蜜と蝶

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遅くなりましたが、2010年七夕イベント短編です。
蜜と蝶シリーズ、柊夜編×朝椰編×草寿編。

                                                     

    夕 涼 み    

 
 柊夜と草寿の苦々しい顔を見て「私はそんなに悪いことをしたのか」と思わず言ってしまった。それほど二人の表情は険しかったのだ。
 私の屋敷の客間でのことだ。
 「夕涼みの会」を開こうと言い出したのは栞祢だった。珍しいことがあるものだと驚いたが、草寿と環、それから柊夜と彩未のことを気にかけてのことだと解釈した。
 二組とも破局寸前まで行き(草寿と環に関して言えば一度破局したが)、どうにか元鞘に戻ったばかりだった。
 そして今日、二組を屋敷に招待して夕涼みをしているのだが……。
「ほら、見ろ。嬉しそうにしているではないか」
 私たちがいる客間から見える庭の一角に御座を引いて団欒している栞祢たちがいる。どんな話をしているのかまでは聞こえないが、楽しそげな様子だ。だが、
「一人余計なのが混ざっています」
「まったく」 
 柊夜の言葉に、草寿が同意した。
――余計なのねぇ。
 栞祢と環と彩未に囲まれて座る男・夕凪のことだ。
 昼過ぎ頃、朝比奈当主の文を届けに屋敷を訪れた。客間に通してもてなしていると、夕涼みの準備をしているのが目に入った。
「風流ですね」
 夕凪の呟きに、栞祢が
「夕凪様もご一緒にいかがですか? あやちゃんも後で参りますし」
 と誘った。
 これまた珍しいことだった。栞祢は何かする時、私に伺いを立てる。それが自ら率先して誘った。栞祢は彩未を可愛がっている。その彩未は夕凪に大層懐いているので彩未のために声をかけたのだろうと思われた。栞祢が楽しめるのならと私からも夕凪を誘った。
 夕凪は最初は断っていたが、そうこうしているうちに、彩未がやってきた。栞祢だけでは料理を作るのも大変だろうと一人で先に手伝いに来たらしい。彩未は夕凪を見ると飛びついて行った。条件反射としか言いようがないほど素早かった。これでは帰るに帰れない。夕凪は結局参加することにした。まったく彩未に甘い男だなと思う。
 それからほどなくして今度は環がやってきた。彩未と同じく手伝いのためだ。
「夕凪…どうしているの? 」
 環は言った。知り合いなのか。意外だった。なんでも宴の際に、貧血で倒れていたところを夕凪に助けてもらったのが縁らしい。栞祢の幼馴染だと告げると「奇妙な縁でございますね」と感慨深くうなずいた。
「彩未もご挨拶しなさい」
 お前は父親か、というぐらごく自然に、夕凪が一人あぶれている彩未を環に紹介した。彩未はぽーっとした顔で環を見ていたが、
「お綺麗な方ですね」
 と言った。
 前々から思っていたが、どうも彩未は面食いらしい。綺麗なものが好きなのだと思う。栞祢にしても夕凪にしても柊夜にしても一定水準以上の容姿をしている。最初は偶然だと思っていたが、おそらく違う。綺麗な者が好きなのだ。それも冷たい印象のする知的美人というよりは、優しげな印象の温和な美人が好きらしい。さすれば、環は彩未の好みだろう。案の定、まるで初恋真っ只中の少年のように、夕凪の袖に隠れて照れまくっている。環がにっこり微笑むと、受け入れられたと解釈したのか、嬉しそうに近寄って行った。
「環。そのバカ蜜を甘やかすことはないんだぞ。つけあがるから放っておけ」
「バカ蜜って言わないでって言ってるでしょう! 」
 近頃では私がバカ蜜といってもぷいっと無視するくせに今日は憤慨して訂正を求めた。環の前でバカ蜜扱いされたのが嫌だったのだろう。
「バカ蜜はバカ蜜だろうが。何を照れているのだ。お前のような甘ったれのバカ蜜など環は好きにならない」
 私が言うと、
「朝椰様! 」
 栞祢だった。
「どうしてそんな意地悪ばかりを言うのですか」
「……別に私は意地悪を言っているわけでは…」
 彩未は泣いていた。絶対嘘泣きだ。こいつは根性が座っているんだ。これぐらいで堪えるはずがない。だが、栞祢も環も(夕凪は当然に)彩未をあやしていた。どうしてそんなバカ蜜を甘やかすのか。釈然としなかったがこれは歩が悪い。私は黙った。
「彩未。ほら、泣きやみなさい。夕涼みの準備をするのだろう? 」
 夕凪は慣れた様子だった。こうやってずっと甘やかしてきたのだろう。だから彩未は甘ったれるのだと言いたくなったが、また泣かれて栞祢に咎められるのも敵わないので堪えた。
 それから夕涼みの準備を再開することになった。
 栞祢と環、彩未に加え夕凪まで台所に立ったのには驚く。なんでも夕凪は料理が上手いらしい。料理のできない私はのけものだった。
 炊事場にいても邪魔になるだけだし……どうしようかと思っていると柊夜がやってきた。皆、手が離せないので私が出迎えてやる。柊夜は大きな箱を抱えていた。花火を買ってきたらしい。それにしても随分買い込んできたものだなと言うと「彩未が花火を好きなのです」と言った。彩未彩未と……どうしてあのバカ蜜をみんなで甘やかすのだ。
「それにしても賑やかですね」
「ああ、環も手伝いにきている」
「なるほど。女三人寄ればかしましいといいますからね」
「女三人だけじゃないがな」
「草寿さんももう来ているのですか? 」
「いや、夕凪がいる」
「は? 」
 柊夜は動きを止めた。確認するように、
「夕凪って、歌詠みの? 」
「そうだ。他に誰かいるのか」
「……どうして? 」
 事の顛末を話してやると柊夜は不服そうな顔をした。そこまで嫌そうな顔をすることはないだろうと思われた。だが、
「嫌ですよ。夕凪は彩未にべったりなんですよ。いい加減やめてほしい」
 確かに夕凪は彩未に甘いが、べったりしているのは彩未の方からだと思う。しかし、柊夜にとってみると夕凪が自分と彩未の仲に割って入っているという解釈らしい。どれほど曇った眼鏡なのか。それに、そもそもあの二人の間に恋愛めいたものは一切感じられない。どうみても父親と我儘娘だ。嫉妬を感じる必要性は露ほどもないと思うのだが…恋は盲目とはよく言った。
「まぁそう不機嫌になるな。楽しくしろ」
 私はふてくされる柊夜をなだめながら客間に通した。
 それからほどなくして、今度は草寿がやってきた。出迎えてやると、
「随分賑やかだな」
「ああ、もうみんな来ているが、準備がまだだ。待っていてくれ」
 と柊夜のいる客間に通した。
 庭では栞祢たちが御座の上に料理を並べているところだった。柊夜は手伝おうとしていたが「人数は足りているからいい」とあっさり断られてしょげてこちらに戻って来た。
「……どうして夕凪がいるのだ」
 手伝いの申し出を断られた柊夜とは反対に夕凪は頼りにされていた。それを目にして草寿がつぶやいたのだが…
「お前も夕凪と知り合いか」
 あの男は案外顔が広いのだなと感心した。しかし「どういう知り合いだ」と問うと草寿は言葉を濁した。聞かれてはマズイのか。おかしな奴だなと思った。
「それよりも、どうして夕凪がここにいるんだ」
 草寿が言うので、私は柊夜にした説明をもう一度繰り返してやった。すると柊夜と同じように嫌そうな顔をした。何故お前までそんな顔をするのか。
「夕凪と何かあったのか? 」
「……直接的には話したことはない」
「ならなぜそんな不愉快な顔をする? 」
「……」
「何? 」
 ぼそぼそ言われても聞こえない。聞き返すと、
「あいつは環と仲がいいんだ」
「お前まで夕凪に嫉妬か」
 呆れた。仲がいいぐらい何だというのだ。環にしてみれば困ったところを助けてくれた恩人だろう。好意的に接するのは自然だ。それに嫉妬するなど呆れる。むしろ、環を助けてもらって感謝する、ぐらい思えないのか。
「狭量な男だな」
 と言うと草寿は苦々しい顔をした。しかし
「草寿さんの気持ちはわかりますよ。あの男、環さんにまでちょっかい出しているなんて、なんて軟派な男なんだ」
 先程までしょげかえっていた柊夜が草寿に加勢した。草寿は柊夜の言葉に「わかってくれるか」と言って握手を求めた。それから二人して夕凪に対する不満を言いあい始めた。その様子はどう見ても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
「みっともないからやめんか! 楽しくしろ」
 私が言うと、完全に陰の空気を身にまとった物憂げな二人が私を見た。瞬間、背筋がぞっとする。嫉妬心というのはおそろしいなと思った。
「これはみっともないとかあるとかいう問題じゃない」
「そうですよ」
――ならばどういう問題だというのか。
 なんと言えばいいのか。とにかく淀んだ空気をどうにかしなければならない。せっかく栞祢が開きたいと言って楽しみにしていた夕涼みを、こいつらのつまらない嫉妬心で台無しにするわけにはいかない。
「ちょっと他の男と仲がいいぐらい何だというのだ。私は別に栞祢が夕凪と楽しげにしていてもなんとも思わないぞ」
 だが、私の言葉を草寿は鼻で笑った。
「よく言う。栞祢がここへ来た頃、私がちょっと話をしただけでも怒り狂っていたのはどこのどいつだ」
――……こいつ、そんな昔の話を…。
「あれは、私も若かったし。だが今は違う。大事なのは今、現在だろう。私は栞祢が誰と仲良くしても平気だ。栞祢が私を思ってくれている自信があるからな。お前らは信じてやれないのか」
 これは決まったと思った。愚の音も出ないだろう。しかし今度は柊夜が、
「……それは栞祢さんが恋心を抱いた相手でもですか? 」
「何だって? 」
「栞祢さんの初恋の相手は夕凪です」
「…そんな口からでまかせ、」
「だと思いますか? 」
 柊夜は人の悪そうな笑みを浮かべていた。嘘だと思った。柊夜が栞祢の初恋の相手を知っているはずがない。そんなものを知る機会などな……いや、待て。彩未か? 彩未から聞いた? 彩未ならば知っているかもしれない。可能性としてなくはない。だとしたら栞祢の初恋の相手が夕凪というのは真実?
――……。 
 今日、栞祢は夕凪を自ら誘った。私の伺いを立てることなく。思い起こせば妙だ。いつもの栞祢らしくない。彩未のために誘ってやったのだと納得していたが、そうじゃない? 栞祢自身がいてほしいと思った? 初恋の相手だから?
 栞祢を見る。ちょうど夕凪に微笑んでいるところで、心なしかその頬は赤く染まっている気がする。
――栞祢…、
 私は立ち上がった。考えるより先に体が動く。それを制するように、
「狭量なのはお前の方じゃないか。私も柊夜も愚痴りはしてもじっと耐えているぞ」
「本当です」
 二人が口ぐちに言った。
「やかましい! 」
 思いのほか大声が出てしまった。それで庭にいた栞祢たちも一斉にこちらを向いた。何事かと栞祢が近寄ってくる。私は慌てた。「どうされました? 」と言われて何と答えればいいのか言葉に詰まる。
「兄上、顔が赤いですよ」
「動揺しすぎだ」
 柊夜と草寿は大笑いしている。つられるように皆が笑いだす。それは穏やかな夕暮れ時のことだった。【完】



2010/7/12

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