蜜と蝶

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   月 に 一 度 の 厄 災    

 
 月に一度、嫌な日がある。柊夜様の帰りが午前様になる日。途中退席が許されない会合に出席するためだ。私はこの日がくるのが嫌で嫌でたまらない。だって……。
「彩〜帰ったよ〜」
「おかえりなさい……」
 出迎えるとギュッと抱きしめられた。痛い…。そして、お酒臭い……。
「寂しかったでしょう? 」
「別に寂しくない」
「ご機嫌斜めだねぇ〜そんなに怒らなくてもいいでしょう? 」
「怒ってなんかない」
「そうか〜そんなに寂しかったの〜」
「……」
「彩ちゃん、寂しかったでしょ〜? 私も彩に会えなくて寂しかった」
 ……。酔ってる。完全に酔っぱらっている。ギュウギュウと抱きしめてくる姿にため息がこぼれた。でも嘆いている場合じゃない。とにかく、意識がまだあるうちに寝室まで連れて行く必要があった。一度、居間に通して、そこで寝入ってしまって大変だったから。それ以来、会合から返ってきた日は直接寝室に連れて行くことにしている。
 どうにか抱擁から逃れて手を引いて歩く。
「どこ行くの? 」
「寝室です」
「彩もやっぱり寂しかったんだねぇ」
 何かを勘違いしているが、面倒だからもうそういうことでいい。嬉しそうな顔で大人しく手を引かれてくれるのなら、誤解でもなんでも。まず寝室に連れて行くことが先決だった。
 寝具に座らせると、柊夜様は頭をトントン叩いた。痛いのだろう。お水でも持ってこようと背を向けたけれど。
「彩! どこ行くの? 」
「お水を汲んできます」
「お水? そんなのいいからおいで? 」
 両手を広げて私を見る。
「……」
「ほら、おいで」
 ポンポンと自分の膝を叩く。そこに座れってことなの? 無理。通常ならまだしも、この状態の柊夜様の傍に寄るなんてろくなことにならない。答えるより先に体が反応する。気づけば顔を左右に振っていた。頬が引きつっているのがわかる。でも、
「いやいやじゃないでしょう? お・い・で」
 そういうと強引に抱き寄せられて膝に乗せられた。それからしばらく抱きしめられる。抵抗すればするほど時間が延びるだけなのは経験上わかっていたので、仕方なく抱かれている。気が済んだら、今度はじっと顔を覗き込んできた。そして、
「彩ちゃん。ゲームしようか? 」
「ゲーム? 」
「そう」
「……どんな? 」
「私が彩の可愛いところ言っていくから、一つにつき一回ちゅーして」
 この酔っ払い…。
「そんなのゲームじゃない! しません!! 」
「えーどうして? ゲームでしょ? 始めるよ、じゃあまず…」
「しないって言ってるでしょう! 」
「……じゃあ、ちゅーだけする? 」
 ん〜っといって顔を寄せてくる。懇親の力を込めて抵抗する。両手で下顎をぐいぐい押して遠ざけながら、
「しません。ゲームもちゅーもしないの! 」
 さすがに痛かったのか、柊夜様は私が押したところを撫でていた。ちょっと可哀相なことをしてしまったかなぁと思うけれど、
「照れてるの? 可愛い〜」
 ……。駄目だ。全然、これっぽっちも、めげない。
「酔いすぎです! 」
「そうだねぇ〜私はいつも酔ってるよ。彩に」 
 酔っ払い親父だ……。もう嫌! だから今朝だってあれだけ「あんまり飲まないでね」って言ったのに。そしたら「わかった」って答えてくれたのに。会合に出る度に、いつもいつもいつもいつもいつも酔っ払って絡んでくる。
「離して! 私は自分の部屋に戻ります」
「また〜そんな照れなくてもいいでしょう? 一緒に寝ようね」
「寝ません」
「寝るの」
「寝ない〜酔っ払いは嫌ぁ〜」
 腰に回された手を振りほどこうと叩いたり引っかいたりするけれど全く解けない。耳元ではクスクスと楽しそうな声がする。私の抵抗などちっとも大したことないらしい。むしろそうやって暴れている姿がお気に召したのか、「可愛いね〜」といいながら、首筋に口付けたり耳たぶを甘噛みしたりと余裕を見せている。
「〜〜〜〜〜〜〜っ」
「彩は耳が弱いね」
「離して! は〜な〜し〜てぇ〜!! 」
 だが、愛撫は執拗さを増していくばかりで、
「ん……やぁ……」
 洩れる声は心とは裏腹に甘いものに変っていく。まずい、このままでは
「ね? 彩だってしたいでしょう? 」
「違う。これは柊夜様がするから……」
「私のせい? そうか〜じゃあ最後まで責任もって気持ちよくしてあげるから……」
「そんなこと望んでな」
 い、まで言い切る前に、押し倒され上に覆いかぶさってくる。駄目だ。逃れないと。酔っ払っているときはいつもの三割り増しでしつこいし、わけのわからない甘言を言いまくるのでとてもじゃないけど相手していられない。どうにかして、この状況を打破しなくちゃ……って、ん?
「……」
 規則正しい吐息。寝てる? 私の上に覆いかぶさったまま寝入っている……ありえない。いや、でもよかったのか。これはこれで、難を逃れた。
 深いため息が出た。
 それから、起さないように最新の注意を払って離れる。なんとか成功した……と思ったらグイッと手を引かれて今度は腕の中に抱き寄せられた。
――起きたの?
 焦る。でも、寝ぼけているだけみたいだ。ほっと安堵するが、ガッシリと抱き込まれていてこれを解くのは不可能だった。起す以外に方法はない……。でも、起したらまたややこしいことになるし。
――このまま朝を迎えるか、起すか。
 究極的な択一に、私は前者を選ぶことにした。
 気持ち良さそうに寝息を立てる寝顔を見ながら、来月は出迎えにいかないで寝たふりをしてしまおうか、と真剣に思った。



2010/5/16


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