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2 戯れに  


 階段を上がっていくと管弦の音がより鮮明にとどいてくる。今宵の夜会はポートガス家の屋敷で行われていた。近頃、財政難と芳しくない噂が流れているが、払拭するため豪華な舞踏会を催した。――だが、失敗に終わったようだ。金の切れ目が縁の切れ目。人はまばらで閑散としている。愉快なほどわかりやすい。
 ホールをゆっくりと歩く。注目されているのがわかる。ひそひそと耳打ちしてはねっとりとしたため息を投げてくる。一瞥すると頬を染める者、微笑んで誘ってくる者、様々だ。賞賛されて求められるのは悪い気はしない。しかし、相手による。その程度の容姿で俺に目線をよこしてくるなど恥知らずな。やめてくれ。分相応を知らない輩にはうんざりする。身の程を知れというのだ。失笑を抑えながら、一周りする。
――今日ははずれだな。
 やはり力ある家が主催する舞踏会でなければ麗しい女は集まってこないらしい。まぁこんな日もある。ランクを落としてでも今夜の相手を探す気には到底なれず、俺は早々に引き上げることに決め、先ほど上ってきたばかりの階段へ向かった。そこで、ホールへ向かってくる一人の女が目につく。
――なんだあれは。
 メガネをかけて黒いドレスに身を包む陰気くさい女。ここは葬儀場ではないのだぞ。最初は召使かと思ったが、手には扇がある。客人だ。女は俺とすれ違うとき会釈をした。それも実に義務的なものだ。普通の女なら、必ず俺を二度見するのに、その女は振り返ることもしない。俺の美貌を見ても何も感じないのか。美意識というのがないのかもしれない。そうでなければあんな格好で夜会に出向いてきたりしないか。
 女はホールに入ると、壁際に立った。ダンスの誘いを待つためだ。誘われると思っているのか? お前のような女が? 傑作だ。本当に、今夜はなんという日だろう。美しい女はいなかったが、最高にみっともない女を見た。胸焼けしそうだ。女としての人生を謳歌できないみすぼらしさ。男にダンスを申し込まれない女は「壁の花」と呼ばれるが、あの女は壁さえも彩れない。まったく、憐れだ。
 衝撃が強く、しばらく動けず女を眺めた。案の上、女が誘われることはない。
「……」
 それは一瞬の閃きだった。戯れ。あるいは暇つぶしだ。俺が声をかけてやる。女はどうするか。俺のようなキレイな男からの誘いだ、狂喜するにちがない。舞い上がって自惚れるかもしれない。そのまま手を引いてフロアの中央に踊り出て、曲の途中で難癖をつけて置き去りにしてやる。恥をかかせてやろう。己の身の程を知り、二度と舞踏会に来ようという気にはならないように。だってそうだろう。美しくない女などなんの価値もない。それどころか、お目汚しだ。迷惑千万。思い知らせてやらなければ。
 俺は自分の考えに満足しながら、実行に移すことにした。
 女に近づくために再びホールに入る。周りが注目してくる。小さなざわめきが鬱陶しい。俺が誰に声をかけるのかへの興味と、もしかしてそれは自分じゃないかという期待。いろんなものが入り混じった眼差しに気持ちが悪くなる。だがお目当ての女だけは相変わらずまったく俺を見なかった。自分が誘われるとは微塵も思っていないらしい。意外とその辺はまともじゃないか。少しだけ思う。俺のような男がお前を誘うはずがない。その感覚だけはまともだと誉めてやる。だが今回は特別だ。さぁ、女はどうするか。
「お嬢さん、どうぞ今宵、私のお相手を」
「……私、ですか?」
 一瞬の間。最初、自分に声をかけられていると気づかなかったのか、妙な空白が生まれた。それからゆっくりと俺の方に視線をむけてきた。メガネの奥に隠された瞳が初めて俺を正面から捕らえた。虚をつかれた人間のまっさらな眼差しだった。それから周囲をチラリとみて、やはり他でもなく自分が申し込まれているのだと確認すると、また真っ直ぐに俺を見た。そして、
「あなたのように美しい男性に申し込まれるなんてとても光栄です」
 そうだろう。だからこの手をとればいい。そして天国から地獄へ突き落としてやる。
「でしたら、是非、今宵は私と」
 念を押すように右手を差し伸べた、が。
「いいえ。今宵だけではダメなのです。これから二週間お付き合いいただける方でないと。ですからあなたのお相手は致しかねます」
「――っ」
 女は言うと、ニ、三歩離れて身を引いた。そして、まるで何事もなかったようにまた壁の花になる。俺は一瞬何が起きたかわからなかった。自分の耳を疑った。――断る、女はそういったのか。二週間の間に何があるというのだ。いやそれより、俺の誘いを断るなど。このみすぼらしい女が? とんだ笑い草だ。お前に断る権利などないだろう。許せない。湧き上がってくる激情をどうにか飲み込んで、なるべく優しい声を出し、
「では、二週間、あなたとお付き合いいたしましょう」
「――え?」
 今度は女が驚いた顔をした。
「ご冗談でしょう?」
「冗談? まさか。私は本気ですよ」
「……信じられません」
「信用できないというのなら、今宵はダンスの誘いを諦めましょう。明日、あなたをお迎えにあがります。それで本気だと受けとってもらえるしょう?」
 一日置いて、わざわざ迎えに行き、エスコートして会場まで連れ添う。一人で行くのとはわけが違う。それは「恋人」と周囲に宣言する行為だ。ああ、付き合ってやるさ。今日、ほんの一時、恥をかかせてやるつもりだったが、この俺を袖にするなどとんでもないことをしてくれた。美しい者が劣っている者にないがしろにされるなどあってたまるか。罰を受けるべきだ。己のしたことの非礼を思い知らせてやる。もっとこっぴどい仕打ちを与えてやる。この二週間の間に、たっぷりと。
 申し出に、女は今度は断る理由を思いつかないらしかった。しばし俺の真意を推し量るように見つめていたがやがてうなずいた。




2010/2/20

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