[01] 掌で熱をはかる 【こころなくこい 羽山×奏子】
六月の第三土曜日。奏子が泊まりに来た。
付き合い始めてから三ヶ月。世間ではきっとラブラブ時期だと思われる。だが、奏子は素っ気ない。来ても、ずっと問題集を広げて解いている。
八月に大検の試験があるから追いこみ時期だし、仕方ないのだが。頑張っているのはわかるし、応援もしている。だから勉強に集中出来るように会うことを控えている。今日だって久々だ。今月に入って初めてだ。毎日だって会いたいぐらいなのに我慢している。そんな俺をもう少し気にしてくれてもいいのではないかと思う。口に出しては言えないけど。格好悪いから。
――それにしたってなぁ。
こいつは本当に俺のことを好きなのか。正直、わからなくなる。実のところ一度も「好きだ」とは言われていなかったりするし。疑ってしまう自分が情けないが、あまりにも淡泊すぎるのだ。
「なぁ、奏子」
「何? 今、忙しい」
顔を上げることなく、どこか苛立ったように答えられる。邪魔しないで、とありありと含有されている。
――可愛くないっ。
カチンときたので、近寄った。
熱心に問題を解く奏子を後ろから三角座りをして挟みこむ。気配を感じているだろうに何も言わない。だから更に腰に手をまわし、右肩に顎をおいて抱きついてみる。それでも問題を解く手を止めない。
「なぁ、奏子」
耳元にわざと息を吹きかけながら言う。「もう、やめてよ」と言いながらじゃれてくるのを期待して。しかし、奏子はそんな可愛げのある女ではなかった。邪魔しようとする俺に対して意地になっているのか、無反応。完全に無視される。
――そういえば、耳はそんなに敏感じゃないんだよなぁ。
こういうところからして可愛くない。もうちょっと可愛らしくならないものか。俺は抱きついたままで、シャーペンを動かす指先を見つめる。
「……ここのスペル、間違ってるぞ」
「え、嘘? どこ?」
「これ、yとlが逆だ」
「ホントだ。ありがとう」
奏子はようやく俺を振り返ってにっこり笑った。意外にも素直に返されてドキッとする。不意打ちというのは卑怯だ。だけど、せっかく意識が俺に向いたのだから、惚けている場合ではない。
「じゃあ、お礼に、キスして」
「しない。というか、離れてよ。それから今日はキスもしないし、一緒にも寝ないから。私はソファで寝る」
「はぁ? なんだよそれ。じゃあ、お前一体何しに来たの?」
あんまりな宣告に当然文句が口を出る。だが、
「何しにって、ヤることしか考えてないの? 羽山さんって私とヤるためだけに付き合ってるの?」
さっきまでの笑顔が険のある表情に変わる。何をそんなに怒っているのか。好きな女と一緒にいたらヤりたいと思うだろう。俺は何も悪いことは言っていない。それをいかにも体目当ての遊び人という風に見られるのは心外だ。俺の気持ちを信じてもらえていないようで腹が立つ。だけど、
「もしかして生理?」
今日はどこか不機嫌そうに見えたのもそのせいか。それならば納得出来る。だが、俺の問いかけに奏子はため息をつく。そして、問題集を片付けながら、
「帰るよ」
「は?」
「家に帰る」
「なんで!? 久々に会ったのに帰るなんて言うなよ。お前がしたくないなら別にいいよ。だから、帰るな」
慌てて引き止める。ほとんど条件反射的に引き止めていた。奏子は少し考えてから、また問題集を広げたので安堵する。それから再び解き始める。俺は相変わらず後ろから抱きついてその様子を見つめた。先程は離れてくれと言われたが、抱きついていることに関してはもう何も言わなかった。奏子なりの譲歩なのか。
――しかし、
そんなにしたくないの? 俺と。かなりのショックが襲ってくる。何かマズイことをしたっけ? 自分一人だけが満足して、奏子を置き去りにしてしまったとか? いや、でもそんなことはないはずだ。ちゃんと気持ち良くなるように頑張ってたし、奏子だって喜んでたじゃないか。それともあれは演技だったのか? 脳裏に目まぐるしく流れる。
だけど。
「……なぁ、奏子」
腰に回していた手を、奏子のおでこに当てる。
何故、もっと早く気付けなかったのか。
「お前、熱あることない?」
「……微熱程度」
「馬鹿。熱あるのに無理するなよ。こじらしたら大変だろう? 大事な時期なんだから家で寝てればよかったのに」
「……だって、久々だったから会いたかったし……」
ぼそりと呟いた言葉。
照れているのか、俯いている。
それでようやく奏子が何故一緒に寝ないと告げたのか理解する。俺に風邪をうつしてはいけないと思った。それならば、最初から来なければいい。でも、会いたかったのだと。矛盾する気持ちに苦しんでいたのだろう。
「お前、可愛いなぁ」
言うと、奏子は耳まで赤くなる。
俺は小さくなっている奏子を強く抱きしめた。
「勉強はやめとけ。熱ある時にしても身に入らないから、今日はもう寝ろ。一緒に寝てやる」
それから、抱き上げて、寝室に向かう。
奏子は抵抗する。
「一緒に寝ないってば。私はソファで寝るの」
「病人をソファで寝かせるほど、俺は非道じゃない」
「じゃあ、家に帰る」
「家になんて帰さない」
「無茶苦茶だ」
「無茶苦茶で結構。大丈夫だ。俺は丈夫に出来ているから、風邪なんてうつらない」
機嫌良く告げる。が、
「なんとかは風邪ひかないから?」
……やっぱり可愛くない。
腹が立ったので、嫌がらせのようにギュウギュウ抱きしめて眠ったら、翌日”ちゃんと”風邪を引いたので、なんとかではないことが証明された。奏子は申し訳なさそうな顔をしてたけど、俺は大変満足した夜だったので後悔はない。
2011/6/19