春待月 番外編 チョコレート > novel index
チョコレート


 二月の頭。学校から帰って、央介の部屋に来ていた。今年、私たち受験生だ。勉強をみてもらっていた。すると、携帯が鳴った。ディスプレイを確認して、一瞬躊躇う。着信は水瀬からだった。動きをとめた私をいぶかしく思ったのか、央介が液晶画面を覗き込んで、あからさまに声のトーンをさげて言った。
「あの男からか……いやな予感がするな」
「……しばらくかかってこなかっただけに余計ね……」
 最後に水瀬と会ったのは年の初めだ。央介と二人で行く予定にしていた初詣に、どういうわけか一緒にくっついてきた。
 どうも水瀬は私たちのことがお気に入りらしく何かというと絡んでくる。水瀬とは一時期付き合っていたこともあり、央介は当然嫌がった。でもだんだんと抵抗がなくなってきていた。というのも、水瀬は華やかそうに見えて、その実、結構寂しい男だったから。軽い感じで付き合う友だちは多いけれど、深い付き合いはあまりない。水瀬にとって私と央介は「友だち」なのだ。それがわかってくると、元々面倒見がいい央介が水瀬を邪険に出来るはずもなく、しぶしぶながらも受け入れていた。
「もしもし?」
「遅い! とっとと出ろ」
 ……この男は、相変わらずだな。
「何か用?」
「二月十四日。朝十時。公園にいるから」
「は?」
「は? じゃないだろ」
「いや、意味がわからないから」
「だから、チョコレート。もってこい」
「……どうして私があなたにあげなきゃならないのでしょうか」
「そんなの決まってる。俺が甘いモノを好きだからだ」
 水瀬が甘党なのは知っていた。コーヒーには砂糖を三杯入れるし、ケーキバイキング好きだ。男一人で行くと浮き目立ちするからと――こういう時は人の目を気にするらしい――よく付き合わされる。
「別に私からもらわなくても、いっぱいくれる子いるでしょう?」
「バカだなぁ。本気チョコなんて後が恐いだろう。後腐れなくチョコだけほしい」
 本当に、どこまでも勝手な言い分だ。
「話はそれだけだ。じゃあな」
 そして電話は切れた。私はあげるともまだ言っていないのだけど……。ため息がこぼれた。
「なんだって?」
 隣りで事の顛末を見守っていた央介が、ちょっとだけ険しい表情で言ってきたので、正直に事情を話す。すると、険しさが増していった。それは当然だ。と、思う。
「……嫌、だよねぇ」
 いくらそこに深い意味がなくても、バレンタインは恋人のための行事だ。他の男にチョコを催促されたなんて知っていい気分がするものじゃないだろう。でも、
「本当はすごーく嫌だけど、あの男のことだ、断ったら後が厄介そうだから仕方ない。その代わり、」
「うん?」
「抱きしめていい?」
――っ。
 うなずく前にギュッと抱きしめられた。大きな腕が私を包み込んだ。居心地は悪くない。
「それから、」
「うん」
「俺も欲しい。チョコ」
「当たり前だよ」
 さらにキツく抱きしめられた。

***

 バレンタイン当日。水瀬に指定された時間が迫ってきたので、家を出ることにした。その前に、央介に会いに行く。
 央介は部屋にいて、ノックすると顔を出した。チラリと私が手に持っている袋を見る。それからため息をついて「今から渡しに行くのか」と言った。怒りまではいかないにしろ、ちょっとふてくされている。わかりやすく、嫉妬していますという顔をされると、申し訳ないなと思う反面、好かれているのだとわかるから、不謹慎にも少し嬉しいと感じてしまう。
「うん……でもその前に、央介に渡したかったから」
 私は、持っていた二つの袋のうち、豪華な黒塗りの袋の方を掲げた。
「はい、チョコレート」
 央介はひどく戸惑った顔をした。
「さっきもらったろ?」
 朝食の時、渡したもののことを言っているのだろう。母親がお菓子作りが趣味で、毎年バレンタインには一緒に手作りチョコをつくり、朝、組の人たちに渡すのだ。恒例行事みたいなものだ。
「あれは、みんなに配ったもので――これは本命チョコです」
 心底驚いている顔だ。両手で丁寧にチョコを受け取ると、しばらくそれを見つめた。それから、おもむろに右手で口元を押さえた。「本命……」という言葉をボソリと呟いて真っ赤になる。
「そんなに驚くことなの?」
「……二つももらえるなんて思わなかった」
 先日水瀬の電話を受けた後わざわざ「俺も欲しい」と言ったから、こういうものを期待しているのだと思った。恋人になって初めてのバレンタインだ。最初から用意するつもりでいたけど、央介が自分から私に何か望みを口にすることは珍しかったので、嬉しくなって奮発した。けど、朝のチョコで満足してたの? あれなら毎年渡しているじゃないか。あんなばらまきチョコでおしまいにするわけないと思うのだけど……なんだか可愛いなぁと感じてしまう。
「じゃあ、私、行ってくるから」
 まだ惚けている央介に声をかけると、「どこに?」と聞き返された。
「どこにって、」
 しっかりしてよと思いながら、水瀬に渡す予定のチョコを顔の付近まで持ち上げて苦笑いを浮かべた。
「行ってくる」
 そして、玄関に向かおうとした、が、
「待って……そのチョコ、」
 央介は水瀬に渡すチョコを凝視して、それからすぐに焦ったような顔になった。
「何?」
「……俺、そっちのチョコがいい」
「なんで、ってかこれはさっきあげたじゃん。同じだよ。組のみんなにあげたのと」
 水瀬に渡す予定のものは、バラまきチョコと同じものだ。央介に渡すために奮発した高級チョコレートとは違う。なのに、こっちの方がいい――それもこちらもあげているのに――そんなこと言うなんて理解できなかった。
「とにかく、俺は、そっちがいい」
「どうしてよ? 私、そのチョコ選ぶのにすごく時間かけたのに……気に入らなかった?」
 なんだか急激に悲しくなってくる。
「いや、ちがう。このチョコが気に入らないとかじゃなくて」央介はまた真っ赤になった。それから、「だってそれはお前の手作りだろ。組の人間は身内みたいなものだから我慢するけど、他の男にお前の手作りを渡すなんて絶対にダメだ」
 どうやら央介は、部屋から出てきて一瞥した瞬間に目に入った、央介用に買っていたチョコを水瀬に渡すのだと思っていたみたいだ。こんな豪華な袋、明らかに本命用だと思うんだけどな……。ただ、水瀬用のチョコはこの袋に隠れてしまって、央介からは二つもっていると確認できなかったのかもしれない。だとすれば合点がいく。でも、それが自分用で、水瀬には渡すのは朝のチョコと一緒だとわかって動揺したらしい。「手作り」というものがそれほど引っかかるとは思わなかった。だって、
「……いや、手作りっていっても、私一人で作ったわけじゃなくてお母さんと一緒だし。というよりもほとんどお母さんが作ったようなものなんだけど」
「月子。お前はもう少し警戒心をもってくれ」
「け、警戒心?」
「いいか? お前にとってこのチョコになんら深い意味がなかったとしても、貰う方は違う。男ってのはなあれこれと深読みする生き物なんだ。手作りなんて渡してあらぬ誤解を産んだらどうする」
 ……そんなこと考えたこともなかった。わざわざ買いに行くよりも、どうせ作るのなら水瀬の分もと一緒に用意しただけだ。みんなに渡しているものだから、それでいいと思った。けれど、貰う方にしたら、そんなことわからない。と言われたら、それはそれで、そうかぁと納得する部分もある。受け取る側がどう思うかなんて考えなかったのは配慮が足りなかったかもしれない。何より、あまりにも真剣に言うものだから、央介が嫌がるならやめておこうと思った。
「わかった。……でもそっち渡した方が余計に誤解される気もするんだけど」
 央介用に買った本命チョコを、手作りチョコの代わりに渡すのは、それはそれで大変問題がある。だって、こっちは明らかに「本命」として買ったのだから。
 央介は少し思案してから、
「今から俺が買ってくる」
「はい?」
「あの男のチョコなんてその辺のコンビニで売ってるもので十分だ。俺が、買ってくるからそれを渡せ」
 「俺が」というところを妙に強調する。そして有無を言わせず買いに行ってしまった。
 央介が買ったチョコを私経由で水瀬に。それを水瀬が食べるの? 知らぬは本人ばかりなり? 考えただけでもすごい光景だなぁと思う。まぁ、水瀬には央介が買ったことを言わなきゃいいし、それで央介の気が済むならならいいか、と思った。
 しばらくして央介が戻ってくる。だが、央介が買ってきたチョコを見て絶句した。……チョコレート効果九十九パーセントって。
「ねぇ、コンビニにもバレンタイン用にラッピングしてるのが売ってたと思うんだけど」
「いいんだ。明らかにこういう『義理です』ってのを前面に押し出すぐらいの方が」
 義理です、というより完全に悪意がある気がする。これは水瀬怒るんじゃないかなぁ、と憂鬱だったが、仕方ない。これを渡して怒ったとして、それでもう私に関わらないようになってくれたら、それはそれでよしだし。そんな思惑をかかえて水瀬の元へ向かった。だが、
「やっぱり面白いなー相葉月子」
 ……喜んでる。
 こんな嫌がらせみたいなチョコを喜ぶなんて、水瀬はやっぱり変だ。そしてますます水瀬に気に入られたことは、おそろしくって央介には言えなかった。



2010/2/11

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