恋でないなら 不遇な身の上 02
崎宮に来て一月。
月初めに早瀬から崎宮へ贈り物が届く決まり事を玖柳は楽しみにしていた。届く荷もさることながら、母や親しき者たちの近況を聞けるとの思いからだ。
使いが来たとの知らせで正殿へ赴く。走りだしたい心持ちを押さえ長い渡殿を進む。やがて目的地へ着くが、室内に一歩踏み込み従者の姿を認めた瞬間、華やいでいた玖柳の表情に影が落ちた。
「お久しぶりでございます」
従者は玖柳が座るのを待ってから、書状を読み上げるような物言いで述べる。
「築久殿がお見えになるとは思いませんでした」
挨拶もそこそこに発した一言に築久と呼ばれた男は口元を緩めて見せた。
築久は正室側の側近――いわば敵方である。
目の届かぬ遠き地でよからぬ企てでもされては困るとの憂慮か。と玖柳は考え、なんとも慎重なことだと思ったが。
「崎宮家への訪問は大役でございますから」
早瀬の"本筋"の使いが参らねば失礼にあたる、と皆までは言わなかったが玖柳は察した。さすれば、瞬間に濁った感情が広がる。
築久も嫌味や嘲笑でというより役割として言わねばならぬこともあろう。玖柳が立場をわきまえず傲慢な思いを未だに抱いているならわからせなばとの苦言。しかし――玖柳は崎宮に来ると決まった際、跡取りとして大事にされた日々は無きものとし、静かに過ごす腹づもりでいた。これも己の運命であると受け入れようと文句を言わずにやってきた。だがやはり侘びしさや惨めさを感じずにはいられない。甘やかされた暮らしからの変化に思うほどついていけず、穏やかに生きることは難しく、ともすれば恨み妬みで真っ黒に潰されそうになる。そこへ慰めるどころか、冷たく現実を突き付ける。築久の言葉は感情を逆撫でするものだった。
言われずとも承知している。
荒々しく燃ゆる苦さと、見返してやりたいと反骨する思いが生じ、拳がおのずと強く握られたが。
「御大儀をお掛けしました」
絞り出すように告げる。
築久が丁重な礼を返す。だが、それもやはり型どおりの振舞いである。玖柳の心はさめざめとした。
*
築久は道中の疲れを癒す時間もとらず、荷を届けるとすぐに崎宮を発った。
玖柳もまた、自分宛の荷を運び、住屋に籠る。
荷と一緒に届けられた母からの文を開いた。
元気で過ごしていますか。
崎宮の地は早瀬より随分と冷えると聞いております。綿入れをした羽織などを送ります。必要な品があれば遠慮なく申してくださいますよう。
体には気をつけて病になどかかりませぬことお祈りしております。
読まれるとの危惧か短い。
仕方のないことと思えど虚しさを感じずにはいられず苛立ちを覚えた。あたり散らしたい衝動をため息で誤魔化し届けられた荷をほどく。
文に書かれてあった通り綿入羽織が入っている。
他に書物や干菓子が詰められていた。
気温が高い早瀬の土地ではサトウキビの栽培が盛んであり、氷砂糖を煮て蜜をつくり、それを回転鍋に入れたケシ粒に少量ずつかけて凹凸状の突起ができるよう成長させ、仕上げに桃や野苺を煮詰めたものをかけ着色した小粒の干菓子は名物である。色とりどりのそれは光に当てると宝玉にように美しく輝く。玖柳は一粒つまみあげて口に含んだ。ざらりとした独特の舌触り。イガイガした粒が丸く溶け甘い味が広がり懐かしさを感じさせるが心までは溶かせない。
ゴロンとだらしなく横になり天井を仰ぎ見る。木の目の模様を眺めていても風景は赤らんでいく一方で目を閉ざす。
この世には神も仏もおらず、情けも慈悲も存在せぬものか。
嘆いても応えてくれる者はなく、
「つまらんな」
洩れた呟きに、玖柳ははっとなる。
こちらにきてから独り言が増えた。話相手もおらず一人きりでいる時間が長い。下手をすれば一日声を出さないことがある。これは不味いと頭よりも心の悲鳴が勝ったか、気付けば独り言を述べている。寂しいのであろうな、と恥ずかしくなりながら同時に脳裏に浮かぶ幼い姿。
庭先で会って以来、玖柳は崎宮の末娘・ういに心を配るようになった。
ういもまた独り言が多い。幼き身は好奇心も強く、何くれと人に聞いて周りたい年頃だろうが、構ってくれる者はないようで、たいてい釣殿に架けられた橋の上から池を覗いている。鯉が戯れる姿が面白いのか、仲睦まじく泳ぐ姿が羨ましいのか、あれやこれやと話しかける。返ってくる言葉はなくとも、おしゃべりは止まらない。その様子はいささか奇異に映る。内情を知らずにいれば畏怖を感じるものだ。
熱心な話が一段落つくと、次は橋から降り、等距離に並べられた置き石の上をぴょんぴょんと跳びはね渡り行く。端まで行くと戻ってきて、戻ってきてはまた進む。きゃっきゃとはしゃぐ姿は楽しげで子どもなのだと頷くが、ひらりと軽やかに舞う姿は蝶が花から花へと移りいくように可憐にも見えた。だがそれも次第に勢いが鎮まる。やはり一人では退屈になるのだろう。
それに飽きると今度は敷地内にある林に入り落ち葉を広い集める。花を摘むと叱られるので綺麗に紅葉した落ち葉を仏前に飾ることを思いついたらしく、美しいものを拾っては空に掲げ日の光に晒し、「むぅー」と吟味する声をあげる。そうして幾枚も熱心に比較して気に入ったものを見つけると屋敷に駆けていく。
それが日中、ういの大方の過ごし方だ。
玖柳は一人遊びをする姿を哀れに思って声をかける。しかし――そうするとういは伸びやかに過ごしていた状態から硬直してしまう。怯えているのは一目瞭然だった。それでも深々と丁寧なお辞儀をする。人に会えば挨拶しなさいとの躾を忠実に守っている様子に素直な性格が垣間見えた。
大きな目でじっと見つめられると玖柳は照れくさいような妙な気分になり、次の言葉が思いつかなくなる。自分で声をかけておきながら困り果てた。ういは黙った玖柳を置き去りにして屋敷へ逃げていく。
初めの数日はそのようにして過ごしたが、ういは玖柳が咎めも叱りもしないとわかると次第に日課としている遊びを玖柳の前でもして見せるようになった。そして、時折ちらりと玖柳を伺う。目が合うと慌てて逸らされる。話しかけてくることはない。玖柳を意識しているのは理解できるが、遊んでほしくて気にしているというより、何か言われるのではないかとひやひやしていると感じられた。事実、玖柳が話しかけようと一歩近づくと、それを察知して慌てて走り去っていく。
もう少し柔らかな空気があれば玖柳も踏み込めるが、避けられているのに強引な振舞いも出来ないとやるせなく思った。しかし、時間が経過するうちにそれが変化し始める。ういにもういの気持ちがあり、人々に辛く当られ、他人を不信するようになってしまったのだと同情的であったが、あまりに懐かぬ雰囲気に、せっかく可愛がってやろうと思ったのにと憤り、このように頑なであるから皆にも冷たくされるのだと。そして、ここしばらくは様子を見に行くことさえやめてしまったのだが。
寝そべっていた体勢から起き上がり、右手に握っていた干菓子の入った袋を持ち上げる。
――崎宮の地では珍しいであろうこの菓子をやれば、あっさりと懐くかもしれんな。
幼子は単純であると、菓子の一つでも与えれば掌を返すに違いないと、気まぐれとも気晴らしともつかぬ思いつきで玖柳は届いたばかりの綿入羽織を着込み住屋を出た。
2012/1/5