世界は片思いで出来ている。 あと一歩 > novel index
あと一歩
 十二月二十三日。金曜日。
 兄宅でクリスマスパーティをするからとお呼ばれしている。
 何が悲しくて兄の家でクリスマスを祝うのだろう。何が悲しくて――いや、振られたことが悲しいのだけれど。うん、でも、まぁ、振られて当然か。とにかく彼氏が欲しい! という気持ちで付き合っていただけ。そりゃ振られるよ。「お前、別に俺のことが好きなわけじゃないじゃん」って言われて黙り込んじゃった私が悪い。苦々しげな顔をして去って行った彼を深く傷つけたのだと思う。クリスマスの直前で振られたのは、彼のささやかな復讐心だったのかもしれない。と、猛反省していたのだけれど。
 ところが。
 その彼は今頃、他の女とラブラブなのだ。実は私と二股をかけていたと知ったのは昨夜のこと。偶然バッタリ町で女の肩を抱いて歩いている彼と鉢合わせした。二人の空気感を見ているとどう考えても昨日、今日の付き合いではない。私と別れて一週間も経過していないのだから、つまりそれ以前からの付き合いなのだ。茫然と立ち尽くす私の傍を見下したような顔で通りすぎた。
――な、な、ななななな、なんて男っ!
 私のここ数日の彼に対する申し訳なさや罪悪感を返せー! と怒りが込み上げてくる。自分のことを棚上げしてなんだけれど憤慨した。最悪だ。ホントに。私も。彼も。最低最悪。
 これが所謂自業自得というのかなぁ。
 ろくでもない女にはろくでもない男がつく。やっぱりちゃんと"その人"を好きじゃないと。恋人がほしいだけで付き合っちゃいけないんだと。私は身を持って痛感したのだ。
 だけど。
 だけど、だけど、だけど、と言いたい気持ちがある。"その人"って思える相手がいて、すっごく好きな相手が出来て、付き合いたい、恋人になりたいって思っても、なれるとは限らないじゃん。その人も私を好きになってくれる保証なんてないじゃん。つーか、なってくれないことの方が多い。つーか、つーか、なってくれない――そう。私は"本当に好きな人"には見向きもされない哀れな女なのだ。
「結華ちゃん、食べてる?」
「あ、はい。いただいてます」
 むなしさにため息がこぼれそうになっていると兄嫁の多佳子さんがすすめてくれる。テーブルに並べられた料理の中から私はフライドチキンを一本手にとってかぶりついた。
 十歳年の離れた兄が結婚したのは三年前だ。二人は職場結婚で、多佳子さんは兄より二歳年上。私とはちょうど一回り差だ。一人っ子で昔から妹が欲しいと思っていたらしく、私をとても可愛がってくれる。今日も、私の傷心を励ますためにクリスマスパーティを開き招いてくれたのだ。
「そこそこにしておいた方がいいんじゃないの? 年末年始は何かと食べ過ぎるし」
 隣から声がする。そちらを見ると、ふふっと人の良さそうな笑みを浮かべながら厭味ったらしいことを言う男と視線が合う。雨宮成人だ。
 人の気も知らないで、と私はイライラする。
 雨宮成人。この男こそ、私の思い人である。
 兄と多佳子さんの会社の後輩で、初めて出会ったのは三年前。兄の結婚式だった。私は当時、高校生で、彼は社会人になりたての二十三歳だった。兄に初めて出来た部下で、大学進学を機に上京してきてから田舎に帰らずこちらで就職をした。一人暮らしが長く"家庭の味"に飢えているらしく、兄の新居によく遊びに来て公私ともに仲がいい。だから私が兄の家に遊びに行くと度々顔を合わせた。最初のうちはよそよそしかったけれど、会っていれば自然とうちとけてくる。六歳違いではあったけれど、兄と十歳も離れている私には雨宮成人の方がずっと話も合ったし、一緒にいて居心地が良かった。
 それが恋心だと自覚したのは二年前。たぶん、それ以前からゆっくりと想いを重ねていたのだろうけれど、大学合格が決まったとき確定的になった。
 私は兄の家で勉強を見てもらうことがよくあったのだけれど、兄も多佳子さんも文系で(多佳子さんは帰国子女で英語が得意なのだ!)、そっち方面は強いけれど、数学と生物はからっきし。そこに登場したのが雨宮成人だ。ばりばりの理系で私は教えを乞うた。その甲斐もあって志望校に合格できた。嬉しくって兄に電話して「雨宮さんにもよろしく伝えておいて」と告げたけれど、そういうことは自分の口から言いなさいと叱られた。そうしたいのは山々だけど、連絡先を知らない。と言えば、雨宮成人の携帯番号を教えられた。ええ? 人の携帯番号を勝手に教えてもいいの!? と私は戸惑ったけど、先輩だからいいのだと無茶苦茶な理由を述べられた。それからちゃんとお礼を言っておけよ、とも。だから私は夜、おそらく自宅にいるだろう時間に電話をかけた。
「はい。雨宮です」
 普段、兄の家で会っているときとは違う声音だ。いつもと異なることに私は緊張した。
「もしもし?」
 黙っていると不審げに問われる。いけない、と慌てる。
「あ、すみません。結華ですけど」
「……え? 結華ちゃん? どうして……」
 更に不審げな声になる。だから私ももっと慌てて、
「あの、実は大学合格して、それで兄に電話したら、雨宮さんの番号を教えてもらったんです。って今電話大丈夫ですか?」
 明らかに言葉足らずだった。でも雨宮成人はそれでも私の言わんとしていることを理解してくれた様子で、ただ、少しだけ意外そうに、
「ああ、うん。家にいるから。それより、僕の携帯番号、岩永さんが教えたの? 仙崎さんではなく?」
「はい。兄がですけど」
 雨宮成人は兄ではなく多佳子さんが自分の番号を教えるならありえるけれど、兄はそんなことをしないと思っているような口ぶりだった。いやいや、多佳子さんだって間違っても本人に無断で携帯番号を教えるような人じゃない。そんなこと言ったら兄だってそうだけど。だから私も今回の暴挙――というのは言い過ぎかもしれないけれど、この兄の行動にはちょっとばかり驚いたのだが。
「……そっか。ちょっとは認めてくれてるってことかな」
「認める?」
「ああ、いや。こっちの話……というか大学合格おめでとう」
「いえ、こちらこそ。勉強教えていただきありがと――」と言い終える前に、「きゃぁぁ」と電話口の向こうから悲鳴が聞こえた。
「ちょ、え……」と驚いた雨宮成人の声が聞こえたかと思うと、「ごめん。ちょっとトラブルが起きたから。またね」と早口に言われて電話が切られた。私はツーツーツーと無機質な音を出す受話器をしばらく耳から離せずに立ちつくす。
――女の人の悲鳴だった。
 夜、八時を過ぎても一緒に家にいる女性って。
――彼女いたんだ。
 当然なのかもしれない。そのような話、したことはなかったけど、彼女がいてもおかしくない。何故、そのことを考えなかったのか。私は狼狽えた。ビリリとした痛みが体中を駆け巡り悲鳴を上げそうだった。何をこれほど動揺しているのか。
 これまでも、親しい男友達に恋人が出来てしまって、ちょっと寂しいなぁとか、面白くないなぁという気持ちを感じたことはあった。それに似ているけれど、もっと深く突き刺されるように辛い。それは明らかな嫉妬だった。私は嫉妬している。雨宮成人の彼女に。私は、
 雨宮成人を好きなのだ。
 ついてなさすぎる。そもそもが"お世話になっている先輩の妹"というポジションで、"女"としてちっとも見られていないのに。おまけに恋人までいると判明した。それなのに、好きだと気付くなんて。前途多難な恋を自覚するなんて。こんな悲しいことがある?
 だから私はこの気持ちを封印することに決めた。
 大学に入れば新しい出会いだってある。そしたら、すぐに別の人に恋をするだろう。彼氏だって出来るに違いない。雨宮成人に対する気持ちは、憧れとかそういうものだと思うことにした。そして、必死に頑張った末に、私は恋人を作った。ようやく出来た彼氏。だけどその男とは"ああいう結末"を迎えて撃沈したのだ。馬鹿としかいいようがない間抜けさだった。
「別に太ったっていいんです」
 隣で笑う雨宮成人にふてくされた声で私は返した。傷心の根本的な原因は雨宮成人に他ならない。それなのに雨宮成人は何も知らず、私の食べ過ぎを笑っている。あんまりだと思う。
 だけど、私の気持ちなど少しも理解しない雨宮成人は、
「そうだね。僕もちょっとぽちゃっとした子の方がタイプだし」
 カチンとくる。雨宮成人の好みのタイプなんて知りたくない。知ったところで、そうなったところで、私を彼女にしてくれるわけでもないのだ。それなのに平然と言ってのける。なんのつもりだ。いや、何かのつもりがあればまだいい。ただ何気なく言っただけ。それが雨宮成人に惚れている者には"気を持たすような台詞"であるなんて無自覚なのだ。迂闊さに私はムカムカした。だいたい、どうして雨宮成人までがここにいるのだ。明日のクリスマスイブは彼女と過ごすのだろうに、今日もお祝いするなんて、そんなのズルイじゃないか。クリスマスを祝うのは一年に一度だけにするべきだ。
 それはまったくもって理不尽な怒りだったけれど、私は心で悪態をついた。でも流石に言葉には出来ないから、黙ってチキンを食べ続けた。

* * *

 ゴホン。と咳払いがして正面に座る岩永さんを見る。眉間に皺を寄せている。今しがたの僕の言ったことがお気に召さないらしい。これぐらいのこと言ってもいいんじゃないのか? とシスコンぶりにはちょっとばかり困る。
 失敗したよなぁ。
 どうして僕は岩永さんに言ってしまったのだろうか。
 "あの時"の自分を呪う。いや、でも、それが一番いいように思えたのだ。
 三年前――岩永さんの結婚式で、僕はコバルトブルーのドレスに身を包んだ女性に一目惚れした。その人が岩永さんの妹と知り紹介して欲しいと懇願したのだ。我ながらその行動力には驚いた。これまで幾度か恋をしたことはあったが情熱的な気持ちを感じたことがなかったから。僕はきっと恋愛ごとには淡泊なのだとばかり思っていた。だけど、それは間違いで、出会うべく人に出会っていなかっただけなのだ。その人に出会ってしまえば熱くたぎるような気持ちを持つのだ。嬉しくて仕方ない。だが、
「ダメだ。紹介はできない」
 岩永さんの返事は冷たい。なんでなんですか!? と僕は詰め寄った。すると返ってきたのは意外なもので、
「あいつはまだ未成年だからだ」
 え? 
 えええええええ?
 いや、確かに年若い感じはした。化粧をしていたけれども、何処となく不慣れさがあり、若いんだろうなぁと思っていた。だけど、まさか、未成年だなんて。そんな――動揺する僕にとどめをさすように。
「手を出したら犯罪だからな。諦めろ」
 冷やかに告げられて、僕は何も言えなかった。
 だが、一度走り出した恋心が簡単に消えるわけがなく。それならば彼女が成人するまで待ちます! と宣言したのだが。それでも大反対された。年齢に関係なく、年の離れた妹を溺愛する岩永さんは妹に近づく男を快く思わないと知る。そんなぁ――と再び落胆する僕を援護してくれたのが仙崎さんだ。
「恋愛は自由でしょ。あなたがチャンスを潰すなんておかしいわよ」
 職場では厳しくて恐れられている仙崎さんだがその時は女神様に見えた。惚れた弱みか、岩永さんはそれ以上は反対することはなく。あれから三年。十一月生まれの彼女が誕生日を迎え、ようやく二十歳になった。これで晴れて堂々とアプローチ出来ると思っていたのだが。
 やっとここまできたのに、こともあろうに彼女には恋人が出来ていた。
 信じられない。岩永さんは何をしていたのだ。僕を牽制するなら、他の男も牽制するべきだろう。目の前が真っ暗になった。だが幸いなことに、と言えば彼女には申し訳ないがその男とはすぐに別れたようだった。ああ、これで今度こそアプローチが……と思っていたら、またしても岩永さんが「傷心につけこむような真似はするな」と言ってくるし。僕ってつくづくついていない。それでも一応は"解禁"になっているし、それとなーくアプローチをしてみようと。そんな僕を応援してくれている仙崎さんの計らいでクリスマスパーティを開いてくれた。
 しかし――隣に座る彼女をチラリと見る。
 フライドチキンに齧りついて黙々と食べている。これはどう考えてもやけ食いだ。失恋の悲しみを食べ物で晴らそうとしているのだろう。持って行き場のない感情を食べることで発散させる。子どもっぽい行動だが、そういう態度も可愛いと感じる。
 反面、頭の中は元彼のことでいっぱいなのだろうなぁと虚しくもなる。君を袖にするような男、ろくな野郎じゃない。そんな奴のことで悲しむなんてやめて、僕と、と言いたい。いや、でも、彼女にとって僕は視界にさえ入っていないのだろう。兄の会社の後輩という存在だ。会うのも岩永さんの家でのみ。個人的な付き合いなんて全くないのだから。
 ああ、でも一応携帯番号は知っている。
 二年前。大学に合格したと電話をくれたのだ。まさか彼女からかかってくるとは驚いた。勉強をみてあげていたのでお礼の電話だ。岩永さんが僕の携帯番号を教えたらしい。約束を守って時期を待つ僕の気持ちを多少は認めてくれているのかなぁと嬉しくなりながら、これを機にちょっとは親しくなれるようにという気持ちはあった。ところが――ちょうどその時、姉が上京してきていて、手料理を振舞ってくれ、食べ終えて、片づけをしている最中だった。そそっかしいところのある姉は、鍋を炊事場に運ぶ途中で足を滑らせてひっくり返してしまった。右手を押さえてうずくまる姿に火傷でもしたのかと、だから彼女の電話をすぐに切ってしまった。幸い、火傷は大したことはなかったが。せっかくの彼女からの電話を早々に切り上げねばならなかった僕はやはりついていなかった。それでも、事態が落ち着いて折り返し電話をかけたが、彼女はそっけなく、すぐに電話を切られたのだ。もう御礼は言ったのになんでまたかけてくるの? とでも思われていたのだろう。それ以来、敷居が高くてかけていない。ただ番号をメモリ登録だけはしたけれど。
 せめて、直接連絡を取り合えるぐらいには親しくなりたいよなぁ。
 フライドチキンを齧り続ける彼女。その姿に、前途は多難だとため息が出そうだった。



2011/12/18

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