デッドエンドの夜 01
虫の知らせというのはあるのか。あるとしたら誰に届くのだろう。自分にとって大切な人。自分のことを大切に思ってくれている人。それとも両方がそろった時にのみ届くのだろうか――。
「もうちょっとで『桜』って名前になるところやってん」
高森は言った。縁側で二人して並んで座わり、庭に植えられた桜の木を見ていた。夜がまどろむ時間。空はおそろしいほど青だ。静寂が透けてどこか別の世界が見えてきそうな濃淡の。鼓動が独特の脈を打ち、期待と不安がないまぜになった不思議な気持ちだった。
「『桜』って女の子の名前じゃないの?」
「そうやねん。俺がお腹にいてる間、医師からはずっと『女の子です』って言われてたらしい。だから『桜』って名づけようと決めてたんやって。でも実際産まれたら男で……けどな『桜』って呼び続けてたし男でも『薫』とかあるやん。だから『桜』でもええんちゃう? って話になったんや」
「でもやめちゃったんでしょ?」
彼の名前は「高森」だ。
「うん。決まりかけてた時にじいちゃんが反対したから。昔の諺というか言い伝え? まぁそんな感じのやつに『花の名前を付けられた子は長生き出来ない』っていうのがあるらしい。『桜』なんて名前いくらでもあるし迷信やと思うけど、親父はそれを聞いて思うところがあったんかなぁ。やっぱりやめようって言いだして『高森』になった。代わりに桜の木を植えたんや。だからあれは俺と兄妹みたいなものやねん」
桜の木を見つめる高森の横顔は優しげだった。人が大切な物を見るときの眼差しの柔らかさだ。泣きたくなる。羨ましいと思った。
「『高森』もいい名前だよ」
「そうか? 俺は『桜』がよかったな。なんか『高森』ってしっくりこない。呼ばれても自分のことやと思えないときがたまにある。『桜』が馴染むねん。お腹にいた頃の記憶なんてないけど、呼ばれていたことを細胞が覚えてるみたいや」
言われてみると「桜」という名が似合っている。貧弱だとか女っぽいというわけではないが、高森にはどことなく儚げな印象がつきまとっていた。満開の桜の美しさではなく、風に揺れ散っていく淡い光景だ。
高森は黙ったまま桜を見つめていたが、
「親父はなんで名前を変えようと思ったんやろ……俺、そんなに死にそうにみえたんかな?」
独白に近い。幾度も繰り返し巡らせてきた想い。それが洩れ聞こえた。そんな感じ。でも聞かされた私は不安になった。ついさっき、高森と照らし合わせてしまった光景と重なったから。生命の強さを感じない脆さと「死にそう」という呟きが強烈に結びついて怖かった。打ち消さなければいけない。彼が遠くへ行ってしまわないよう、こちらに引きとめておかないと。
「まさか。平均寿命はきっちり生きそうに見える」
私の言葉に高森は桜から視線を外してこちらを見た。その目は普通の男の子の色をしていた。ほっとした。
「なかなか言うやん」
嬉しそうな高森を見てもう大丈夫だと思った。
***
―……。夢?
頭が重い。体も同じだ。動かそうにも指令が届かない。腕一つ動かすのも億劫だ。まるで何か強い衝撃を受けて体の自由を奪われてしまったみたいに鈍い。こんなことは初めてだ。どこかおかしいのかもしれない。
視線だけでベッドサイドの時計を見る。午後五時四十七分。二時過ぎから急激に眠くなってたまらずベットに入りこんだから……四時間ほど眠っていたことになる。それにしてもまだ眠い。蟻地獄みたいにもがけばもがくほど睡魔に引きずり込まれる。どうしようもないので仕方なく、目を閉じた。
浮かんでくるのはさきほど見ていた夢の名残だ。彼の夢を見たのは初めてだった。彼、遠野高森は姻戚に当たる。私の兄の結婚相手、成海さんの弟。最初に会ったのは五年前、親族の顔合わせの食事会だった。
兄と成海さんの家族構成はよく似ていた。両親と年の離れた妹弟(私と兄は十六歳、成海さんと高森は十二歳離れている。)の四人家族だ。自分と似た家庭環境で育った者同士が結婚するとうまくいくと聞く。兄たちはまさにその通りの夫婦だった。そのせいだけじゃないだろうけど、双方の親ぐるみ、三世帯でほどよく仲の良いお付き合いをしている。両家がモメるなんて話は割とあるらしいから、きっと恵まれているのだと思う。
だが、最初の会食は微妙だった。思い出すとむずがゆい。今では笑い話だけど。
***
日本料亭でかしこまって座っていた。私自身の緊張より周りの人の緊張がうつって身体が堅くなる。父も母も兄も私の前でいつだって落ち着いた大人の顔をしていたから、こんな風に動揺した姿を見たのは初めてだ。にわかに信じがたく不思議だった。
両家が向かい合って席に着く。まず兄が私たちのことを紹介した。
「妹のまことです。僕とは十六歳離れているので妹というより娘に近いですが」
照れくさそうだった。言葉の通り、兄の態度は父親に近いのだと思う。ケンカをしたことは一度もない。これだけ年が離れていれば当然なのだろうか。兄はなんでも譲ってくれた。
元々性格が優しく穏やかだったのもあるのだろう。
「まことです。よろしくお願いします」
立ちあがってお辞儀をすると、成海さんのおばさんがにこやかに言った。
「成海と高森も十二歳離れてるんよ。まことちゃんはいくつ?」
「十二です」
「じゃあ、高森と同じ年やね」
あれ? と思った。成海さんからは中学一年生だと聞いていた。私より一つ年上のはずだ。
「でも学年は一つ上になるかな。高森は四月一日生まれやから早生まれになるの」
「そうなんですか。……私は四月二日生まれなんです」
驚いた。奇妙な偶然だった。
「なんだかすごいややこしい話よね……」
成海さんが言った。そうなのだ。三月三十一日までが早生まれと思われがちだが、民法上四月一日までが正式だ。
更に詳しく話を聞くと、高森は四月一日の午後十一時五十一分。私は四月二日の深夜十二時二分。わずか十一分違いで産まれた。だけど私がまだ習っていないことを、高森はすでに勉強してしまっている。たった十一分のはずが丸々三百六十五日の差を生むなんて。おかしな話だ。
それから今度は成海さん側の紹介をしてもらった。
成海さんは私たちの前では標準語に近い言葉を話すけど、両親にはテレビで聞くような関西弁を話す。新鮮でおもしろい。バイリンガルの子どもが、英語で話せば英語、日本語で話せば日本語と自然と使い分けてしまうのはこれの延長線にありそうだ。
「私の弟です」
最後に、そっと高森の背に手を当てながら告げた。
「高森です」
高森の声を聞いたのはそれが初めてだった。浮足立ったところも、緊張している様子もない。耳触りのいい声だった。普通だ。普通ってどんなだよ、と突っかかってくる人がいたら、こういうことだと見せたい。空気に自分の気配を馴染ませてなんの違和感もなく座っている。存在感があるとか、目立つというのとは反対だ。極力控え目に、ひっそりと息をする。安心させる雰囲気があった。初対面の人に警戒心を抱かなかったのなんて初めてかもしれない。
その後、互いに、「どうぞ末永くよろしくお願いします」みたいなことを言い合っていると、膳が運ばれてきて食事が始まった。
なんともいえない光景だった。
法律上「親戚」となるのだから仲良くなろうとしているが、空回りしている。緊張がいつまでも消えない。かえってよそよそしく、一体この人たちは何がしたいのだろうと居心地の悪さを感じた。私は黙って出された食事を食べていた。
「サーモン嫌いやねん」
同じように黙々と食べていた高森が急につぶやいた。顔をあげると、しかめっつらの高森と目が合う。すると、迷いなく自分の箸でつまんだサーモンを私の皿へのせてきた。ごく自然な所作だったから、私はそれを食べてしまった。
「おいしいじゃない」
告げたあと、驚いた。初対面で、言葉さえ交わしたことがなかったのだ。その人がじか箸で自分の皿から私の皿へ移すという、おそろしくぶしつけな行動を、抵抗なく受け入ていた。信じられない。しかも味の感想までのべて。普段なら到底考えられないことだった。
「そう? ならよかった」
そんな私に、高森はちっともかまうことなく食事を再開した。おかしいと騒ぎ立てる方がおかしいのか。私もまた黙々と食べ始めた。大人たちも一連の流れを見ていたはずだが、誰も何も言わなかった。あっけにとられて何も言えなかったのだと思う。これが私と高森の出会いだった。
2010/6/1