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春待月 Side 月子 ―― とりあえず、の 


「しっかしなぁ、女のために土下座までするかね。愛されてるなー相葉月子」
 日曜日の昼下がり。央介と付き合いだして初めての休日。初デートは映画を観る予定にしていた。すると、どこで私たちの居場所を聞きつけたのか上映時間までスタバでお茶をしていたら、突然水瀬が現れて、合流してきた。そして、嫌味たっぷりに言ったのだ。
 あの告白劇の後、水瀬と私の正確な関係――つまり、別に好きあって付き合っているわけじゃないこと――を告げた。央介はそれなら自分が話をつけると言い出した。水瀬とのことは私が自分で決着をつけるべきだし、何より二人を会わせるのは大変気が進まないので拒否したのだが、勢いに負けて連れて行かされた。いつも、私が嫌がることはしない央介が、あんなに強引になったのは初めてで断りきれなかったのだ。
 私たちが連れ立って行くと、水瀬は、
「そうか、うまくいったか」
 とニヤリとまた人の悪い笑顔を浮かべた。何か企んでいる。そう、思った。そしたら案の定、
「じゃ、土下座でもしてもらいましょうかね」
「ちょっと水瀬!」
「言ったろ? 男が土下座したら、別れてやってもいいって」
 それは冗談じゃなかったのか。まさか本気で要求するなんて――バカじゃないのか。するわけないじゃない。でも、
「わかった」
 そして止める暇もなく央介は土下座した。びっくりした。それは水瀬も同様で、
「……すげー。真剣じゃん。恐いわー。相葉月子、いいのか。こいつと付き合ったら最後だぞ? こんな本気な男、絶対逃れられん。考え直すなら今がラストチャンスだ。やめといたほうが無難だ」
 水瀬の言葉に、私は笑うしかなかった。立ち上がった央介が冷ややかな眼差しを水瀬に向け、それから私に向き直って言った。
「月子、そんな男の言うことなんて気にするな。もうこいつとはなんの関係もないんだから。さあ、帰ろう」
 笑顔だ。先ほどの土下座なんてまるでなかったような。サッパリとした顔で。それがまた恐い。水瀬の言うことは案外当たっているかもしれない。――逃れられない――でも、甘く微笑む嬉しそうな央介を見ているとそれもいいかと思った。
「ってかさ、なんでお前がここにいるわけ?」
「暇だから?」
「どんだけ暇だよ。帰れよ」
「なんだよ。男のやきもちは嫌われるぞ? 心の狭い男だな」
「おまえな、」
 央介と水瀬のやりとりを聞きながら、実はこの二人を案外気が合うのではないかと内心思っている。央介も水瀬も「アジャッシュ」というちょっとマニアックなバンドが好きだし、着ている服のブランドもなんだか似ている。趣味が合う、というやつだ。そして、なんだかんだと私を置いてけぼりにしてどんどん会話を進めるし。小学生みたいな言い争いをしている。楽しそうだ。二人を見つめながらココアに口をつける。
「――ッツ」
 舌を火傷してしまった。どうしてココアという飲み物は冷ましても冷ましても熱いのだろう。十中八九、火傷をしてしまう。今回も、例にもれず。
「猫舌なんだから気をつけろよ」
 私の異変に気づいて、央介が水を渡してくれた。
「お前、よく見てるなぁ。恋人というより、娘を見守る父親レベルだぞ、それ」
 呆れた、と水瀬が言った。私は渡された水に浮かんでいる氷を口に含んだ。まだ少しだけ舌がヒリヒリするけれど気持ちがいい。
「誰が父親だ。失礼なことを言うな」
「ベタベタ甘やかすと女はつけあがるんだぞ。そのうち手に負えなくなっても知らんからな」
「お前に知ってもらわんでも結構。第一こんなの別に甘やかしてるうちにはいらんだろ。普通だ」
「……お前の普通が俺にはわからん。月子はこんなんでいいのか? 鬱陶しいだろう?」
 水瀬が話を振ってくる。
「いや……別に、そんなでもないよ」
 思えば、昔から、央介は過保護だったし。付き合い始めて拍車がかかった気もするが、でも、嫌ではなかった。きっと他の人にされたら、すごく鬱陶しいのだろうけれど、央介にあれこれ面倒をみてもらうのは好きだった。そんなことを言うと水瀬はわざとらしくため息をついた。
「割れ鍋に綴じ蓋カップルだな。目も当てられん。俺は帰るぞ」
「誰もとめてないから。とっとと帰れ」
 そして、水瀬は帰って行った。本当に、一体何をしに来たのだろう。疑問を口にすると、
「あいつ、これからコンパだってさ」
「そうなの?」
「ご苦労なことで」
 いつのまにそんな話をしたんだろう。やはりこの二人は仲がいいのだろうか。
「それより、舌、大丈夫か」
 そう言って、央介は私の顎に触れてきた。
「口開けてみろよ」
「嫌だよ、恥ずかしい」
「皮がめくれてたりしたら大変だろ?」
「そこまで熱いの飲んでないって」
――どれだけ心配症なのだ。
「それより、もう時間なんじゃない? そろそろ行こう」
 上映開始の十分前から会場可能だ。今から行けば丁度いい時間だろう。
 店を出ると央介が手を繋いできた。不思議な感じだ。二年前、傷つけられたと泣いた日。かじかんだ心で、何にもかもが色褪せて見えた。信じていたものがすべて偽りだったと、確かめることもせずに諦めた。世界を凍結させて、暗く寒い場所で、辛くて悲しいと嘆くばかりだった。あの頃の、幼い私に伝えてあげたい。ちゃんと周りを見さえすれば、いつだってこの手が傍にあったこと。繋がれた手を握り返すと、更にギュッと握り返してくれた。もうけして離れない。厳しい冬の終わりに訪れる柔らかな春のように、長い長いすれ違いの先にたどりついた温もりを大切にしようと思った。【完】




2010/2/10
2010/2/16 加筆修正

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