BACK INDEX NEXT

1 バー・ボナシュにて 


女は美しくなければならない。
愛でて楽しむための可憐な花でなければ。
そうでないのなら、生まれた意味などないだろう――。

「美しさを求める人間が悪魔に魂を売る。そんな物語は古今東西問わず多い。それが何故かわかるか?――悪魔は不平等だからだ。つまり偏ったものを選べる。天使のように何もかもが尊いなどと綺麗事は言わない。美しくない者に『あなたの顔立ちだって美しいですよ』など間違っても口にしない。醜いものは醜いと認める。だからこそ美しいものがわかるのだ。美しさを知っているから美を求める人間は悪魔と契約する。道理だ。だが悪魔との契約は禁忌とされる。そこまでして美を求めることを浅ましいとされている。愚かだ。実に。それで人は心が大事だとぬかしやがる。笑えるね。美しさを求めない心こそ、最も醜いではないか。俺は、そう思う」
 魔界。第七十四ブロックにあるバー「ボナシュ」。行きつけの店だ。ここのカクテルの美しさは絶品だった。魔界一といってもいい。暇があるとここに入り浸っているから、俺に用事がある奴はまずこの店に顔を出しに来る。
 マティーニのグラスが空になった頃、別の常連客の相手をしていたマスターが俺のところへやってきた。ギムレットをお願いすると手際良くシェイカーを振る。その間、俺は美について見解を述べた。今日、後わずかで契約しかけた女がいたのに、父親が邪魔しに来たのだ。思い出しただけでも腹が立つ。そのことを愚痴った。
「そうかもしれませんね」
 淡緑色の液体をカクテル・グラスに注ぎ出しながら短く同意の言葉を述べてくれた。出されたグラスを眺めると少しだけ気持ちが和らいだ。
「マスターが作るものはどれも素晴らしく美しい」
 グラスを見つめて呟くと、
「お褒めいただき光栄です」
 静かな声が返ってきた。
 この店を知ったのは一年半前だ。元・天使が切り盛りするバーがあると聞き、面白半分でやってきた。たまに堕天する奴がいると噂には聞くが、実際に本物を見たことがない。だから、最初は疑った。それを売りにして店を構えているのも怪しかったし。だが彼は本物だった。証拠に、右の羽が白い。白は天使の証しだ。ふわふわしたやわらかくまぶしい羽を間近でみて興奮した。最近では魔界の空気の影響を受けて、少しずつ黒く変色しはじめているが、まだ名残がある。俺はその白い羽が黒くなるのがなんとももったいない気がして、「羽をしまってしまえば白いままでいられるのではないか?」と言ったことがあった。「それじゃ、堕天したという売りが証明できないでしょう?」と言うのが返事だ。これほど美しいカクテルを作れるのだから、そんな売りなどいらないと思うのだが、そこまで口出しする権利はないので黙った。
「本当にお好きなのですね……美しいものが」
 飲むのがもったいなくて、グラスを傾けているとマスターが言った。
「ああ、美しさこそ全てだ」
 持論だ。俺はこの価値観の元にこれまで生きてきた。自分が美しいと思うもののみを愛でる。天使のように全てを慈しむ必要はない。自分の好むものを好きに選べる。悪魔であってよかったと心底思う。
「おお。ロキじゃないか。今日は行かないのか」
 コルーナが声をかけてきた。ここで知り合った男だ。小柄な体に似合わず大食漢で大酒飲みだが、食事の仕方が優雅で嫌な気持ちにならない。食事のマナーがなっていない奴とは関わらないことにしているが、コルーナは基準を満たしていた。
「これから出かけるところだ」
「なんだ、そうか」
「俺の生き甲斐だからな。今宵も楽しませてもらうよ」
「お前も好きだな」
 コルーナは目だけを細めた。
 生き甲斐――それは嘘ではない。俺がこの世で最も美しいと思うもの。それは人間の女だ。無論、全ての女がではない。美しい女はごく一部。それも一時だ。時が経過すれば醜く老いていく。十八歳から二十五歳ぐらいまでの、見目麗しい女。それらを愛でるのが俺の楽しみだ。ありがたいことに、彼女達はこちらが探しまわらなくても毎夜どこそこで開かれる舞踏会に集まってくるのだ。豪華な宝石とドレスに身を包み、地位と名誉と財産を持った男に見初められるのを待っている。俺はそこに出向いて行きさえすればいい。後は実に容易い。女の方から俺に言い寄ってくる。俺の美貌が欲しいと合図してくる。無理もなかろう。女どもが見初められようと必死になる男はたいていつまらない容姿をしていたから。将来のためにブサイクな男に嫁ぐ前に、美しい俺に抱かれたい。そう思う気持ちは自然だ。だから俺もそれに応える。実に対等な関係だ。
 俺はギムレットを飲みほして、店を出た。さぁ、これからが本番だ。今日はどんな花を手折ろうか。




2010/2/19

BACK INDEX NEXT

Designed by TENKIYA