリしたのと恥ずかしいのと、けれどしょうちゃんの言葉が嬉しかったのと、いろんな気持ちが混ざり合いながらたまらずに叫んだ。叫びながらしょうちゃんを追いかける。
他の三人も共鳴するように叫びだす。
これからきっともっとどうにもならないことが押し寄せてきて、僕らは自分の非力さを思い知らされる。そして少しずつ大人になって、この風景もやがて彩りを変えていくのだろう。けれども今は子どもで、そして僕らは誰よりも夏の真ん中にいた。青い青い夏の夜の真下で、押しつぶされないように叫び続けた。
2007/7/19 執筆
2010/11/7 加筆修正