
凛然グッド・バイ
女として愛されぬ身が、かように辛いものだとは思いませんでした。
恋をしておりました。相手は、世間でいう、幼馴染。そうはいっても、十も違いますから、共に遊んだ仲というより、私の面倒を見てくれていたという間柄。童女から、幼女、少女、娘へと変わる姿を、傍で見てくれていた人でした。
真面目で物静かな人で、初対面の方には畏怖を感じさせるようなところがございましたが、物心つく以前より傍におりました私はそのような気持ちを持ちませんでした。それよりも、さりげない優しさに、心魅かれるばかりで。私は恋をいたしました。
それが実ったのは十八の春。
私の父と、彼の父はいずれ私たちが結ばれることを願っておりましたが、彼はそれを了承したのでございます。私は嬉しくて、まさに人生の春を迎えました。ところが。
夫は、私を少しも愛してはくれませんでした。この身に触れてくることは、初夜にさえなかったのです。
はじめは、まだ年若な私と夫婦になり、時期を見ているのかと、のんきに構えていたものですが。されど、十八で嫁ぐことはそれほど珍しいことではありません。十六でも――十五の少女が嫁ぐこともあった時代でございます。十八といえば適齢期。それが。
夫にとって私は慈しむべき相手であり、愛する相手ではないのだと。
なれば、なにゆえ、夫婦になったのかと。
夫は真面目な人でしたから、周囲の期待に応えようと、そういうことだったのかと。
私にも意地というものがございます。矜持というものもございます。女として愛せぬと言うのならば、離縁していただきたいと申しました。出戻り女と呼ばれることは体裁の悪いことでございましたが、愛する人の傍で、愛されぬ時を闇雲に過ごすよりはとの決意でございます。ですが。
夫は「否」と。私のことを大切に思っている。それだけでは、いかぬのか、と。お前を手放す気はないと申しました。それは夫なりの愛だったのやもしれません。男女のそれとは違うなれど。一つの愛の形だと、認めることができたならば。
ですが私も「否」と。私は女として愛されたいのです。私の幸せはそれなのです。このまま夫婦を続けても私は苦しいばかり。辛いばかりなのですと。
話はしばらく平行線をたどりました。夫も不本意な嘘はつけぬ性分でございましたから、女として愛すなどけして言うことはなく。ただ、ひたすらの説得でございましたが、私もまた頑固で意固地な性分ゆえ、それを夫は重々承知しておりますから最期はもう――離縁すると。
別れを決めた夜、夫は私を抱きしめて眠りにつきました。むろん、そのような営みがあったわけではございません。ただ、幼子に添い寝をするような、遥か昔の記憶を手繰り寄せるような、切ない夜でございました。
何故、うまくいかないのか。
何故、幸せになれないのか。
私は、夫を愛しているし、夫も、私を大切にしてくれている。
それなのに、何故。
私が、幼かったのかと、思うこともありました。夫の示してくれる優しさに満足できない強欲さが幸せを壊したのかと。しかし、この心は満たされない。いかほど大事にされようとも、求めるものの質が違えば、満たされることはないのだと。なにゆえ、愛とは一つではないのかと恨みました。この世に、男女の愛のみであれば。あるいは、夫と私は本物の兄妹と生まれればよかったと。さすれば、この結びつきも、自然な形で成就したかもしれません。ですが、いかに傍で成長してきても、私は女で、夫は男で、血の繋がらぬ他人でしかなく。私は夫を一人の男として愛し、そのような情欲を抱かねば、一生涯傍にいられるものを与えられながら、それでもなかったことになど出来ぬほど。傍にいれぬとも、構わない。男女としての愛を貫くことを選ぶと――たとえそれが愚かな選択であろうと。
恋をしておりました。
私が、恋をしておりましたこと、それだけを真実に。
2011/9/10
※FreestyleのTo Be Continuedの姉妹作です。(「年の差幼馴染もの」、女として見てもらえないのシリーズ)
※この作品名はUgly duckling劇団の芝居から頂きました。