世界は片思いで出来ている。 みんなで幸せになりたかった。 > novel index
みんなで幸せになりたかった。
 ちょうどきっちり一週間後だった。
 幼い頃から好きだった隣の隣の家に住む周防透が隣の家に住む三河茜と付き合いだした。聞かされて一週間。私は家でお風呂掃除をしていた。母に頼まれたのだ。そんな気分じゃないと断ったけれど、気分でするものじゃない、手伝いなさいと強制的にやらされた。ご褒美に晩御飯はあんたの好きなえびフライにしてあげると言われた。私はもう子供じゃない。今年から中学生になったのだ。食べ物で釣ろうなんてあざとい。だけど逆らう気力さえなかったのでしぶしぶお風呂掃除をした。
 これでもかと浴槽にお風呂洗い用の洗剤をかけて、長いたわしでごしごしこする。乱暴にごしごしこすり続ける。毎日洗っているし、見たところ汚れはなかったけど、シャワーで流すと水が黒く濁っていた。泡立てすぎていて洗剤がなかなか流れきらない。排水口にもこもこと溜まっている。私はそこめがけてシャワーを当てる。ヘッドをもって上下に振りながら、これでもか、これでもか、と水を流し続ける。そしたら、唐突に泣けてきた。
「うわーん」
 まるで漫画みたいだ。うわーんなんて声をあげて泣く人間を漫画以外で見たことがない。私はそう思いながらも「うわーん」と声を荒げて泣いた。
 うわーん。うわーん。うわーん。
 胸が潰れる。痛い。苦しい。辛い。だけどそれは悲しいというのとは違うように思われた。私が知っている悲しみはこんなんじゃない。今までも悲しいことはいっぱいあった。でもこんな風になったことがない。こんな、呼吸の仕方を忘れてしまいそうなほど切羽詰まったりはしない。じゃあこれは何? 私の状況はどういうこと? 誰か説明してよ! と叫ぶ代わりに、懲りずにうわーん、うわーんと泣き続けた。
「あんた、何してるの?」
 掃除しに浴槽に入ったままなかなか出てこない私を心配して様子を見て来いとでも言われたのか、姉が驚きと呆れとを混ぜ合わせたような奇妙な顔で私を見て言った。なんだか馬鹿にされたようで、私は更に声をあげて泣いた。
 うわーん。うわーん。うわーん。
 みんな嫌いだー。みんな嫌いー。大っきらい。
 うわーん。うわーん。うわーん。
 もう何が何だかわからなかった。ただ、何かを言っておかなければいよいよ呼吸困難になる。このままでは生命の危機だ。これほど辛いのに、これほど痛いのに、それでもまだ生きようとしている自分の根性に後になって笑ったがその時は必死で意味不明な言葉を並べ立てた。

* * * 

「祝ってあげなさいとは言わないけど、二人ともあんたに気を使っているのよ。それはわかりなさいよ」
 あれから私はちょっとおいでと姉の部屋に引きずられて行った。
 あの二人というのは当然透さんと茜さんだ。 
 透さんと茜さんと姉は同じ年だ。大学も同じだ。幼い頃から三人は仲良しだった。そして私は三人の後にくっついて回った。すると姉は怒る。「あんたも自分の友だちを見つけなさい」と言う。それは随分ひどい言葉だ。透さんと茜さんと姉はたまたま同じ年で、家も隣同士で、仲良し幼馴染。でも私は違う。ただ年が離れているというだけで、幼馴染は幼馴染でも仲良しな幼馴染ではない。子どもの頃の年の差は大きいのだ。だけど、私に言わせればものすごく不公平だ。好きで年下に生まれたわけじゃない。だから私は怒られても怒られても三人の後ろをくっついて歩いた。すると透さんはいつも私を優しく構ってくれた。茜さんは姉をとりなしてくれる。そうやって大きくなったのだ。
「そんなの知らない!」
 私が透さんを好きなのは周知の事実だった。だから透さんも茜さんも私に気がねしていると聞かされて、私は腹が立った。そんなの知らない。気がねするなら付き合わなければいい。無茶苦茶で自分勝手な理屈を、姉は当然に注意してくる。「ガキ。お子ちゃま」と馬鹿にする。
「いいの! ガキでもお子ちゃまでも。ずっと私に気がねして別れちゃえばいいんだ!」
 言ってしまった後、流石にこれは言い過ぎたと一瞬思った。私は二人に不幸になってほしいわけではなかったから。ただ、私の透さんへの気持ちを成就させるには、二人に別れてもらうしかない。私は私の幸福のために、二人の不幸を祈らねばならない。そんな状況、本当は望んではいなかった。みんなで幸せになりたかった。でもそれはもう無理だ。透さんは茜さんが好きで、茜さんも透さんが好きで、どうしようもない。私だけ仲間外れ。いつもそう。いつだって。私はのけ者にされるのだ。
 姉はこんな酷いことを言う私を烈火のごとく叱りつけると思われた。だから私は俯いた。だけど姉は何も言わなかった。怒られるのは嫌だけど無言は辛い。もう完全に呆れられて怒ることさえ放棄したということか。見捨てられたと思ったら気持ちはますますささくれ立った。こうしてみんな私から離れていくのだと思うと涙があふれてくる。ところが、
「まぁ、私もあの二人のことを手放しにお祝いしているわけじゃないからね」
 え、っと思った。
 それはどういうことだろうか。姉ももしかして透さんを好きだったのだろうか。それとも二人が付き合いだしたことで仲良し三人組のバランスが崩れてしまうことが面白くないのだろうか。
 予想外の言葉に驚きを隠せずにいると
「私はあんたの姉だからね、妹を悲しませるなんて許せない」
 なんだそれ。私のため? 私が傷ついているから? なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ。これまで私をずっと邪魔者扱いしていたくせに何を言っているんだ。都合のいいこと言って。私は誤魔化されないし、騙されない。お姉ちゃんが私を怒ることはあっても、私のために怒るなんてそんなこと。
 だけど姉はいつになく優しい手つきで私の頭を撫でる。
 こんな時ばかり優しくするなんてズルイ。私が二人を許せないと思っているのに、お姉ちゃんまで許せないなんて言ったら困るじゃないか。窘める人間がいないとどうにもならなくなるじゃないか。私はもう二人を責められないじゃないか。ズルイ、ズルイ、ズルイ。
「うわーん。お姉ちゃんのバカー」
 持って行き場のない気持ちをぶつけるように大声で泣いたけれど、姉は無言のままで頭を撫でつづける。だから私は恥ずかしさでたまらなくなって唇を噛みしめた。



2011/11/29

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