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恋でないなら 不遇な身の上 01


 崎宮という東の土地を治める一族の元に囚われの若君が一人。名を玖柳と言う。この少年、南の地を治める早瀬の当主の子であったが、事情により現在は東の土地での生活を余儀なくされている。
 その事情であるが。早瀬は代々世継ぎに恵まれぬ家系で、現在の当主も養子だ。早瀬の正当な血を持つのは正室の桐江――だがその身もまた子が出来にくい。世継ぎは絶対不可欠な存在。よって側室を迎え子を産ますことになる。ならばせめて早瀬の血が流れる者をと、遠縁の娘を娶ることになった。そして生まれたのが玖柳である。
 しかし運命とは皮肉なもので玖柳が六歳を迎えたとき正室がご懐妊。男児を出産された。正室、側室に関係なく生まれた順に家督相続するのが習わし。だが血の濃さで言えば桐江の子こそが早瀬の正当な跡継ぎであると――跡目争いが勃発した。
 さてどうするか。
 話が難航していたところ事件が起きた。
 玖柳が十四になった年。狩りに出た先で襲われたのである。元服の儀を翌年に控え、その際に玖柳こそが後継であると周知させようと目論んでいる――疑った正室側の強行だった。幸い何事もなく済んだが。それを知ればこちらも黙ってはおれぬと、いよいよ状況は切迫しはじめた。早瀬の当主は決断を迫られたわけであるが。
 元より、養子。発言力は弱い。
 側室も己が望んで娶ったわけではなく、愛情が存在しての行為ではない。後継を産むための関係であった。それでも男女の情を結んだのだから、それなりに思いやりを持ちえてはいるし、自分の血が流れる我が子・玖柳を可愛く思う気持ちもある。だが権力には逆らえず。
「玖柳は崎宮に預ける」
 それは苦肉の策であった。一時預け――といえば聞こえはいいが隣国に預けられるとは”人質”を意味する。早瀬が崎宮を裏切れば殺されるし、崎宮が早瀬を裏切るならば真っ先に殺害され首を送りつけられる。危うい立ち場として送りだされたのである。

*

「冷える」
 呟く声は白い。
 この地では言葉を発すれば寒さで吐息に色がつく。暖かな南の土地で暮らしてきた玖柳には面白く新鮮に映ったが、数日もすればのんきさは鳴りを潜めた。冬に向かい刻々と冷たさを増す空気は体を蝕むように浸食してくる。見知らぬ地でこれからいかようになっていくのか。行く末が見えぬ状態が一層辛辣に身を裂き心まで凍てつかせていく。
 玖柳は迫りくる薄暗い感情を揉み消すように両手をこすり合わせた。指先が肌の色を取り戻す。そこに己の息を吹きかければ心持ち暖かくなる。
 動かずにいるから、体も心も鈍るのやもしれぬな。とふと思う。
 崎宮の屋敷は南向きに正殿が、その奥に北の対、左右には東の対と西の対が渡殿で繋がれている。
 玖柳に与えられたのは東北対の傍に建てられた屋敷だ。渡殿はない。玖柳が来る前に取り払われた。干渉されぬ方が気楽であろうとの配慮。といえるが、崎宮側が己たちの生活に干渉されたくないというのが本音であろう。玖柳は察している。それ故に、無用に動くのを遠慮していたのだが。いつまでも屋敷だけに留まっていては気塞ぎを起こす。外に出てみることにした。
 屋敷を後にし東の対や北の対を避けて逆方向へ進めば泉殿に出る。
 白と紅の椿が一本ずつ見事な花を咲かせている。
 その傍に小さな影が。幼子が思いつめた面持ちでじっと椿の花を見つめていた。顔には見覚えがあった。崎宮の末娘だったな、とこちらに到着した日、挨拶を交わした記憶を頼る。名は"うい"と言った。
 それにしても――と玖柳は不審した。
 着物は上質な品であるが随分とくたびれている。娘にこのような身なりをさせているなど、崎宮は余程困窮しているのかと疑われても仕方ないような有り様だ。お転婆で泥だらけにするので、汚れてもよいようにと着せられいるのか。その割にういは大人しく、先程からまったく動こうとしない。一心に椿を見つめるだけである。
 何をそれほど見つめる必要があるのか。
 興味を持ち見守っていると、ういは意を決したように椿に歩み寄り、つま先立ちで手を伸ばす。花を手折ろうとしているらしい。だが懸命な背伸びもむなしく小さな身では届かない。無理な態勢を続けているとよろめき転びそうになり表情が崩れる。泣きだすかと思いきや唇を噛みしめてこらえた。そしてまた手を伸ばす。懲りずに幾度も手を伸ばしてはよろめき、しまいには本当に転び尻持ちをつく。堪え切れなくなった涙がぽろりぽろりと頬を伝う。流石にこれでもう諦めるだろうと思われたが、しかし、ういは両手で涙を拭うと立ち上がり、また手を伸ばし始めた。
 届かぬならば誰か助けを呼べばいい。幼子でも知恵のある者なら思いつきそうなもの。この姫は賢くはないのだなと玖柳は思ったが。
 それほどこの花が欲しいのか。
 女子は美しいものが好きというが幼い身でもそうなのかと、呆れながらも感心しつつ、玖柳はついに近づいて手伝ってやることにした。
「これが欲しいのでしょう」と手折り差し出す。
 かほどに欲しがっていた花である。喜ぶだろうと期待したが――喜ぶどころかういは体を震わせた。瞳には怯えが滲んでいる。突然姿を現したことに戸惑うのは無理ないが、それにしても大袈裟すぎる。善意の行動がかような仕打ちを受けるとは心外。可愛くない姫である。と玖柳はいささかむっとした。
「いらぬのですか?」
 驚きで声が出せぬのか、ういは首を左右に振って答えた。視線は玖柳から椿に移される。
「では、差し上げましょう」
 もう一言添える。するとういは周囲をきょろきょろ見回し始めた。玖柳の他は誰もいないとわかると、恐る恐るだが差し出された花を受け取り、ふわりと笑った。手にした椿にも劣らぬ可憐さに損ねていた玖柳の機嫌は戻る。いつもそのようにしていればよい。とまで思っていると、ういは深々と頭を下げ踵を返して小走りに去っていく。
 愛想のない姫だな。急いでどこへ行く気か。
 とりたてて用もない玖柳は暇つぶしにその後を追った。

*

 見失うとは迂闊だった。と、玖柳は悔いる。
 ういの後を追いかけて、西の対の方角へ歩いてきたはいいが角を曲がると煙りのごとく消えてしまった。途方に暮れながら諦めきれず歩いていると、
「玖柳殿」
 抑揚のない声に呼びとめられる。崎宮の嫡男・新木だ。
 家督を継ぐ者同士として、父親に連れられてこれまで幾度か顔を合わせたことがあったが、玖柳がこちらに来てから新木は素っ気ない。そもそもが冷たい雰囲気を持っていたが、立場を違えたからには以前通りというわけにはいかぬ、と態度が物語っていた。
「こちらで何を」
 渡殿に立つ新木から屋敷の外にいる玖柳は見降される。それは新木の心情でもあるように感じられ玖柳の胸は軋む。
「玖柳殿?」
 押し黙る玖柳を訝しむ様子だが、何をと言われても困る。姫君の後を追ってきたと正直に述べるのは得策ではないだろう。散策ですと言うのが無難か。それでも屋敷をうろつくことを快くは思われぬのかもしれないが。と、返答に窮していると、
「花を手折ってはいけないと奥方様にも厳しく言いつけられていたでしょう。どうして守れないのですか。この花はわたくしがお預かりいたします」
 罵声が割り入ってくる。
 何事かと振り返れば、先程通り過ぎてきた屋敷――渡殿が掛けられているので屋敷と判断したが、なければ物置にしか見えぬ粗末な小屋――の物陰から女が一人歩いてくる。怒声の主であろう。身なりから下働きの女であるとわかるが。手には椿の花が一輪。そして、その女の後を泣きながら追いかけてきたのはういである。
「お花返して。ははさまにあげるお花。返して。」
 聞いている者の胸を打つ切実な訴えであるが、しかし女は構うことなく、それどころか、
「あんたの勝手で今度は私を暇にしたいのかい。まったく我儘な子だね。部屋で大人しくしてな」
 もっと乱暴な言葉で罵った。雇い主の娘に向けてかような態度が許されるものではない。玖柳は新木を見る。一言女に忠告があると思ってのことだが。しかし、新木は顔色一つ変えず無表情で動こうとしない。信じられぬ光景を目の当たりにして身重になったのか。さすればと玖柳は視線を女とういに戻すが、
「無用ですよ」
 新木が言う。
 振り返れば、相変わらずの無表情がある。
「ういが悪い。助けは無用です」
「何が悪いと言うのですか。ご自身の妹君がひどい目に遭っているのに助けぬなど、どういうおつもりか」
「妹と言ってもあれは別腹ですが」
 玖柳は眉根を寄せた。それを見て新木は面倒くさそうに息を吐き出す。真っ白に色がつくそれは玖柳が出す吐息と同じはずがより白く冷たく見える。
「そうですね。家の"恥"を公言するのは難儀なものですが、いずれわかることでしょうし申し上げておきましょうか。我が家には私を含め四人の子がおりますが、ういだけは側室の娘です。崎宮当主が避暑に出掛けた先で手をつけた女の子でしてね。"愛情深い"奥方様は側室を迎えたことを許しませんでした。側室を持つことは当然の権利でしょうに、女子の嫉妬は恐ろしい物です。その後、奥方様は側室を憎み――そのせいかどうかはわかりませんが今年に入り側室が心労で倒れこの世を去りました。それでおしまいと思われましたが、幼くして母を失った側室の忘れ形見のういを哀れに思うて崎宮当主は可愛がりました。奥方様は今度はそれが気に食わぬと。それからういを目の敵にして、親切にする者を見つけると屋敷から追い出すようになったのです。……確か先日も、亡き母の墓前に添えるため、花摘みを手伝った女房が暇を出されました」
 玖柳は唖然とした。
 両親を崎宮当主、奥方様と他人事のように語る新木の口ぶりの異様さもあるがそれ以上に聞かされた内容が。
 正室と側室の間には策略が渦巻くものと承知している。玖柳が崎宮で暮らす原因もそれである。だがこの件は事情が違う。側室は亡くなっているし、ういは女子で跡目を脅かす心配もない。母を失った幼子でしかないのだ。
「奥方様も大人げない方ですがういも懲りないのです。亡くなった母のことなど忘れていい加減自分の"立場"をわきまえるべきです。さすればこのような目に遭わずに済みましょうに。愚かな」
 そうは思いませんか? と言うと新木は去って行った。
 残された玖柳は腹の底から込み上げてくるたぎる感情を必死に押さえつける。
 この一族はおかしい。
 玖柳はういの傍へ近寄った。
 女が去った方角を見つめ立ちつくす姿は静かだ。肩で呼吸をさせてぼろぼろ涙を零すが、両の拳を握りしめ唇をぎゅっと結びわずかも声は出さない。大声をあげて叫ぶなら泣くなと慰めることもできよう。しかし、踏みとどまろうと懸命な者に何が言えるか――玖柳の胸は詰まる。望んで側室の子と生まれたわけでもないのに、憎まれ理不尽な目に遭う小さな身が可哀相でならず、涙を拭ってやりたいと手を出す。しかし、ういは触れられぬようにと後ずさる。
「姫君、」
 呼びかけると視線は合ったが、傷つき果てた鈍い色が浮かぶ双眸に息を飲む。その一瞬の怯みのうちにういは走り去った。



2011/12/21

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