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デッドエンドの夜 02


 懐かしい記憶を思い出しているうちに感覚が戻ってくる。明瞭になった意識が「今のは金縛り?」と問う。鈍い性質だからオカルト的なものとは無縁に生きてきたがひょっとしたらひょっとする? でも、怖いとか恐ろしいとか嫌な感じはしなかった。ただ、ふんわりとした悲しみが広がってくる。ベッドに横になってその感覚を辿ってみるが、奇妙な緊張はどんどんと遠ざかり、やがて完全に消えてしまった。
 それにしたって、また随分と古い記憶を引っ張り出したものだと微苦笑がもれる。たぶん原因は昨日見つけた手紙だろう。……手紙というか紙切れというか。それは机の引き出しに埋もれていた。
 春休み中ですることがない。昨日の昼も時間を持て余していた。だから新学期に備えて机にある古い教科書を片付けることにした。ついでに引き出しの中も整理する。下敷き、短くなった鉛筆、集めていた消しゴム、レターセット、使い終わった手帳、映画のパンフレットなどが出てくる。物持ちがいいというより捨てるのが苦手なのだ。何がいらないもので、何が必要か、見極め方がわからない。捨ててしまったら取り返しがつかないからよほどのことがない限りそのままだ。いい機会だ。思い切って捨ててしまおう。最初は……とぐるりと見渡すと大きなクッキー缶が目に飛び込んできた。開けると、小学校、中学校と授業そっちのけで書いた手紙が無造作に詰め込んであった。好きな男の子へのやるせない恋心だったり、進路への不安だったり、家族への反抗だったり、切実な想いが書かれてある。ただ、これは私の悩みではなかった。クラスメイトが書いて私に渡したものだ。捨てるのが忍びなくてまとめておいた。一つ一つ丁寧に拾い上げていくと、缶の底に、まるで捨てられまいと吸い付くようにしてハガキ出てきた。

まことへ
元気ですか?
僕は相変わらず男前です。

 たった三行の短い文面。
 高森からだ。いつだったか高森の両親がお中元にと送ってくれたハウスみかんのダンボールに一緒に入っていた。市販されたハガキではない。画用紙を切って重ね合わせた手作りだ。やたらと分厚くざらざらしていた。ポストに投函されていたら届いていなかったと思う。無骨なハガキだった。思いつきでダンボールに一緒に入れようと作ったのだろう。お中元がなければハガキを書こうと思わなかったかもしれない。事実、これ以降、高森から暑中見舞いや年賀状が届いたことは一度もない。
 しかし、おかしな文面だ。これは一体どう受け止めればいいか。さっぱりわからず困り果てた。それでみかんのお礼に電話をかけた時に高森に代わってもらったのだ。
「あのハガキは一体何?」
 当然の質問をぶつけると高森は爽快に笑った。
「ああ、やっぱりわかってないな。まことは鈍いから気づかんやろうと思ってたけど。ちゃんと中までみたんか?」
「中? 見たよ。みかんとハガキ以外は何も入ってなかったよ?」
 ダンボールの中には他に何も入ってなかったはずだ。でも、
「その中ちゃうわ……まあええわ。それ、大事にもっときや。捨てたら一生口きかんから」
 それだけいうと、高森は電話口から消えてしまった。
 意味がわからない。ただ、一生口をきかないという言葉が妙に頭にこびりついて消えなかった。一生一緒にいてくれる気があるのだなと思った。単なる軽口に真剣になるのもおかしいが、それなら捨てずにいようと思った。でも実際は口をきかないどころか、会う機会もなく、そう思ったことさえも忘れていった。 
 今頃何をしているのだろうか。相変わらずマイペースで暮らしているのだろうな。言われたとおりに捨てずに持っていることを伝えてみたくなった。高森もきっと忘れているにちがいない。「なんのこと?」なんてとぼけるだろうう。
 そんなことを思っていたから、高森の夢を見たのかもしれない。気になったことが無意識とかそういう深いところで繋がって夢として映像化される……と読んだことがある。そしてあの倦怠感も脳が普段ない作用をしたため体がバランスを調整しようとして疲れが出た。きっとそんなところだろう。わかってしまえばなんてことない。オカルトかもと思った自分がちょっと恥ずかしい。なんだか気が抜けた。私は浮遊感から抜けた体でリビングへ向かった。冷蔵庫から麦茶を取り出して飲む。喉の渇きが潤うと現実感はもっと強まってきた。
 窓の外を見ると暗い。時間を確認する。六時四十五分。目覚めてから一時間近くベッドでうつらうつらしていたのか。あっという間だと思っていたけど随分経っていた。
 水分を胃に入れると寝ている子を起こしたのかお腹が空いてきた。冷凍庫を開けて母が作り置きしてくれている炒飯をレンジにかける。
 父と母は現在旅行中だ。結婚三十三周年記念に二人でベトナムへ行っている。本当は三十周年を盛大にお祝いする予定だったが、その年は父方の祖母が倒れ、翌年は母方の祖母の手術があり、去年は私の受験……と伸ばし延ばしになっていた。うかうかしているとあっという間に結婚四十周年がきてしまう。今年こそ行っておいでよ、と兄と私の後押しで一昨日旅立っていった。その間、私は束の間の一人暮らしを味わっている。それもとびきり贅沢な一人暮らしだ。学校は休みで、バイトをしているわけではない。食事は母が作り置きしてくれているし、足りなくなったら買えるようにお金ももらっている。優雅に一日ダラダラ過ごすだけ。
 チンと無機質な音がして、今日の晩御飯が出来上がる。添え物にサラダを作るよう言われていたが、トマト半分を三等分しただけの生野菜(到底サラダとは呼べない)を並べてよしとする。
「いただきます」
 誰もいないとわかっていても長年の癖でつい発してしまう。食べていると静けさが目立つ。母は大のテレビ好きで食事中も必ずつけているから尚更だ。この家はこんなに広かったっけ? と思う。ホームシックというのは慣れ親しんだ場所を離れて恋しくなるのだと思っていたけど、あれは場所ではなくて人のことなのか。いくら同じ場所でも、そこにいるべきはずの人がいなければ、やはり恋しくなるのだなぁと驚いた。それから自分が両親を恋しく思っている事実にも。
 炒飯を半分食べたところで急速に食欲が止まる。その落差はちょっと異常だ。どうもおかしい。やっぱり体調が悪いのか……単純にダラダラしすぎ? ああ、そうかもしれない。外出もせず寝て過ごせばお腹だって空くはずない。やっぱり堕落した生活はよくないんだなぁと身をもって実感した。明日からは規則正しい生活をしよう。そんな決意をした。
「トゥルルルルルル」
 呼び出し音が鳴り響く。電話は予告なしにかかってくるものだが、静寂の中に突如大きな音がしたものだから必要以上に体が反応した。ビクッと大きく揺れてしまった。誰にも見られなくて良かったと、一体何を意識してなのかわからないが思う。苦い笑みを浮かべながら受話器をとった。
「はい、上坂です」
「まこと?」
 兄の声だ。
「うん。そうだけど……どうしたの?」
 兄はあまり電話をしてくることはない。かけてくるとしても大抵は金曜の夜とか休みの前日で「明日覗きに行くけど家にいる?」と目的がある時だ。もしかして、一人でいる私を心配して様子伺いなのかな? と思った。過保護な兄ならありえる。嬉しいと思う反面、いつまでも子ども扱いだなと不満に思う。
「高森くん覚えているか」
 けれど、私の思惑は外れた。兄が口にしたのは高森の名前だった。あまりにも脈略のない振りに不信感が生まれる。酔っ払っているの? その割に滑舌は悪くないし。
「突然何?」
「亡くなった」
 白い布に墨汁を垂らした時のような、広がっていく黒をなす術なく見つめる状況に酷似している。途方もなさが。よく、わからなかった。 兄の声は抑揚がない。そんな声を今まで一度も聴いたことがなかった。だから真実味がない。わざと感情のない声を出して、驚かそうとしている。下手な芝居。そして、性質の悪いいたずら。
「交通事故に遭って」
 歯切れ悪くぽつぽつと言われても飲み込めない。何が起きて、誰がどうなったって? 「もういいよそんな話」と言いたかったのに音にならない。体の内側からじわりと重く大きく脈打っていく。カーッと血が逆流して腹の底からまがまがしい何かが吹き上がってくるのがわかった。怒りとも憤りとも悲しみともつかない。もやもやした真っ黒なものがアメーバーみたいに広がってきて世界が暗転する。
 高森が、死んだ。
「いつ?」
「事故に遭ったのは二時過ぎらしい」
 部活の帰り道、自転車で横断歩道を渡っているところを居眠り運転のトラックが突っ込んできて巻き込まれた。即死ではなかった。病院に担ぎ込まれ、幸いにもすぐに手術をうけることができたが内臓の損傷が激しくオペは難航した。数時間に及ぶ延命が行われたがどうにもならなかった。先ほど息を引き取ったと連絡がきた。兄の話をニュース番組のように聴いていた。
「成海はかなたをつれて先に大阪に向かった。僕もこれから向かう」
「私も行く」
 ほとんど反射的に告げていた。
「お父さんもお母さんもいないから、その代わりに私が行く」
 兄は反対はしなかった。じゃあ、これから迎えに行くからとだけ告げて電話が切れた。私はボーっとしたまま受話器を下ろした。




2010/6/1

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