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春待月 Side 央介 ―― 情けない男  


 立ち寄らなければよかった。
 CDを受け取りにいったショップで、よりにもよって月子とあの男のツーショットを目撃してしまうなんて。自分の気持ちを告げようとした途端、あんな光景を見るとは何かの警告なのか。完全に出鼻をくじかれた。このままではいけないと、とりあえず近所の公園のベンチで気持ちを落ち着かせている。きっとひどくみじめな顔をしているに違いない。こんな姿誰にも見られたくはなかった。だが、
「央介」
 本当に、どこまでも、タイミングが悪い。――月子だった。あの男がいないのは幸いだ。
「姿が見えたから……隣り、座ってもいい?」
「ああ……」
 公園の入り口から俺の姿が見えてやってきたというが、どういうつもりなのだろうか。
「あの、ありがと……」
「え?」
「今朝の電車で。ちゃんとお礼を言えてなかったから」
「ああ、いや、すぐに助けてやれなくて悪かったな」
 今朝、月子は痴漢にあった。恐かっただろう。
 俺はその時、左扉の前に立っていた。月子はそれとは逆の右扉付近にいた。別に探していたわけではないのだが、平均より身長が高いために周囲を見渡せるのだ。同じ車両に月子を見つけると、やめとけと思うのに視線を注いでしまう。そして、三駅ほど通過してから様子がおかしいことに気づいた。痴漢――思い出しただけでも虫唾が走る。あの男、殺してやりたかった。すぐにでも助けてやりたかったが、混雑する電車内では移動するのに時間が掛かってしまった。思うように傍まで行けなかったのだ。
「そんなことないよ。ありがとう」
 月子はもう一度お礼を述べてくれた。律儀だなと思った。あんなもの偶然だったのに、こうしてお礼を言うために、俺に近寄ってきてくれたことに、こちらの方が感謝するべきだ。本来なら、話だってしたくないに違いない。これは神さまがくれた褒美なのだろうか。だとしたら、俺は、このチャンスを活かさなければ。
 少しの沈黙が流れて、月子が立ち上がる気配がした。
「すまなかった」
「――え?」
「中学の時、お前にひどいことを言ったこと。謝ってなかったから」
「全部終わったことだよ。昔のことだ。だからもう謝らないで」
 過去のことだと。終わってしまったことだ。月子は前を見て、忘れてくれようとしているらしい。だが、それは、俺との関係も全て精算する。そういう意味にもとれて。でも、じゃあ、先は――? 言わなければならない。ちゃんと。
「でも、俺の中ではまだ終わってないんだ。聞きたくないかもしれないが……ちゃんと話をさせてほしい」
 月子を見ると、真剣な顔でうなずいてくれた。それだけでも、俺はほっとした。そして、ゆっくりと、あの時のことを話し始めた。月子が俺のことを「好きにならない」と言っていたのを聞いて世界が真っ暗になったこと。そして、その復讐に、月子が傷つくとわかりながら故意に酷いことを言ったこと。
「まったく、愚かなことをしたと思っている。でも、本当にショックで。お前に『好きにならない』と言われた時、辛かった。それが、本心かその場しのぎに出た言葉か、考えればわかったはずなのに……でも、あの時の俺にとって、どういう意味で言ったかよりも、その言葉を言ったという事実の方に重きを置いてしまったんだ――俺は、月子を好きだったから」
 月子は黙って聞いてくれていた。俺はもう一度、目を見て、告げた。
「俺は、お前が好きなんだ」
 相変わらず黙ったまま、でも視線を全くそらさずに俺を見ている。そこに映る俺は、どんな風に見えているのか。
「あんな酷いことして、今更言えた義理じゃないけど、でも……今もその気持ちは変わらない。これからもずっと変わらない」
 俺が生きている限り、失われることはない。それだけは自信があった。
「お前に嫌われてることはわかっている。許してくれなんて言えないことも。でも、どうしても諦められない。ずっとお前だけが好きだった。他の人間じゃだめだ。お前じゃないと。嫌われても憎まれてもそれでも傍にいたい。離れるなんて考えられない。お前が誰を好きでもいい。邪魔もしない。必要だというならどんなことでも協力するし応援する。なれなれしくもしない。お前が嫌がることも傷つけることも絶対しない。二度としないから。だから、俺がお前を好きでいることだけは認めてもらえないか」
 月子は首ふった。その目には涙が溢れていた。やはり許してもらえないのか。けれど、
「……勝手なことはわかってる。でも、頼むから――」
 喉が熱い。
「ごめんなさい……」
 しかし、月子の告げた言葉は、俺の期待とは逆のものだった。
――やっぱり、ダメなのか。どうしても、許してはもらえないのか。
「そうか……わかった」
 それだけを、どうにか搾り出すように言った。
「違う、そうじゃない。そういう意味じゃなくて、私は……」
 月子の声は震えていた。
「央介がそんな風に思ってくれてるなんて知らなくて……ごめんなさい」
 謝られると申し訳ない気持ちになる。俺の告白が、月子の重荷になった。同情をしてもらいたくて言ったわけではなかったが、結果としてそうなった。これから、月子は俺に後ろめたさを感じるようになるかもしれない。彼女は優しいから。やはり告げるべきではなかった。こんな悲しそうな顔をさせてしまった。
「私が傷ついたのは、央介にひどいことを言われたからじゃない。あなたが私に優しいのは、頼まれていたからなんだって思ったから。今まで優しくしてくれたのは仕方なくしてたんだって思ったら、すごく悲しかった。でもそれがどうして辛いのか、考えなかった。今はわかる。私は、あなたに好かれたかったんだ……央介に嫌われたくない」
 話の方向が変わっていた。それはわかるのだが都合のよすぎる言葉に、白昼夢でも見ているのかもしれないと思った。信じるには現実味がない。ただ、うるさいほどの鼓動。脈打つのが早くなる。腹の底から死に絶えかけたエネルギーが甦るような。気持ちが開放的で――でも相変わらず事態を認識できないし、感じている気持ちが何なのかも掴めない。ただ、けして嫌な色合いのものではない。
「傍にいてほしい」
「本当に? じゃあ、俺はお前を好きでいてもいいのか?」
 口が勝手に動いている。脳細胞を経由しているのか怪しい。俺ではない誰かが俺の口から台詞を自動音声で流しているような感じ。奇妙だった。
「それを望んでくれるのか?」
 月子を見ると、ゆっくりとうなずいた。
 その一瞬が永遠にかわる。昔見た映画にあった。死んだら、天国の入り口で、自分の生涯でただ一つの記憶を選ぶのだ。人はそのたった一つの記憶だけをもって天国へ旅立つ。他の全てを忘れて、その記憶のみ。その日がきたら、俺は間違いなくこの瞬間を選ぶ。
 たまらずに両手で顔を押さえると頬に生暖かいものが流れていた。ほっとした。嬉しかった。こんな風に自分が泣く人間だなんて思わなかった。そして、その涙に、体中の力が抜けた。いいんだもう。もうなんでも。ああ、でも、そうだ。月子に何か言わなければならない。俺は改めて、月子を見た。
「でも、」
 でも? その接続詞に続く言葉は、この場合、よくないものであるはずだ。
「何か問題があるのか?」
「水瀬のこと」
「ああ、」
 途端に、現実に戻された気分だった。そうだ。あの男がいた。月子が俺に傍にいてほしいと思う気持ちと、水瀬を好きな気持ちは別物だ。俺はそれを両方満たす選択を望むが、常識的に考えればそれは欲張りと言われるだろう。恋愛は二人でするものだから。月子の性格からしても、こんな両天秤をかけるような真似は出来ない。どちらか一方を選ぶに違いない。そして、選ぶのは――水瀬だろう。焦った。
「さっきも言ったが、お前が誰と付き合っていようと邪魔しないし応援する。お前が俺に好かれていたいと思ってくれるなら、それを望んでくれるなら、俺はそれだけで満足だから。それの何が問題なんだ?」
 なるべく、月子の心理的な負担が減るように、慎重に言葉を選ぶ。
「お前が罪悪感みたいなものを感じるなら、それは間違いだ。これは二股とかそういうんじゃないから。ただ、一方的に俺がお前を好きでいるだけで、俺が望んでいることだ」
 けれど、
「……あの、そうじゃなくて、」
 その後に告げられた台詞は、意外なものだった。




2010/2/9
2010/2/16 加筆修正

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