キュンとする10のお題 08 > novel index
[08] 目線が合う 【クロッカス家の花嫁 クラウス×彼女(名前がまだない)】

 惚気話にも二つある。自分がいかに相手に惚れているか話す者と、自分がいかに惚れられているか話す者。どっちも聞きたくはないが自慢話も兼ねる後者の方がより性質が悪いと思う。

 クロッカス家の当主であるクラウスとは年が近いこともあり小さな頃は一緒に過ごすことが多かった。ただ、気位が高く、傲慢なところがあり、年齢を重ねると徐々に距離が開いてくる。ところがここしばらく、毎日のように屋敷に呼び出しを受けている。今日も例外ではない。
「おい、ルーカス。聞いているのか」返事をせずにいれば不機嫌な声が飛んでくる。
「聞いているよ。君をじっと見てくるんだろう」うんざりしながら言えばクラウスはそれはそれは嬉しげに頷いた。
 紆余曲折の末に花嫁選定期間を終え、一人を選んだ。その花嫁が自分を好きで仕方ないらしく、クラウスが姿を現すと見つめてくると。要約するとそういう話なのだが、これは毎日、手を変え品を変え聞かされる。
 たとえば今日なら、三時過ぎに屋敷に戻ると彼女がテーブルに座っていた。ぱっと目が合ったが何も言わない。一緒にお茶をしたいのだろうなぁとわかったので傍に寄って座れば、彼女の手作りのクッキーがあった。彼女は恥ずかしげにしていたが、食べて欲しいということだろうと食べた。おいしいと言えば恥じらいながら笑った、と。
 ああ、そうですか。それはようございましたね。それを言うためにわざわざ僕を呼びだしたわけ? これだから友だちがいない人って困るよね。僕しか話す相手いないんだから。と嫌みの一つも言いたくなるが、言ったらきっと”やっかみ”と見なされて勝ち誇られるに違いないので黙る。
 一体、これはいつまで続くのだろう。まさかずっと? と思えば憂鬱で仕方がなかった。でも、まぁ、堅物の男が幸せそうならいいかぁ――と、呆れながらも微笑ましく思ってやるのがいいのかも。それが平和的な受け流し方だろう。
 これが、本当ならば。だが、この話には裏がある。裏というか、真実が。
 実のところクラウスの話は強烈なフィルターがかけられている。惚れられて仕方ないと言いながら、惚れているのはクラウスの方なのだ。
 先程の話を事実に基づくものへ戻せば、三時過ぎ、彼女は故郷恋しさで母親と一緒に作ったクッキーを焼いていた。貧しい農家の出身である彼女にとってクッキーを焼くというのは結構な贅沢であり、毎年誕生日に母親と一緒に作るのが大変な楽しみだった。それは本当に基本的な小麦粉にバター・牛乳・卵・砂糖を混ぜて焼いただけのものだが思い出プライスレスだ。焼き上がり、上機嫌で庭にあるテーブルに並べ、のんびりとしているところへクラウスが帰ってきた。彼女は驚いた。今日は遅くなると聞いていたから自由に過ごしていたのだ。どうしようか。迎えに出た方がいいのか。困惑しながらも、なんとなく出迎えそびれていたら、クラウスが庭に出てきた。出迎えなかったことを咎められるのかと彼女はビクつき俯いて身を固くしていたら、微妙な位置で立ち止まる。しばらくそうしていたが、動く気配はないので顔を上げると目が合う。その瞬間、蛇ににらまれた蛙のようにまた動けなくなる。そんなことお構いなしでクラウスは動きだし今度は傍まで来るとテーブルに座り、置かれたクッキーを見る。
「これはどうした?」
「……作りました」
「君が?」彼女は相変わらず視線を逸らすこともできないほど緊張している。クラウスの持つ威光は生まれ持ったものに、生まれ育った環境が合わさり、たいていの者がひれ伏してしまう。まして、クラウスと彼女の出会いは最悪で、彼女は今も尚、クラウスに怯えている(それをクラウスはまったく理解していないのが不思議で仕方ないが)。そのせいで、彼女が動けないのを、自分にクッキーを食べて欲しいが言い出せないので代わりに見つめているのだと解釈し、一つ手にとって口に入れた。彼女は息を飲むが、
「なかなかだな」クラウスは滅多なことで人を誉めないので、なかなかなんて台詞はたいそうな誉め言葉だ。彼女もそれは心得ているようだが、しかし素直には喜べない。屋敷の食事を担当している一流のシェフもろくすっぽ誉めない男が、素人の焼いた味気ないクッキーを誉めるなど不自然だ。嫌みで言っているのではないかと悪い方へ解釈し真っ赤な顔になる。しかし、脳天気なクラウスは照れていると解釈して彼女の頭を撫で回す。可愛くて仕方ないのはわかるが、一方それをされている彼女は硬直している。
 これが真相だ。
 つまりクラウスが言う"彼女が見てくる"は、正確には自分が傍に寄って行って見られるように仕向けている。自分が好きだから自然と目で追ってしまい、それに気付いて相手がこちらを見てくるから目線が合うだけであるのに、相手が自分を見てくるから目線が合うのだと勘違いする。そんな話はよくあるが、それそのものだ。全く少しも惚れられてなんかいない。そんなこともわからないほど惚れ込んでいる。正直、いかれている。自分の思い込みだけで睦まじい恋人だと思うなんて、恋は盲目で済んでいる間は良いが(いや、あまり済んでいない気もするが)下手すれば犯罪者だ。クロッカス家の嫡男が妄想恋愛だなんてスキャンダラス過ぎる。それはなんとしても避けたいわけだけど――僕がいくら諭したところでクラウスは聞く耳を持ちやしないだろう。ならば残るは彼女がクラウスを好きになってくれるしかない。しかし、それもそれで難しそうで……。
 って、どうして僕がこんなことで悩まなくちゃならないのか? 
 そもそも最初に彼女を気に入ったのは僕だったというのに、いつのまにかそんなことなかったことになっていて、惚気話(ただし捏造)を聞かされている。どんどんクラウスに都合良く進んでいるのだ。
 きっとこの調子で、最終的には彼女もクラウスのものになってしまうのだろうな。それが最初からの決めごとだったように。漠然とではあるがそんな未来を描けてしまう。もうなんだか脱力するしかないが。しかし、やはり神様は贔屓しすぎだとも思う。納得出来ないから彼女にはなんとしても自分の意志を強く持ち、流されず逃げ切ってほしいと願うが――たぶん、絶対無理だろう。



2012/9/3

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