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To Be Continued

 小さな頃は信じていられた。私が世界で一番、彼を好きって自信があったの。でも今は、唯一残ってたそれさえも揺らいじゃったよ。

「恋がしたい。恋がしたい、恋がしたい、恋がしたい」
 私が言うと、みんな、目を丸くした。
「してるじゃん」
「違う。実りのある恋がしたんだよ」
 すると、今度は納得顔をされた。ああ、やっぱり私が相手にされていないのは周知の事実なのかと愕然となる。自分で言うのと、人から反応されるのは、違うのだ。そこはちょっと否定してほしかったけど、と思う私は我儘なのだろうけれど。
「でもさぁ、これまでずっと『他の人じゃダメなの〜』って言っていたのに、一体全体どういう心境の変化? 何があったの?」
「私も大人になったのです」
「なにそれ?」
 ゲラゲラ笑われる。だけど、そうとしか言いようがないから仕方ない。私は大人になったのだ。大人になる――それは純粋さを失うと言う意味で。ただ好きでいることが楽しくて嬉しくて満足。そういう気持ちが少しずつ陰ってきた。見返りを求めない愛なんだと。私の気持ちはそうなんだと。真剣に思っていた頃が恥ずかしい。私の気持ちはそんな偉大なものではない。ただ、子どもだったのだ。愛を返されない辛さを知らない。子どもだっただけなのだ。
「好かれる恋をしたい」
 私はもう一度言った。
「うん。じゃ、その前に、今の気持ちにけじめつかないとね」
 ゲラゲラ笑う友人の中、一人だけ、真面目な顔で私に言ったのは南ちゃんだった。私の決意は彼女にだけは正確に伝わっているらしい。私はふにゃりと笑った。涙が出そうなのを誤魔化すように。

 なんだかんだいいながら、ずーっと諦めきれずにいたのは、何故だったんだろう。

 けじめをつけると決めてから、どんな風にしたら、けじめがつくのかわからず、考えはそこに流れた。
 ちょっとでも脈があると感じていた? 私の気持ちを最後は受けとめてもらえるとどこかで信じていた? ああ、そうだなーと。彼は優しかったから。小さな頃から知る私に対し、あからさまに迷惑がったり、嫌がったりすることはなかった。ただそれは、愛されているわけでも、女の子として扱われているわけではないのだと、近頃になってようやく知った。というより、認めざるをえなくなったのだ。
 きっかけは、二週間前。大雨の降った日だった。
 彼は女の人と一緒だった。職場が同じ人。社員旅行の写真を見せてもらったことがある。間違いない。駅前で、雨に濡れた二人はしっとりとしていい雰囲気だった。色気があるというのかなー。彼女は雨水に濡れて、ほんの少しだけ衣服の中が透けて見えそうな。彼はそれをわかっていて、指摘するのも出来ず、かといってそのまま放置することも出来ず、彼女を庇うようにして前に立っていた。彼女はそれを黙って受け入れて、彼の背中に守られるようにして少し恥ずかしげに俯き加減で立っていた。
――なんて綺麗な二人なんだろう。
 それを見て、泣きたくなったのだ。
 私が相手ならば、こういう態度にはならない。周囲の目から守るようなことにはならない。守らなければならない色気もない。無遠慮に「風邪ひくぞ」とわしゃわしゃと濡れた髪を撫であげて乾かしてくれることはあっても。そうやって子どもの面倒をみる保護者という態度をとることはあっても。
 その時、初めて思ったの。「私は恋愛対象外」という事実。
 ああ、そっかーと思ったら、急激に腹が立って、イライラして、それからしばらくしたら絶望的に悲しくなったのだ。

 ピンポーンとインターフォンを鳴らし、しばしして開く扉。
 彼が出迎えてくれる。私はするりと中に入る。
 五年前、彼の両親は相次いで亡くなり、それより前から家族ぐるみで付き合っていたうちの母は、男の一人暮らしは大変だろうと、週に一度、彼のために家庭料理を作って、私がそれを持っていく。これまで続いてきた日常を、彼を諦めるからと突然にやめることもできず、というより諦めきれない未練が私を彼宅に向かわせた。往生際の悪さは天下一品だなと自分でも思う。
 キッチンで、タッパからお皿に料理をうつし、冷凍するもの、冷蔵庫にいれるものを小分けにして整理する。それから今日の分の夕食をお皿に盛りつける。いつもならここで、
「先にお風呂にするー? それともご飯? それとも私?」
 なんてことを言う。それがこれまでの私だ。毎週飽きもせず、懲りもせず、していたわけ。たぶん、こういうところが子ども扱いされるんだろうなぁと思いながら。
 でも、今日は違う。私も新たな一歩を進むのだと決めたのだ。だから最後の「それとも私?」は言わずにおいた。そしたら、何か言ってくれるかなぁーなんてちょっとだけ期待して。いつもとちがうじゃんって、突っ込んでくれるかなぁ、と。だけど、彼は全然意にも介さず、
「風呂、沸いたところだから入ってくる。帰ってていいからな」
 つれなさすぎる台詞が返ってくる。
 その態度に、私は決意なんてどこへやらで、
「お背中流しましょうか?」
 そんな言葉が口から出る。そしたら「結構だ」と冷たく返されて、ますます私は意固地になって、
「えーいいじゃん。新婚さんごっごみたいで」
「……ごっごって、お前はいつまでも子どもだな」
 呆れかえった声が聞こえた。
 そして私はしまったとの後悔。
 それから、そうだったらよかったのになぁ、と少しだけ思う。いつまでもずっと子どものままでいたかった。そしたら、私はこの気持ちをずっとずっとずーっと貫いていられたのだ。でも私はね、ちゃんと大人になったんだよ。いつまでも子どもじゃないんだよ。だからさ、もう、やっぱり、終わらせなきゃならないんだって――悲しくなった。だけど、それを茶化して、
「ひどーい。私だってちゃんと成長してるんだから!」
 ふてくされて見せる。彼はうんざりしながら「どこが?」と言う。何度も繰り返されてきた会話だ。だけど、それだってもうおしまい。
「大好き」
 私は彼の背中に抱きついた。
 彼はそれを払いもせず、慣れた様子で受け流す。
「大好き。大好き」
 未来のない恋に、それでも別れの言葉をまだ言えず、さよならの代わりに大好きと。そんな気持ちなどちっともわかっていない彼は最後には「はいはい」と言って私の頭を撫でた。
 ああ、ホント、なんて不毛。ホントにホントに、もうやめよう。
「大好き」
 もう一度だけ呟いた。

 転機は唐突にきた。

 彼がお見合いをすることになった。
 日曜日。私はまた彼の家を訪れて、タッパからお皿に移し替え、夕食分を運んだら、ダイニングテーブルの上にソレがあったのだ。
 どうしてそのような目立つ所に置いてあるのか。私に見せつけようとしている? ――と一瞬脳裏に過った。自分は見合いをするから、もう馬鹿みたいに好き好き言うなよ、という牽制? なんてことを思った。だけど、それはないなと思いなおす。鼻から彼は私の告白なんて相手にしていない。いつだって軽く受け流していた。たまたま、テーブルに置いただけだろう。何の意図もなく。意図がある方がまだましだと思えるほど、何気なく。私にそれを見つけられても、彼は何とも思わないのだろう。
 思わず動きを止めてしまった私を、彼は不審に思ったらしく視線を感じた。
 どうしようか。知らない振りをして、みなかったことにしようか。とも思ったけど、それはそれでわざとらしいから、
「……お見合いするの?」
 自分でも驚くほど静かに告げた。
 彼は答えない。
 私には関係がないから、答えないのだろうか。
「寂しいな、」
――でも、仕方ないよね。
 そう言えた自分を、私は誉めてやりたかった。
 駄々こねて「お見合いなんて行かないでよー」と少し前の私なら絶対言ってた。大号泣して、そんなことできっと覆らないだろうけれど、それでもわんわん泣いて引きとめていただろう。それが。
 少しずつ、少しずつ、でも確実に、私はけじめをつけていたんだなぁ。と思った。そして、けじめというのは、バサっとつくものではなくて、こうやって一進一退で、でもちゃんとつけられるものなのだと知った。
 そんな私に、相変わらず彼は何も言わない。沈黙が辛い。何も言ってくれないなら、私が何か言わなければ。それかここから逃げ出すか。だけど、体は思うように動かなくて、
「そっか。じゃあ、私はもうここには来れないね」
「いきなり話が飛ぶなぁ」
 ようやくの彼の声だった。
「だってそうでしょ? もし私がお見合い相手だったら、他の女がしょっちゅう出入りしてる人なんて嫌だもの。だから、私はもうこないよ」
「そんなこと、お前が気にすることはないよ」
 それはどういう意味なのだろうか。
 私は真っ直ぐに彼の目を見た。
「それは私が子どもだから、女としてカウントにはいらないって意味? それともその女性が大人だから、私の存在なんて気にするわけがないって意味?」
 あんまりだ、と思う。
 ずっと、ずっと、馬鹿みたいに、
「私はしょうちゃんが好きだったよ。隣の家に住むお兄ちゃんとしてではなくて、一人の男の人として。大好きだった。たとえしょうちゃんにとって私が女ではなくてもね。だから、もう、ここにはこない。バイバイ」
 言えずにいた言葉が、スルリと出たことに私は驚いた。驚きながら、言ってしまったからには後戻りは出来ないと。妙に冷めた頭が告げた。

 一体、何してるんだろ。
 彼の家の前。インターフォンを睨みつけて思う。
 あれから一週間。また日曜日が来たわけだけど。大啖呵を切ったのだから、本気で、二度と彼の家に行く気なんてなかった。それなのに、
「ほら、出来たからもっててー」
 何も知らない母が、のんきにタッパを渡してきた。
 私は最初断ったのだ。お母さんがいけばいいじゃない、と。だけど母は怯まない。いつもなら何かにつけて彼の家に行こうとする私が、初めて拒否する言葉を言っているのだ。普通は何かあったの? とか聞くものではないか。それなのに、そのことにはまったく突っ込まず(母はちょっと天然だから、察してよというのは無理な話なのだけど、こういう時、恨めしく思う。) 、
「お母さんが行くと、しょうくん気を使うでしょう。あんたなら平気じゃない。兄妹みたいなものだし」
 そして天然の母によって私は傷口をえぐられて、無理やりにタッパを持たされて家を出さされ、今に至る。

 しーかーしー。

 流石に、インターフォンを押すのは勇気がいる。
 これ、かなり、勇気がいる。
 帰りたい。帰りたい、帰りたい。けど。私は清水の舞台どころか、スカイツリーぐらいから飛び降りる気持ちでインターフォンを押した。
 唱える言葉はただ一つ。

『タッパだけ渡して帰ろう』

 元々は、そうだったのだ。彼にタッパを渡して、食べ終えたら返してもらう。だけど私は少しでも彼と一緒にいたくて、無理やり家にあがりこんで、タッパからお皿に移し替えるという行為をしていただけで。タッパを渡せば事足りていたのだ。だから、今回からはそうする。それなら家には上がらずにすむ。あの啖呵だって嘘にはならない。
 そんな言い訳をしていると、ゆっくりと扉が開いた。
 でも、
――え?
 私は声を失った。彼がひどくしんどそうな顔をして立っていたから。その姿にいっぺんに気まずさは消え失せる。
「どうしたの? 風邪? 熱があるの?」
 彼は無言で部屋の中に戻る。私は躊躇わずそれを追う。心なしかふらふらしている背中を追いかけてリビングにつくと、更に唖然となる。部屋が汚い。潔癖症とまではいかずとも、いつも綺麗に片づけられているのに。私の部屋よりずっと綺麗なのに。今日は、衣服が散乱しているし、缶ビールやら、食べ残しやらが、テーブルにのせられている。初めて見る光景に驚いていると、彼は寝室に入ってしまう。
 よほど、しんどいのだろうか。何があったのだろう。心配して覗くと、ベッドに横になっている。話を聞きたいけれど……とにかく、部屋を片付けた方がいいし、食事と取らせた方がいい。私はまず掃除から始めることにした。

 おかゆなら食べられるだろうと、作って寝室に持っていく。
 眠っているかな、と少し心配だったけど、彼は私の姿を見ると体を起こした。
「食べられる?」
 お椀にとりわけて渡すと、受け取ってくれた。だけど、まだ無言だ。
「無理しなくていいよ?」
 告げたけれど、彼は食べ始めた。食欲はあるらしい。これなら安心かな、とちょっと思う。一杯目を食べ終えたので、
「まだ食べる?」
 と聞くと、やはり無言でお椀を渡された。先程と同じぐらいの量をよそって渡すと食べ始める。その様子を見つめていると、急激に現実と言うか、自分の立場を思い出して、はっとなる。私はここで悠長に彼が食事をする光景を眺めている状況ではないはずだ、と。まぁ、今回は緊急事態だから仕方ないかと取り繕うことを思いつつ、
「……他にしてほしいこと、ある?」
 ここまできたら、全うするべきと腹を決めて尋ねた。
 彼は食べる手を止める。
 何か、あるのかと待っていると、
「けっこう堪えてる」
 ぼそりと言った。
「うん。今年の風邪はきついらしいから」
 私も答える。けど、
「違う。決別宣言されるとは思ってなかったから、言われてビックリして。それからなんか気力を失ったと言うかな……」
 彼はようやく私を見た。その目の中に映り込む私の顔は間抜けだった。言っている意味が上手く飲み込めないのだから仕方ない。
「見合い写真を見たら、ダダこねて喚き散らすだろうなぁと思ってたからさ」
 それはつまり、わざと私に見合い写真を見せたってこと?
「そしたら、あっさり仕方ないって言われるから驚いた」
「泣いて引きとめてほしかったの?」
「……当然そうなると思ってたって話」
 引きとめてほしかったわけではないのか。
 何が言いたいのか、私はよくわからなかったけど、彼の表情から、彼自身も何を言っているのか分かっていない様子だった。ただ、ぽつりぽつりとその時の気持ちを正確に告げられている。そういうことなのだろう。何事も、明確な説明がつくとは限らないものだ。ただ、わかっているのは、私が予想にない態度をして彼が混乱していたこと。その混乱が意味するものが何か。私はそれを知りないのだけれど。
「決別宣言は堪えた」
 彼はもう一度そう言った。
「私に好かれていたいってこと?」
「顔が見れなくなるのは嫌だと思う」
「それって女として好きってこと?」
「さぁ」
 なんだ、その曖昧な答え。そんなこと言われて私はどうしたらいいのだろう。どうすればいいのだろう。さっぱりわからなくて俯くと、そっと頭に触れる手。撫でる仕草は、やはり子ども扱いなのだと。やっぱり女と見てるわけじゃないってことだ、と。そう結論付けようとしたときだった。
「だけど、妹と思ってる相手にキスしたいとかは思わないからな」
 と声がして反射的に顔を上げた瞬間、ふっと唇に温かい感触がして、何が何だかわからなくて「ひやぁ」っと悲鳴をあげると、
「やっぱり子どもだな」
 告げられた言葉に、私は怒り狂ったけど、顔が笑っていたからきっとちっとも怖くなかったに違いない。



2011/9/12

※世界は片思いで出来ている。の凛然グッド・バイの姉妹作です。(「年の差幼馴染もの」、女として見てもらえないのシリーズ)

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