降伏せよ 嫉妬心 > novel index
※この作品は降伏せよシリーズです。
 シリーズ2でちょろっと出てきた「紺野さんが綺麗な女性を連れてきたパーティー」の詳細。
 内容はパラレルです。


降伏せよ  嫉妬心

 会場に入ってきた瞬間に目を引いた。
 私は隅の方に立っていた。今日はとある要人の護衛だ。といっても私が守っているわけではなく、田所さんと高坂君が警護に当たっていて、私はそのサポート。本当は地下駐車場で待機するべきなのだろうけど、いいからおいで、と田所さんに半ば強引に連れて来られた。こういう時の田所さんは絶対に何かを企んでいる。嫌な予感がビシビシしたけれど、私は逆らいきれずやってきた。
「はい、これ着替えて」
 どこから持ってきたのかドレスまで渡された。赤いドレスだ。細身で、露出も結構ある。着なれないドレスは、着がえたものの恥ずかしくて、やっぱり脱ぎますと言いかけると、
「トーコちゃんはスレンダーだから、こういうの着てもいやらしくないね」
 先に牽制される。
 しかし、それはつまり遠まわしに、色気がないから大丈夫、という意味だ。失礼ではないか。と思ったけれど、事実自分でも色気の「い」の字もないことは自覚していたので反論できない。誰も私の姿など見ないだろう。ここで恥ずかしいなど言えば自意識過剰だ。諦めて会場に入った。
 それからほどなくして、彼――いや、彼らが現れたのだ。
 紺野さん一人でも目立つ人だったけど、隣に立つ女性がとても綺麗な人だったから余計に目を引く。会場中の視線が二人に注がれている。
「あらま」
 隣にいた田所さんがおどける。
 チラリと見ると、目があった。
「知ってましたね」
 私は告げた。泣きたかった。
「女性連れとは思わなかった。それに、ドレスの色まで同じとは。ごめんね」
 彼の傍に立つ綺麗な人と私のドレスの色は同じ。だけど全然違う。私とあの人とでは美しさが。でも、私が謝ってほしかったのはそんなことではない。田所さんは知っていたのだ。彼がここへ来ること。鉢合わせさせて面白がるつもりだった。悪趣味だ。
「こういう席では女性と同伴するのはよくあることだよ。別にそれで付き合っているわけではない……なんてことは思えないよねぇ」
 本気で、泣きたい、と思った。
 ひどい。あんまりだ。と責めたかった。
 だけど、そんなことをしても意味はない。田所さんのせいで見てしまったけれど、彼があの綺麗な人と一緒にいることは田所さんのせいではなかったから。
「あれ? トーコちゃん。どうした?」
 会場を一通り見終えた高坂君が戻ってくる。
 私の様子がおかしいことに気付いて心配げな声。
「田所さん、何かしたんですか?」
「……ちょっといじめちゃった」
「いい加減にしないと愛想つかされますよ?」
 それから高坂君は私の頭を撫でた。小さな子どもにするみたいに。その仕草に、私は少しだけ笑った。流石、正義の味方だ。弱い者の味方なのだ。
「駐車場に戻ります」
 私は告げた。
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
 心配した高坂君が言ってくれる。でも、
「ダメだよ。君はお仕事。トーコちゃんは一人で行けるよね」
 こういうところは田所さんは厳しい。当然だけど。私たちは遊びでここに来ているわけではない。私に構っている間に要人に何かあっては面目が立たない。
「その代わり、上着、貸してあげて」
 高坂君は言われた通り上着を脱いで私にかけてくれた。高坂君の体温がそのまま冷えた肩とそれから心にも落ちてくる。なんだかますます泣きたくなる。
 私は会場を後にする。
「高坂君はますます憎まれただろうなぁ」
 後ろから田所さんの嬉しそうな声が聞こえた。

 華やかな会場を後にすると、気持ちの滅入りはひどくなる。
 泣くにしても、嘆くにしても、とにかく車まで戻らないと。
 エレベーターに乗り込む。
 人の気配はなかったし、悲しみが凶暴化してしまったように「閉」のボタンを連打した。早く閉まって、早く降りてしまいたい。そんな気持ち。だけど、
 ガッっと鈍い音。
 ほとんど閉まりかかっている扉に誰かが拳を挟んできた。私は驚いて、すぐさま開くのボタンを押す(そんなことしなくても障害物に当たった反動で扉は自動で開くけれど)。
「すみません。誰もいないとお――」
 ゆっくりと開いて行く扉。その向こうにいる人に私は謝罪の言葉を述べかけた。けれど、途中で飲み込む。立っていたのは今、一番会いたくなかった人物だったから。
――これは何の罰なのだろうか。
 私は「何階ですか?」と声をかけることもできず黙ってしまう。
 血の気が引いて行く。急に寒気がしてきて、私は高坂君にかけてもらった上着の前を内側から重ね合わせる。
 乗り込んできた彼は、無言で私の傍に立ち「閉」のボタンを押した。私はその長い指先を見つめる。扉が閉まる。そして僅かな振動と共にエレベーターが動き出した。
 だけど。
 私の傍にある圧迫感は一向に消えない。気配を伺うようにそちらを見る。それを待っていたかのように顎に温かいものが触れた。彼の両手に包み込まれているのだと理解したが、その次の瞬間には今度は温かいものが私の唇に当てられていた。
 思考が停止したが、肉体は正常に働く。
 私は抗った。
 両手で彼の腕を振り払おうと懸命になる。その振動で掛けられた高坂君の上着がパサリと落ちた。途端に、寒さが増した。だが今はそれよりもするべきことがある。私は依然と続いている口づけ――と呼べるかどうかも微妙な獰猛なソレから逃れようと身じろぐが、彼はいつのまにか私の頬から手を外し、腰と肩を強く抱きしめていた。元々、体格の差、力の差は歴然だ。こんな風にされては抵抗らしい抵抗もできない。
 その行為は、地下の駐車場に着くまで続いたが、扉が開くと共に止められる。
 久々の新鮮な空気を吸いこむことに必死になる。
――降りなければ、
 説明を聞くとか、話をするとか、そういう気持ちは少しもなかった。車に戻って一人になりたかった。
 だけど、彼は私を逃がしてはくれない。
 彼は私の手首を掴み拘束したまま、「閉」と「三十三階」のボタンを押すとまた再び私の唇を塞いだ。

 彼の目的地らしい三十三階に着くまでの間に、エレベーターが止まって誰かが乗り込んできたら私は逃げられたかもしれない。だけど、一度も止まらなかった。
 それまで角度を変えては与えられる柔らかく強い刺激に眩暈がする。
 扉が再び開く。
 彼は私を連れて行こうとする。
「やめてください。どういうつもりですか」
 クラクラした頭でも告げられた自分を誉めてやりたかった。
 だけど、
「どういうつもり? それは私が聞きたい」
 不機嫌な声だった。
 それから私の手をとり歩きだそうとする。冗談ではない。
「イヤだ! 行かない」
 私は暴れた。すると彼は私を抱き上げる。
「暴れるな。落ちたら大変だ。大人しくしていれば何もしない」
 何もしない? ならついさっきのアレは何だ! と言いたかった。けれど、そんなことを言える雰囲気ではない。彼は確実に怒っていた。何故怒っているのかは不明だが、その怒りは私に向けられたものであるらしい。その冷たい怒りに私は怯んでいた。怖い。この人が、恐ろしいと。
 私が委縮してしまっていることが伝わったのか、僅かにだが彼は寄せていた柳眉を緩め、心なし声音を緩くして、
「いい子だから大人しくしていなさい。君に乱暴はしない」
 たぶん、それは信じていいのだろう。気を使われているのが証拠だと思われた。ただ黙らせたいだけなら、威圧感を感じさせているに違いなかった。そんな気がして、少しだけ緊張が解ける。
 連れだされたエレベーターが閉まるのが見える。
「あ、上着……」
 高坂君に貸りているものだ。返す義務がある。取りに戻りたいと私は告げた。だけど、
「必要ない。新しいものをいくらでも買って返してやる」
「そういう問題じゃないです。あれは、私のじゃない」
「……君はそんなに私を怒らせたいのか?」
 幾分和らいだはずの声音がまた険しくなる。私は黙った。彼は満足したのかそのまま歩みを進めた。

 君に乱暴はしない――という言葉はどうやら本当らしく、通された無駄に広い部屋のソファに丁寧に降ろされた。隣に彼も腰を下ろす。近いな、と思ったが、言えないので、少しだけ私が体をずらした。
 彼はあからさまなため息をつく。
 私は乱暴されないとわかったことも手伝ってか、その投げやりな態度に私の中で縮こまっていた怒りが膨張し始める。そもそも"私が"怒るべきなのではないか。もし、彼と私が付き合っているのならば、"私が"怒るべき立場だろう。だって彼は私ではない女性と腕を組んでパーティーに出席していたのだから。
 ずっと、彼の顔を見ないように逃げていたけれど、私は自分に非がないこと、彼の態度が酷いことを認識して、逃げることをやめた。正面から彼のことを見る。"私に"後ろめたいことなど何一つないのだ。
 彼の不機嫌な顔が目に入る。
 それでも怯まずに見続けると、ふっと彼の目が緩む。かと思ったら今度は指がのびてきて大きな右手が私の右頬に触れたかと思うと、口づけされる。かすめた瞬間、私は体をのけぞった。
 するとたちまち彼は不機嫌な顔に戻る。
「なんなんですか。怒ったり、キスしてきたり。何がしたいんです?」
「君が悪い」
 しれっと言われる。
「私が?」
 何が? という意味で言う。"私は"何も悪くない。心当たりはない。何をどう考えても。じっと見ていると、彼の方がぷいっと視線をそらせた。勝ったと思った。勝ってもちっとも嬉しくはないけれど。
「仕事中なので失礼します」
 立ち上がる。
 が。
 ぐいっと腕を掴まれて戻される。
「なんですか?」
「なんですかじゃない。そんな格好で仕事? 田所は君に色仕掛けでもしろと命じているのか」
「……意味がわかりません。普通の格好でしょう」
「普通? どこか? そんな下着のような薄着でうろつくなんて」
 確かに、普段パンツスーツだから、こういう服装はいつもより露出は多いけれど、それでもドレスとしては地味な方だと思われた。私のドレスが下着だというのなら、
「あなたがご一緒されていた女性の方がよほど下着のようだと思いますけど?」
 彼は鼻で嗤う。私はカチンとくる。
「何がおかしいんですか?」
「君は何か勘違いしているんじゃないか?」
「勘違い?」
「君と彼女は違う」
 そう告げた彼は先程の厭味ったらしさはもうなかった。今度は奇妙に嬉しそうに見える。まったく、この人の感情のスイッチがどこにあるのかわからない。不気味に感じる。私は怖くなって、離れるようにじりじりと後ろに下がる。だけど今度はその距離を埋めてくる。そして、楽しそうに私の頬に唇をつけると右手で触れながら、
「彼女はただの同伴者だ。彼女が他の男にどれだけ注目されようが関係ない。だが、君は違う。君は私のものだ。私以外の男に注目されるなんてことあってはならない」
「……なんですか、それは」
「君はさっきからそればかりだな」
 ものすごい内容をそんな簡単に言われて私の動悸は激しくなる。弄ぶようにして触れられる頬が熱くなっているのがわかる。だけど、このまま彼の言葉に飲み込まれてしまうのはやはり釈然としない。
「誰も私のことなんて見てません」
「どうかな。少なくとも二人は見ていただろう。田所と高坂」
「田所さんも高坂君も私のことをそういう意味で見る人たちじゃな」
――い。と言い終える前に人差し指を唇に押し当てられる。
「どういう意味で見ているかは問題ではない。見られていることが問題なんだ。これからは二度と人前でこういう服は着るんじゃないよ。わかったね」
 声音こそ静かなものだったが、その響きは強制的だった。あまりに横暴ではないか。憮然としていると、それを拒否と捉えたのか、彼はため息をひとつついて、
「別にいいよ。着ても」
 今度はあまりにも物わかりのいいことを言う。
 ただ、唇にあてられていた指がまた私の頬を撫で始め、その手が異様に執拗に思えた。ぞくっと背筋に悪寒が走るような。嫌な予感をひしひし感じていると、
「ただ、そうすると君の歩いた後は大変なことになっているだろうけど。見た人間を一人ずつ片付けていく。私はそれでも構わないよ。全然」
「……冗談、ですよねぇ?」
「そうであることを願うね。いくら片したところで見られたことは変わらないわけだし我慢ならない。君の良心に任せよう」
「そんなの脅しじゃないですか!」
 私は吠えたけど、彼は一切発言を撤回することはなく、
「まぁ、答えはじっくり考えてくれたらいい。そんな余裕があればだけど」
 言うやいなや上から覆いかぶさってくる。
 これは、つまり、
 止める間もなく塞がれる唇。今日、もう、何度目か。
「ん……いや、だ……」
 だけど漏らした呟きから唇を割られて差し入れられた舌が口内を侵す。こうなってしまうともう逆らう術もなく、ただその行為を受け入れるしかなくて。強い刺激に目の前がチカチカする。
 そうして散々快感を与えられた後、ゆっくりと離される。
 自分でも体が熱い。
 けれど、目の前の彼は涼しい顔だ。口元に笑みまで浮かべて。それを見ていると腹が立ってくる。私は暴れた。
「どいてください。私は仕事中なんです! みんなが心配します」
「それなら大丈夫だ」
「……どういう意味です?」
「会場を出る時、田所と目が合った。あれは聡い男だ。君が帰らなければ、そういうことだと察するだろう」
 察する? ――冗談じゃない。それこそ、本当に、冗談ではなかった。私がここで何をしているか知られているなんて、そんな恥ずかしいこと。
「帰る! 帰ります」
 だけど、彼は当然、そんな言葉に耳を傾けてくれるはずはなく。
「いい子だ。ほらおいで」
 暴れてみても軽々担いで寝室へ連れて行かれた。
 それから私が解放されたのは、結局翌日の昼過ぎで、職場に行くと薄気味悪い田所さんの笑みに迎えられた。そして散々からかわれたのは言うまでもない。



2011/6/6

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