「はいこれ」
三月に入って二週目の金曜だった。晶規の家を訪れると渡された袋。これって……。
「えっと……いろいろと聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「これは私に?」
「そうだよ。どう考えても俺は使わないじゃん」
そうだろう。これは「女性下着」専門のお店の紙袋だ。
「どうしたの? これ」
「買いに行った」
「一人で?」
「恥ずかしかったな」
「でしょうね……でもどうして突然下着を……」
「この時期の贈り物といえばホワイトデイのプレゼントに決まってるでしょ?」
ホワイトデイのプレゼントに下着を? 当たり前みたいに言うが、それってかなり際どい贈り物だと思うのだけど…。それに、
「私、バレンタインあげてないし」
「うん。知ってる。こなかったからね。あの一ヶ月」
言葉に完全に棘がある。そう。二月は私が晶規を避けていた時期だったから、バレンタインなど悠長に楽しんでいる余裕などなかった。
「だったら、もらう理由ないよ」
「なんで?」
「なんでって……」
「別にいいじゃん。逆チョコってのもあるぐらいだし。素直にもらっとけば? つーか別に咲穂のためだけってわけでもないし」
晶規は嬉しそうだ。中を開けるのがとても怖い。
「つけてね。今とは言わないから。明日来るときでいいよ」
「……」
「嫌なの?」
「い、やというかなんというか…下着ってそんな安いものでもないし……」
特にここの下着メーカーのものはどれも結構な値段がする。高校生が簡単に買える品ではない。安々ともらうわけにはいかない。
「もう買っちゃったし。つけてくれないと無駄になるんだからもらってよ」
「でも……」
「そんなに聞きわけないなら、今ここで俺がつけさせてもいいんだよ? そういうプレイも楽しいかもね。どうする?」
「……ありがたくいただきます」
いい子だねと頭を撫でてくれた。ちっとも嬉しくない。
「けど、やっぱりもらうだけなんて申し訳ないから、私も何かプレゼントするよ。…欲しいものある?」
「別にない」
晶規は自分の持ち物にはとことんこだわる。インスピレーションを大事にする。お店に足を運んで気に入ったものでなければ買わない。同じ形、同じ素材、同じ色でも、小さな差異はある。そこにこだわるのだ。お洒落な人とはそういうものなの? 正直唖然とする。だけど勝手に買ってきても喜ばないから聞いたのだ。にべもない返事になんだか寂しくなる。
気まずい(とたぶん私が一方的に思っているだけだろうけど)沈黙を破ったのは携帯の着信メロディだった。私のものだ。
「俺といる時は携帯切っといてっていってるのに、なんでつけてるの?」
「それじゃあ携帯の意味がないでしょ? 緊急の時とか困るじゃない」
「なにそれ。あんたの最優先は俺でしょ?」
ごねる晶規を無視して、携帯を開いた。電話ではなくメールだ。同じクラスの青田くん。「同窓会、出席するかの返事がほしい」という内容だ。青田くんとは中学が同じだ。今度仲良しグループで集まることになっていた。幹事をしてくれていたのに返事を忘れていた。その督促。
「何? 誰?」
「青田くんから…今度中学の友達と集まるのに返事するの忘れてたの!」
「青田?」
晶規の声が更に不機嫌になった。何故かわからないけど、晶規は青田くんをやたらと目の敵にしている。真面目そうなところが自分と合わないんだそうだが……真面目さなら私も負けていないと思う。何が違うのだろう?
晶規のことは置いといて、青田くんへの返信に集中する。返し終えて晶規を見る。きっと不機嫌なのだろうなぁと思ったが意外とそうでもなくて……。
「ねぇ、さっきの話だけどさ」
「え?」
「お返しだよ。タイ買ってよ。学校の。失くしたんだよね。学校指定のネクタイ買って」
「……そんなんでいいの?」
購買部で千円ほどのものだ。もらった物と釣り合いがとれているとは思えなかった。だけど、
「もちろん」
晶規はにっこりと笑った。だから言われた通りネクタイを贈った。
窮屈でダサいからという理由で締めなかったのに(もちろん違反だけどうちの学校はその辺が結構ゆるい)、それから晶規は毎日ちゃんと締めて登校するようになった。
私が贈ったモノを身につけてくれていると思うと嬉しかった。喜んで浮かれてい私は、だから、晶規がどうしてネクタイを欲しがったのか考えなかった。校則を守るようになったことを誉めたぐらいだ。晶規がお洒落よりも優先させるなんて、何かあると疑うべきだった。深い意味があったに違いないのに見逃してしまったのだ。
それから十年後――
「高校の制服なんてまだ持ってたの?」
新居に引っ越して荷物の整理をしていたら懐かしい物を見つけた。思わず声が出る。学校の制服なんてダサいって言ってなかったか? それを大事に持っているのが意外だ。しかも、実家に置いてくればいいのに、わざわざ持ってくるなんて。私はとっくに処分してしまっている。
「ああ、ネクタイだけね。……それ咲穂がくれたものだから」
「そういえば、そんなことがあったね」
私があげたものだから持っていてくれたのか。なんだか嬉しくなる。
「うん。でもあの時、失くしたって言ったのは嘘だよ。ホントは、ちゃんと持ってた」
「は、い? どうしてそんな嘘ついたの?」
そんなつまらない嘘をついてまで欲しがるような物には思えない。一体何を考えているのだろう? 自然と眉が寄っていく。対照的に、晶規の機嫌よさそうだった。不気味だ。
「咲穂は本当に鈍いね。女の子が男にネクタイを贈るのは意味があるんだよ」
「意味?」
「そう。『あなたに首ったけ。あなたを束縛したいです』って」
「え?」
「そんなに驚くこと? 俺の周りの奴らは全員知ってたけど?」
みんな知ってた? すごく嫌なことを聞いてしまった気がする。
「…ずっとネクタイをしてこなかったのに急に真面目に締めはじめたから『どうしたんだよ?』って聞かれたわよね? そしたらあなた『咲穂にもらった』って答えたわよね?」
「そうだよ」
晶規は満足そうに笑っている。
そう。あの時、晶規は私にもらったものだと宣言した。私たちの関係を周知させたのだ。まさか言うとは思っていなかった。学校では相変わらず素っ気なかったし。ずっと黙っているものだと思った。だからちょっと嬉しかった。でもクラスメイトはビックリしていた。そりゃそうだろう。素行がいいとは言えないプレイボーイと真面目な私とでは不釣り合いだ。驚愕したように私を見て「羽鳥って意外とアレなのな」と言ったのだ。私は純粋に「付き合っている」ことに驚いての言葉だと思っていたけど「意外とアレ」の「アレ」というのはつまり…
「咲穂って俺の周りでは超嫉妬深いってことで有名なんだよねぇ」
「なっ、」
――信じられない。やられた……!
私は十年越しの真実に、ただ恥ずかしくて、叫ぶことも出来きなかった。
2010/3/3
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