
優しい音
「浅沼さん」
クラス委員長の彼が、同じく副委員長の彼女を呼ぶ。
現場を幾度も目撃している。
ある時、目撃しすぎじゃないか? と気づいた。そして知った。彼が、彼女の苗字を呼ぶ。その瞬間から目が離せずに釘づけになっていること。どんなに遠くにいても、バカな男子が大声で騒いでいても、彼が彼女の名を呼ぶ。その声はまっすぐ私の元へ届く。
哀しい。
彼の声は憂えていたから。
あんな声を聞いたことがなかった。
――ああ、彼は彼女に恋しているのだ。
だけどそれは叶わない恋だった。
浅沼さんには彼氏がいた。スポーツマンの。彼とは正反対の男の子。だから、彼が彼女の隣に立てるのは委員長としてだけだ。それでも彼は満足していたのかもしれない。見ているだけでも幸せだと穏やかな眼差しをしていた。
けれど、それも終わってしまった。
二学期になって、委員の再選出が行われた。
クラス委員など誰もやりたがらない。一学期のときは両方くじ引きだったけど、今回は副委員長だけだ。
運がいいのか悪いのか当たりを引き当てたのは私だ。
「近田さん」
委員会のとき、彼は私を呼びに来る。浅沼さんの時のように。だけど、そこに躊躇いも戸惑いもない。
「ごめんね」
「何?」
「浅沼さんみたいに役に立たないから」
彼が委員長に立候補したのは浅沼さんが引き継ぐことになると思ったからだろう。なり手がいない場合はたいてい同じ人がなる。一度なってしまったら他の生徒から推薦されてしまうのだ。だが、彼女は彼氏と同じ体育委員になってしまった。空白の副委員長の席に偶然おさまった私は、彼をがっかりさせたにちがいない。
そして、彼があの優しい声音で彼女の名を呼ぶこともなくなった。
私が好きだった光景は失われてしまった。
私自身が、それを奪ったようなものだ。
「何言ってんの、近田さんだってちゃんとやってるじゃないか」
彼は笑っていた。だけどやはり、彼女と話す時とは違う。
きっと彼は三学期の委員選びでは委員長に立候補したりはしないだろう。
いっそ私の名前が浅沼だったらよかった。
そしたら、少しはあんな風に呼んでくれただろうか?
――たとえそれが私への切なさではなくても。
彼の後ろを歩きながらそんなことばかり考えていた。
2009/12/2 執筆 「有刺鉄線」様よりお題拝借。
2011/7/28 加筆修正