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10 みっともない姿 


「ロキは本当に私の料理が好きなのね」
 あれから俺は毎日カヤの家を訪れている。
「ああ。カヤの作るものは素晴らしく芸術的だ」
 それは嘘じゃない。だけど、本当はカヤに会いたかったからだ。こんな醜い姿では拒絶されるに違いないから言えないけど。
「ふふ。そう? 喜んでもらえると作り甲斐があるわ」
 カヤは嬉しそうだ。俺も嬉しくなる。告白なんて出来なくても、こういう日々がずっと続くならそれでいい。
 今日のデザートはプラムのタルトだ。真ん中から外側へ向かってカットしたプラムが花びらのように円状にタルト生地を埋め尽くしている。見た目も香りも申し分ない。
 俺が浮かれながらケーキを頬張っている横で、カヤはドレスの仕立てを始めた。淡い桃色の生地を取り出して丁寧に印をつけていく。女が好みそうな色だ。きっと可愛らしいドレスが出来上がるのだろう。
「また新しいドレスを作るのか?」
「そうよ」
「前のドレスが出来たら、暫く休むと言ってなかったか?」
「これは注文の品じゃないの――私のよ」
――え?
「どうしてカヤのドレスを作るんだ? もう舞踏会には行かないっていってただろう? 妹を安心させたら行かないって」
「ええ、最初はそう思ってたの。でも、気が変わった」
 何? 気が変わった? それはどういうことだ。カヤは俺の方を見ていた。眼差しは穏やかだった。
「私ね、小さい頃は夢見ていたの。いつか素敵な人が現れて私をお姫様に変えてくれるシンデレラみたいな物語を。でも、大きくなるにつれて、私には王子様は現れないんだってわかってきた。だから変わりに、得意の裁縫で、女の子をお姫様にするの。それが私の役割よ。そしてそれを喜んでもらうことが私の幸せなんだって思ってた」
 カヤは少しだけ寂しそうだった。
「そんな私の前に現れたのは美意識の高い悪魔だった。悪魔は私の容姿をバカにして意地悪をしようと近づいてきた。でも、不思議ね。我儘で好き勝手言う悪魔をなんだか憎めなかった。その悪魔は言ったわ。『美しさを求める心を否定するのは愚かだ』。ドキっとした。私が誤魔化してきたことだったから。私だって本当は綺麗になりたい。そう思うことをおこがましいって押さえつけてきたけど、その気持ちに素直になることはおかしくないって悪魔は私に教えてくれた。嬉しかった」
 俺の言った言葉をカヤがそんな風に受けとめていたなんて知らなかった。美意識の話など、興味ない者にしたら退屈だろう。だが、カヤは俺の話をしっかりと覚えていてくれた。そして、考えていたのか。不思議な気持ちになる。真剣に話を聞いてもらうというのは悪いものじゃないんだな。呑気に思った。でも、
「だからね、頑張ってみる気になったの。もちろん、どんなに頑張っても持って生まれた容姿には限界はある。でも私なりに、出来るところまでやってみようって思った。そしたらいつか誰かが私のことを好きだと言ってくれるかもしれない。あなたには感謝している。ありがとう」
 なんだそれ。悪魔に礼? 俺の言ったことがきっかけでそんなことを言い出したのか? ありえない。信じられない。だから信じない。だがカヤはいたって真面目な顔をしていた。俺はもう一度確認する。
「綺麗になって、誰かと恋をするのか。そのために綺麗になろうとするのか」
「ええ、そうね。そんな日がくればいいと思うわ」
 さっきまでのいい気分は粉々に打ち砕かれて、世界は一瞬で真っ暗闇に堕ちた。胸に細い針を何百本と刺されたような痛み。一本でも急所を貫かれたら痛いのに、それが大量にだ。息が出来ない。喉が熱い。
「ねぇ、私が少しでも綺麗になったら、いつかまた踊ってくれる?」
 カヤは無邪気に笑っていた。なんで笑っているのだ?
「……なれない。カヤは綺麗になんてなれない!」
 腹の底から言った。綺麗になって誰かと恋をするなんて……諦めさせなくちゃいけない。だから、言った。
「どんなに頑張っても、カヤは綺麗になんてなれない! だからそんなことやめた方がいい」
「……そりゃ、美人にはなれないかもしれないけど、普通に見られるぐらいには……ロキだって言ってたじゃない。もうちょっと明るいドレスを着ればそれなりに見られるようになるって」
「ならない。絶対。だからやめた方がいい」
「せっかく頑張ろうと思ったのに、どうしてそんなこと言うの?」
「嫌だから」
「何が嫌なの?」
「他の誰かと恋をするために綺麗になるなんて! そんなの嫌だ。絶対嫌だ。だったら綺麗にならなくていい。今のままで、ずっといたらいい。誰のことも好きにならないでいたらいいんだ」
 そうだ。カヤは誰のことも好きにならないでいいんだ。そんなの認めない。嫌だ。だって、
「どうして他の奴と恋をするなんて言うんだよ。なんで俺が目の前にいるのに……」
 胸が張り裂けそうだった。どうして、いつもいつも、
「カヤは俺のことをちっとも見てくれない。カヤに好かれようと一生懸命になってしたことも怒った。あの男に化けたのだって、あの男の姿で来たらカヤが喜ぶと思ったからなのに、バカにしてってすごく怒った。綺麗な男の姿なら受け入れてくれると思ってきても、そんなのロキじゃないって、何企んでるのって怒った。だから仕方なく、この姿で来たんだ。こんな姿、本当は嫌だけど、カヤが会ってくれるから……でもこんな醜い姿で告白なんてできない。好きになんてなってもらえない。でもカヤに会えればそれでいいって……なのにカヤは、俺の気持ちなんて無視して、他の男と恋をするとか言う……」
 カヤは俺の言葉を聞きながら唖然としていた。惚けたような、そんな顔だ。
「……あなたは私が好きなの? だから毎日来てたの? ご飯を食べるためじゃなくて?」
「……」
「信じられない。だってあなたは美しいものが好きでしょう? 私なんて相手にしてくれないと思って…だから諦めてたのに」
「……諦めて、た?」
 それは……、
「妹に言ったことは嘘じゃない。私にはあなたが必要よ。あなたといるととても楽しいから」
 楽しい? 俺といると楽しいのか。そんなことを言われたのは初めてだ。美しいから一緒にいたいと言われることはあっても、楽しいだなんて。だがその言葉は、今まで聞いたどんな称賛の言葉よりも俺の心を満たした。
「それは本当か?」
「ええ。性格の悪い悪魔といると楽しいなんておかしいけど」
「じゃあ、俺と一緒にいてくれるのか? 俺のこと好きになってくれるか?」
「今もとても好きよ」
「嘘だ。だって今までそんなそぶり見せなかったじゃないか!」
「だから、それはあなたが美しいものが好きだっていうから、私に好かれても迷惑なだけだろうと思って……」
「なんだそれ……なんだよ……」
 カヤは両手で俺の顔を包みこんだ。
「そんなに泣かないの。悪魔を泣かすなんて自分がとんでもなく非道な人間に思えてくるわ」
 さっきからボロボロと目から何かこぼれると思っていたが、これが涙か。カヤが俺の顔を包みこんだまま、親指で目元をぬぐってくれるが、後から後から湧きあがってきてどうやって止めたらいいかわからない。鼻もグシュグシュする。人間が泣きじゃくるところを見たことがあるが、俺もあんな感じなのだろうか。あの時はうんざりした。みっともないと思った。そんな姿を俺もカヤに晒している? でもカヤが俺を見る目は優しげだった。まるで小さな子どもをあやすみたいに撫でてくれた。それがとても心地いい。でも、あまりにも泣きやまないから、タオルを渡された。そしてカヤはどこかへ行こうとする。呆れられてまた置き去りにされるのかと思ったら、さらに涙が溢れてきた。俺はカヤの後ろを追いかけようとした、が、
「座ってて。飲み物をつくってくる」
「……戻ってくるか? どこにもいかない?」
「ここは私の家よ? どこにもいかないわ」
 だから俺は座って待つことにした。待っている間、どうにか涙はやんだけど、カヤが本当に戻ってくるまでそわそわした。姿が見えてほっとした。
「はい、これ、飲んで?」
「……なんだ、この甘ったるそうな飲み物は」
「ホットミルクよ。落ち着くから飲んで。熱いからよくさましてね」
 ホットミルクは白い幕みたいなのが舌に絡んで妙な飲み物だったけど、言われた通り飲んでいると落ち着いた。俺が飲みきるまでカヤは何も言わなかった。飲み終えてからも何も。
 たまらずに、俺が先に口を開いた。
「それで、」
「何?」
「カ、カヤは……俺と、結婚してくれるのか?」
「結婚! ……どうしてそんな話になるの?」
「どうしてって……い、嫌なのか?」
 また目がしらが熱くなってくる。カヤはぎょっとして慌てたように言った。
「嫌とかそういうことじゃなくて……そもそも悪魔にも結婚なんてあるの?」
「ない。悪魔にはないが人間にはあるだろ。人間の男は自分が好きな女と結婚するものだ。結婚したら、その女は他の男とはもう恋はしない。カヤが他の男と恋をしないように結婚する」
「目的がちょっと違うけど……」
 カヤは苦笑いした。なんで笑うのかよくわからないが、そんなことはどうでもいい。
「してくれるか?」
「……わかった」
「じゃあ、」
 何と言えばいいか言い淀む。こんなムードもなく流れもなく不自然な状態は初めてだ。今までの経験など役に立たない。格好悪い。でもカヤは察してくれたようだ。静かに目を閉じた。そして俺はカヤにキスをする。しっとりとした柔らかな唇に触れると心臓が高鳴った。たかだかキス一つで。俺はどうかしているのか。唇と離すと、カヤは目を開けた。その目が俺を捉えて、大きく見開かれた。
「どうして姿を変えているの?」
「だって、醜男ではラブシーンは決まらないだろう。俺の美意識が許さない」
「……ちっとも変ってないわね」
「当然だ。悪魔は簡単にポリシーを変えたりしない。俺は美しいものを愛している。だが、カヤは特別だ。どんなに不細工でかまわない。醜く老いていってもいい」
 カヤは嫌そうな顔をした。
「そんな顔するな。もっとブスになる」
「あなたはやはり悪魔ね。それもとびきり意地悪な」
「カヤの方がずっと意地悪だぞ。俺はいっぱい辛い思いをした。俺よりずっと悪魔みたいだ」
 カヤは今度は難しい顔をした。その顔はどうしたって美しいとは言い難い。でも愛おしいと思う。やっぱり俺はどうかしてしまったのだ。これが恋というやつなのか。涙がでたり、ドキドキしたり、夜も眠れなかったり、本当にろくなものじゃないな。【完】




2010/3/6

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