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9 それでも会いたくて     


 醜い男にならなければ、カヤは会ってくれない。
 考えられない提案だ。俺は美しいものを愛している。醜いものはキライだ。ずっとそうやって生きてきた。これからも変えるつもりはない。それが俺だからだ。カヤだってそれは充分知っているはずだ。それなのにどうして……。俺へのあてつけか? それとも俺に会いたくないから、出来ない提案をしたのか? ――なんて奴だ。
 あんな女、今度こそ本当に知らない。そうだ。別に俺が相手をしてやるような女じゃないし。ちょっと気まぐれを出しただけだ。本来の、俺に相応しい、見目麗しい女を求めればいい。こだわる必要などない。せいせいする。ああ、バカらしい。時間の無駄だった。つまらない。くだらない。本当に、完璧に、どうしようもないほど。
 俺にまた醜い姿になれだって? 冗談じゃない。ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな――。
 カヤにまた追い返された日は発狂してしまいそうだった。家に篭って大声でわめき散らし、叫んだ。湧き上がってくる激情は簡単におさまらなかった。それでも三日過ぎ、一週間過ぎ、二週間が過ぎて、どうにか我を取り戻す。感情というものはうつろぐのだ。
 だが、一方で、怒りが冷めても、カヤのことは頭から離れなかった。忘れていかない。今までこんなことはなかった。どんなに麗しい女を抱いても、覚えているのはせいぜい二日だ。たいてい翌日にはまた別の女を求めた。だがカヤは頭の片隅どころか、ど真ん中から消えてくれない。時間が経過すればするほど、憤りがおさまればおさまるほど、鮮明に思い出される。そして思うのだ。
――会いたい。
 バカな。俺はどうかしてしまったのか。これが恋というやつなのか。だとしたら恋なんてろくなものじゃないな。もうどうにもならないのに。どうしようもない。だってそうだろう? 俺にプライドを捨てろと? そして醜い姿に化けて会いに行けというのか? そんな真似するなんて馬鹿げてる。無理だ。出来ない。でも、
 会いたくてたまらなかった。
 変だ。そんなことを思うなんて。あんな酷いことを言われたのに、会いたいなんて。やっぱりどうかしている。忘れよう。そうだ。それがいい。これ以上無様な真似をするのなんてありえないから。カヤに会いに行くなんて絶対に、ない。

「驚いた。本当にその姿で来たの」
「カ、カヤがこの姿なら会ってくれるって言ったんじゃないか!」
「……それは、そうだけど……だってあなた、その姿には二度とならないって言ってたじゃない。だから来るとは思わなかった」
「二度となるつもりはなかった。こんな醜い姿、俺のポリシーに反する。でも、カヤをギャフンと言わせるためだ。まだカヤに恥をかかせてなかったことを思い出したんだ。自分のポリシーより悪魔としての本能を優先するべきだと思ったから、嫌だったけど化けてやったんだ」
 俺は理由を述べた。破綻のない真っ当な理由だ。だが、カヤは笑った。
「な、なんで笑うんだ」
「だって、ギャフンと言わせたい人間にそれを言っちゃうなんて……うまくいくものもうまくいかなくなるわ?」
「……」
「ロキはやっぱりロキね」カヤは背を向けて家の中に入っていく。「どうしたの? 突っ立ってないでドア閉めて入りなさい」
 当然のように言った。拍子抜けするほど自然だ。気が変わらないうちに、慌てて中に入る。
 訪れるのは三週間ぶりだ。テーブルクロスが薄い青に変わっていた。俺は窓際の定位置に座った。カヤはキッチンに行って、紅茶を入れて戻ってくる。ニルギリの香りだ。カヤの最も好きな茶葉。機嫌は悪くないみたいだ。
「それで、話っていうのは何?」
 ティーカップを手にもって口をつけようとしたらカヤが言った。
「私に話があるんでしょう? そう言ってたじゃない」
「……」
 まずい。考えていなかった。俺はカヤに告白するつもりで話があると言った。でも、今は――こんな姿で出来るはずない。カヤは俺の言葉を黙って待っている。
「食事を……そうだ。最後の日、カヤは俺に食事をご馳走してくれるって言ったけどまだしてもらってない」
「そういえばそうだったわね」
「俺は、食事を食べさせてもらう権利があるだろう?」
「食事くらい権利なんてなくても、いつでも食べさせてあげるわよ」
 あっさりと了承された。怒られなかったし、拒否されなかった。安心した。なのに、今度は頭がクラクラしはじめた。緊張が緩んで睡魔がやってきたのだ。張りつめていたものが切れると眠くなる。まともに眠っていなかったから。
「どうしたのボケっとして……熱があるんじゃない?」
 俺の額に手を置いた。カヤの手は温かいはずなのに、今は冷たく感じる。俺の体温の方が熱いからだろう。
「悪魔も風邪を引いたりするの?」
「……風邪じゃない。頭がボーっとするけど、これは寝不足だ。ろくに眠れなかったから」
「寝不足?」 
「そうだ。だから気分が悪い。八時間は寝ないといけないのに……」
「じゃあ、食事が出来るまで眠るといいわ。夕食になったら起こしてあげるから」
 そう言うとカヤは寝室へ俺を連れて行ってくれた。ベッドとドレッサーとクローゼットが置かれているだけのシンプルな部屋だ。色も女が好みそうなパステル調ではなく、深い茶色で統一されている。
 それにしても寝室に男を連れ込むなんて無防備すぎやしないか。いつもこんなことをしているのか……。変だ。これまで関係した女が誰とどこで何をしようと干渉したことはない。むしろ美しいものは広く多くの人と共有されるべきだと思ってきた。だから俺もいろんな女と付き合うし、女もいろんな男と付き合えばいいと思ってきた。なのにどうしてカヤが他の人と関わっているかもしれないと考えるだけで胸が締め付けられるのだろう。
「カヤはこんなことよくするのか?」
「こんなことって?」
「こうやってベッドを貸したりするのか?」
「まさか。寝室に人を入れたのは初めてよ。人というか悪魔だけど」
「なんだ、そうなのか」
 カヤは「どうぞ」と俺を手招きして横に寝かせ、掛け布団をかけてポンポンとしてから部屋を後にした。
 カヤのベッドは今まで眠ったどんなものより寝心地が良かった。ふかふかしているし、優しい香りがする。香水のような人工的なものじゃない。自然で柔らかい。包み込まれているような安心感がある。不思議だ。眠れなかったのが嘘のようにどんどん深い場所へ意識が溶けていった。

――……。

 手だ。髪に触れている。撫でられている? 気持ちがいい。
 目を開けると、傍にカヤが立っていた。
「気分はどう?」
「……だいぶスッキリした」
 あれは夢か? それともカヤが撫でていたのか? 確かめたかったが、違うといわれるのが気まずいから聞くことを躊躇っていると、
「ご飯食べられそう?」
「食べられる」
「そ、じゃあ、起きて? 用意できたから」
 食卓に戻るとスッカリ準備はが整っていた。席に座る。
「いただきます」
「召し上げれ」
 久しぶりのやりとりだ。カヤと交わすこの定番が俺は気に入っている。
 食卓にはこれまで出された中で俺が特に誉めたものばかりが並んでいた。今日の食事は当たりだ。口に運んでいく。テーブルの上の料理が減っていくのをカヤは嬉しそうに見ていた。それが最初は俺も嬉しかった。……だが、次第に気持ちが滅入っていった。料理を食べ終えてしまったら帰らなければならない。お礼はしてもらった。ここへ来る理由はもうない。心の中に広がっていく、不安、寂しさ、悲しみ、焦燥。俺は完全に食事の手を止めた。
「どうしたの? おいしくなかった?」
「違う」
「じゃあ、気分が悪い?」
「違う……」
 俺はまた食べ始めようとした。カヤは俺が食べっぷりがいいことを喜んでくれるから。ちゃんと食べなくちゃいけない。だが、
「無理して食べる必要はないわ。体調が良くない時は無理してはダメよ」
 そういって静止した。そしてまだ半分ぐらい残っているのに料理を片付けはじめた。ガッカリしているのではないか? カヤの顔を見るが平気そうだった。俺が食べても食べなくてもどうだっていいのか? 気にもしないのか? 余計に気持ちが滅入った。食べられたのに……食べればよかった。そしたらカヤは誉めてくれたかもしれない。
 テーブルを片付けると、紅茶を出してくれた。今度はダージリンだ。
「デザートは?」 
 カヤが作ってくれる料理で、俺が最も好きなものだ。いつもはお茶と一緒に持ってきてくれるのにない。
「今日はやめときなさい。気分が悪いんでしょう?」
「……俺はデザートが一番楽しみなのに……」
「ダメよ。体調が悪いんだから。我慢しなさい」
「……だって、」
 これが最後なのに、と俺は悲しくなった。でもそれをどう伝えていいかわからない。うつむくしか出来ない。この紅茶を飲んだら俺は追い返される。そしたら俺はどうしたらいいのだろう? 考えても何も思いつかない。だけど、
「具合がよくなったらいくらでもつくってあげるから」
 カヤは言った。予期せぬ言葉だった。俺がうろたえていたことをあまりにアッサリ解決するからにわかに信じがたく、
「……それは、また来てもいいってことか?」
「言ったでしょ? 食事ぐらいいくらでも作ってあげるって」
「本当か? じゃ、じゃあ今日は我慢する」
 カヤは頬を撫でてくれた。




2010/3/6

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