デッドエンドの夜 09
高森の死を知り後悔に押しつぶされそうになった夜から三年の月日が流れた。
私は大学生になった。勉強にバイト、割と忙しい日々を過ごしている。
そして、時々、高森のことを思い出す。
似たような環境で、似たような痛みを持ち生きていた男の子。深く共鳴し、わかってもらえた気がした。ああ、寂しかったのは私だけじゃないんだな。あなたもそうだったのね。そう思った瞬間に、肩の力が抜けた。自分の気持ちを正確に理解してもらう。それはこんなにも安心するものなのかと知った。わかってもらえたからって、寂しさが消えるわけじゃないのに、何もかもが報われた気がした。高森は私にとって、私の全てを肯定してくれた人だった。
きっとあれは私の初めての恋だったのだと思う。
初恋は実らぬものというけれど、私の場合もその通りだった。だから成就しなかったのは仕方ない。でも思いを伝えることなく死に別れなんて。せめて私の気持ちを伝えたかった。こんな空中分解してしまったような終わりは悲しすぎる。もう言ってもどうにもならないけれど。でも考えてしまう――私の気持ちを知ったらあなたはどう思った?
「出来たよ」
日曜日の昼下がり。兄夫婦に頼まれて子守を引き受けた。おやつにホットケーキを焼いている。完成を告げるとかなたくんは台所に入ってきた。
「これ、運んでくれる?」
かなたくんは目をキラキラさせてお皿をテーブルに運んでくれた。ホットケーキ……というかメイプルシロップが大好物だから早く食べたくて仕方ないのだろう。私も後をついていく。
「あれ……さくらちゃんは?」
さくらちゃんというのはかなたくんの妹だ。一昨年に生まれた。大変な難産で陣痛がきてから産まれるまでに丸二日もかかった。だけど生まれると病院中に響き渡るような大声で泣き周囲は安堵した。そして兄夫婦はその子に「桜子」と名付けた。みんなにさくらちゃんと呼ばれている。
「さっきまでいたのに……探してくる」
そういい残すとかなたくんはパタパタと小走りに廊下に消えた。狭い家だ。すぐに戻ってくると思った。けれど大きな声で「おねーちゃーん。大変ー!」という悲鳴が聞こえた。何事かと慌てて向かう。声は私の部屋から聞こえた。覗くとかなたくんとさくらちゃんがいる。
「どうした? 怪我でもした?」
「違うの……さくらちゃんがビリビリしてる」
見ると、さくらちゃんは左右の手に白い紙を持っていた。二つに破ったのだ。それは分厚い画用紙のようなもので、
「いやぁ〜さくらちゃん、それはどこから出してきたのー」
机を見ると引き出しが開いている。よりによってどうしてこれをピンポイントで出してくるのか。小さい子は奇想天外な行動をとるというがあれは本当なのだ。それにしても一体どうして? 私はもう半ばパニックでさくらちゃんからその紙を奪った。さくらちゃんは案外あっさりと手離してくれたけれど、見事に二つに破かれている。無残な姿になったそれは生前に一度だけ高森が私にくれた暑中見舞いだった。唯一、高森からもらったもの。彼の形見として大事にしていた。
「さくらちゃんダメでしょう。勝手に開けちゃダメなの。おねぇちゃんにごめんなさいして」
かなたくんはお兄さんらしくさくらちゃんを叱った。するとさくらちゃんは立ち上がり私の前にきた。それからおもむろに握りこぶしをつくった右手を差し出してきた。何かを持っているらしい。
「おにいちゃんが、これ」
さくらちゃんがかなたくんのことをお兄ちゃんと言うのは珍しい。いつもは兄夫婦を真似て「かなた」と呼び捨てにする。やめさせようとさくらちゃんの前ではかなたくんのことを「お兄ちゃん」と言うようになっだが一向に聞かない。
私はさくらちゃんの右手の下に自分の手を置いた。するとパッと何かを離した。五十円玉ぐらいの大きさだ。黄色いカナリアの絵が描かれてある。四角い紙切れ。
「……これ、どうしたの?」
「なかにはいってた」
さくらちゃんは二つに破かれたハガキを指差した。
ハガキは画用紙を合わせて作っていて分厚い。重ねている部分には入念に糊付けされいて剥がれない様になっていた。だから中もべったりと貼られているのだと思っていた。でも破かれた部分を見ると空洞になっているのがわかる。端のみ接着してあったのだ。そして、覗き込んだ中には文字が書いてある。私は接着部分をゆっくりと剥がした。パリパリと糊の乾ききった音がする。もう片方も同様に剥がしていく。そこには高森の文字で短い文章が書いてあった。
しゃーないから、まことにやるわ。
一生分の感謝しろや。
お礼は下のアドレスまでどうぞ
どうしてこんな手の込んだことするの? ああ、そういえば高森のおじさんがそういうことが好きだと言っていた気がする。それにしても込み過ぎじゃないか。こんなの絶対わかるはずない。だいたいこの切手は貼って出して受け取った相手が幸せになるんじゃないの? 貼らずに中に入れて渡されても意味ないんじゃないの? コレクターとして使うのは忍びなかったのか。未使用じゃないと価値が下がってしまうと考えた? 思いつくのはそんなことばかりだ。
「おねぇちゃん泣かないで? ほら、さくらちゃん、謝りなさい。おねぇちゃん泣いているでしょう?」
「さくら、わるくないもん。おにいちゃんがいった」
「僕は何も言ってない」
「ちがう。かなたじゃないの。おにいちゃんがいったの」
「もう、わからないこと言わないの。ちゃんと謝って」
さくらちゃんの言うことを理解できないかなたくんは更に怒った。するとさくらちゃんはポロポロと泣き出した。そして私にぎゅっと抱きついてきた。柔らかなおひさまの匂いがする。
「さくら、わるくない。おねぇちゃんにおしえてあげてっていったんだもん」
二、三歳くらいの子は生まれてくる以前の記憶がある。ここにくる前に何してた? と尋ねると答えてくれる。そんなことを聞いたことがある。さくらちゃんは彼に会った? そして話をした? 自分でもどうかしているのではないかと思う。そんなことあるはずない。でも、
「おにいちゃんがそう言ったの?」
尋ねるとさくらちゃんは涙をいっぱいにためた目で私を見つめうなずいた。
「他に何か言ってた?」
「おなじって」
「同じって? 同じ気持ちって言ってた?」
さくらちゃんはうんうんうなずいてさらに私にしがみつくように抱きついてきた。私の言葉を本当に理解しているのか怪しい。なんとなく言っていることが噛み合ってしまっただけかもしれない。だけど偶然というにはあまりにも辻褄が合いすぎていて、だから私はもうこれは全部が真実なのだと思うことにした。
高森。私たちはやっぱり似ていた。臆病なところもそっくりだ。でも行動を起こしていただけ高森の方が勇気がある。ただ方法があまりにも難解だったけど。気づかなくても仕方ないでしょう? 私が鈍いからじゃないよ。そう言いたかった。【完】
2010/6/6