キュンとする10のお題 07 > novel index
[07] 後ろからギュッ 【蜜と蝶 朝椰×栞祢】

 呉羽の宴。
 半年に一度開かれる。特に何をするわけではなく単なる酒宴――これがかなり苦痛だ。私はそれほど酒は呑まないし、何より呉羽当主に親しく話をしてくる者はほとんどいない。私がいることで空気が張り詰めてしまう。私も周囲の者も楽しめない。不毛な時間。それでも出席せねばならない。これは古くからの慣習だ。

 二時間程度経過した頃か。
 手水に行きたくなって席を立つ。
 部屋を出て廊下を歩く。と、背後に気配を感じて振り返る。
「……なんだ、ついてきたのか。どうした?」
 声をかけてやるが、栞祢ははっとなって俯いた。
 朝比奈から連れてきて三ヶ月。未だに馴染まない。少しはましになってきたような気もするが、ほとんど口は聞かない。人見知りもここまでくると立派だ。人見知りというか、呉羽の人間への警戒心の強さというべきか。
 今日は、家で一人にさせておくのも気にかかるので連れて来ていたのだが。
「何か用か?」
 栞祢は俯いたままじっとしている。
「どうした。何もないなら、広間に戻っていなさい」
 告げて、少しだけ様子を見てみるが、やはり俯いたままだ。何も言う気はないらしい。
 一体何なのだ。何をしたいのだろうか。わからない。用事がないなら、と私はもう一度「広間に戻っていなさい」と告げて背を向けて歩き出す。しかし、数歩歩くと背中に違和を感じる。状況を認識するよりも、体の反応の方が早い。ドッドッドッドッと心臓の音が速まる。
 抱きつかれている。――いや、そんなことありえない。だけど、
「栞祢……?」
 確認するように問う。返事はないが代わりにギュッと抱きつく力が強まる。
 私の腰に回された手に触れる。小さく震えている。その手を腰から剥がし、ゆっくりと後ろを振り向く。私を見上げる栞祢と目が合う。その顔にはうっすらと涙が浮かんでいる。心臓がいよいよ暴走を始める。
「なんだ。どうした。何を泣いている?」
 反して自分でもぞっとするほど静かな声が出た。動揺が強すぎて、それを押し殺すように自然と低くなる。当主たるもの易々と心の内を人に見せるものではない、と思っているから自制する力は割と強い方だ。だが、それが今回は裏目に出る。栞祢の顔色はたちまち真っ青になる。
「私は怒っているわけではない。理由を聞いている」
 怒っているような声で言われても説得力はない。優しい声など出せないので仕方ない。
「何か用があって引きとめているのなら、聞いてやるから言ってみろ」
 しかし、それに対して栞祢は顔を左右に振った。私に用があるわけではないらしい。
「それなら、広間に戻っていなさい」
 だが、それにも顔を左右に振る。
 広間には戻りたくないのはわかった。だが、何故なのか。真っ青な顔でポロポロと涙を零すばかりで――困惑する。とても困る。栞祢に泣かれるとどうしていいかわからなくて途方に暮れてしまう。泣かれたくない。どうしたら泣きやんでくれるだろうか。
 目元を拭ってやると、びくっと体を揺らした。それでも幾度か指先を沿わせているうちに、涙は止まる。わずかに安堵する。そうしていると、栞祢が小さな声で、
「怖い……」
「怖い?」
「広間は怖い……」
 広間には呉羽の人間ばかりいるから怖い。そういう意味だと解釈する。
「何も怖がることはない。お前は私のものだ。呉羽の当主に逆らうものなどいない。誰も手出しはしない。安全だ」
 諭すように言うが、栞祢は顔を左右に振る。そこまで呉羽を恐れているのか。ため息が出る。これは相当根深いものがあるようだ。先が思いやられる。だが――私の後を追いかけてきたのは、私の傍なら安全だと思っているということか? 私のことも同様に恐れているのなら、どちらにいても同じ。追いかけては来ないだろう。
「私は怖くはないのか?」
 導き出した事柄を確認するように音にする。そんなことを聞いてどうする気なのか。自分でもよくわからなかった。ただ、知りたかった。
 栞祢は小さくだがうなずいた。
「そうか、私は怖くないか」
 目元に触れていた指先を、頬に移す。涙の後をなぞるように触れる。栞祢は私の顔を見つめている。涙は止まっているが、瞳は潤んだままだ。確かに、このような状態で一人きりで広間に戻すわけにはいかない。かといって、手水に一緒に連れて行き待たせておくわけにはいかない。広間ならば呉羽の人間のみだが、廊下など、それこそ、どこの誰が通るかわからない。連れて行かれては大変だ。
「仕方のない子だな」
――私はゆっくり手水に行くことも出来ないのか。
 そう思うと、またため息が出る。それに対して栞祢はしゅんと俯く。ほおっておけば泣き出すのだろう。本当に仕方のない子だと思う。
「ずっと傍にいてやるから泣くんじゃない」
 手水に行くことを諦めた。宴がお開きになるまで、我慢しよう。
 それから、私は栞祢を抱き上げて、その泣きはらした顔を誰にも見られないように懐に抱きこんで、広間に戻った。



2011/6/19

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