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笑ってよ

 大学一年の夏休み。幼馴染の門倉遼が久々に訪ねてきた。
 隣の家に住んでいて、幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと同じところに通っていたから毎日顔を合わせていたが、今はもう違う。大学は別々になったから。私は近くの短大だけど、遼の通う大学は電車で一時間以上かかる。家を出る時間にも差が出てくる。そしたら自然と嘘みたいに会わなくなった。
 それが、突然やってきた。
「何? どうしたの? 彼女のプレゼント選び?」
 よく付き合わされていた。直接彼女と選びにいけばいいじゃないかと思うが、サプライズで驚かせたいと返されて、おまけに「志保はセンスがいいから」と褒められると断れなくて引き受けてしまう(私はおだてに弱いのだ)。今回もまた、そんなことだろうなと思った。遼が私に会いに来るなんて、他に理由が思いつない。
 私の言葉に、遼はうっと躊躇った。
――やっぱりか。
 何が悲しくて、遼の彼女のプレゼントを選ばなきゃならないんだろう。と、言いつつ、結局今回も引き受けるのだろけれど。断りきれない自分が痛い。と、ひとしきり塞ぎこんでいたら、
「違うよ。そうじゃない」
「え?」
 違うの? と私は変な声が出た。だったら、何なのだろうか? 訝しく思っていると、
「俺たち、付き合わないか」
 告げられた台詞に息をのむ。
 言葉を失う。
 だって、こんなこと言われるなんて。これは夢か? だけど、
「なんか、志保の顔を見ないと調子が出ないというか、しっくりこないというか、もやもやするというか。このままこういう毎日が当たり前になるのかと思ったら、嫌だって思ったから」
 何故、遼が、そんなことを思うのか。私には不思議だった。
 私は長い間、遼に恋心と呼ぶのも憚られるような淡い淡い想いを抱いていた。一方で遼は中学に上がった頃からモテはじめ、彼女を作り、楽しそうに過ごしていた。その姿を見るのはやるせなかったけど、だから関わりを断って逃げ出そうとしたこともあったけど、家が隣である以上、それはなかなか難しかった。どうしても視界に入ってくる。仕方がない。私は少しずつ、切なさと折り合いを付けていくことを覚えた。だから、正直なところ、大学生になって遼の姿を見ることがなくなったことに、寂しさよりも安堵が強かった。もう、苦しまなくていいのだとほっとした。それが、
「俺、志保のこと好きだったんだって、気付いたから」
 まるで、自分が映画の世界に迷い込んだような気分だった。こんなドラマチックな展開。確かに私はずっと遼の傍にいたけど。ただ、傍にいただけで、何も出来ずに諦め続けた気持ちだったのに。切なさと寂しさを受け入れ続けた日々が、思いもよらず報われてしまった。ただ、ただ、びっくりした。びっくりして、でも、私は、しっかりとうなずいた。

 付き合うことになってから三日後。
 地元の夏祭りに二人して行くことにした。
 私は浴衣を着た。本当は洋服で行くつもりだったのに、五歳上の姉が「初デートなんだし、浴衣着なくちゃ」と強制的に着せられた。
 姉に遼との付き合いを話したことを少し後悔した。
 あの日の夜、姉は私の異変を目ざとく察知して吐かされたのだ。夢見心地だったせいか、簡単に吐露した私も私だけど。誰かに聞いてもらって、現実だと実感したかったのかもしれない。告げると、姉は私の気持ちをよくよく知っていたから、大変喜んでくれた。嬉しかった。けど、
「やっぱりちょっと浴衣は……気合い入りすぎてる感じがするよ」
「なーにいってんの。彼女が可愛い姿をして、喜ばない男はいないわよ」

 そうかもしれないけど――。

 思い出すのは中学二年の夏祭り。
 当時、遼は付き合っていた彼女と夏祭りに出掛けた。二人が一緒にいる現場をどういうわけか見つける(きっと遼への想いが無意識に遼を探してしまっていたのだろうけど)。

「馬子にも衣装ってやつ?」
「ひどーい。せっかく可愛くしてきたのに。可愛いって言ってよ」

 そんなやりとりをしていた。
 遼はとても照れていたのだろう。照れ隠しで茶化した。すると、女の子はそれにぷくっとふくれてみせる。その姿もまた可愛らしくて、遼は嬉しそうだった。じゃれあう二人を私は遠目に見つめた。

 きっと、今回もそういうことになるのではないか。
 だけど、私はあの子のように可愛らしく返せる自信はない。「ひどーい」とふくれてみせるなんて真似はできそうにない。考えるだけで憂鬱だった。だけど姉は私の心情など知る由もなく、
「楽しんでおいで」
 と送りだされた。

 待ち合わせは神社の近くのコンビニ前だ。
 家が隣りなのだから、マンションの廊下で待ち合わせすればいいのだけれど、なんだかそれではデートっぽくないと、違う場所で待ち合わせることになった。
 徒歩十分の道のりを進む。
 やがて、遼の姿が見えてくる。先に来て待っていた。私に気付くと片手を上げ合図をくれる。歩調が早まる。
「待たせてごめんね」
 正面まで行くと、遼は押し黙って――私の姿をじっと見つめた。

 ああ、くる。
 例のアレが、くる。

 私は少し身を堅くして、言葉を待った。だけど、
「いいね。似合っているよ。すごく綺麗」
 それから、髪飾りに触れて、
「これも、可愛い」
 指先はそのまま私の髪を撫でる。
 思ってもみなかった態度だった。遼を見る。口元は閉ざされているが、目元は微笑んでいた。柔らかく静かに。だけど、確実に熱を帯びて、愛おしげだった。自惚れではなく。こんな風に見つめられたのは生まれて初めてだ。
 しばらく、そうしていると、やがて遼はふわっと笑った。
「行こうか」
 と告げられて、私は我に返りうなずきかける。だけどその前に、私の髪に触れていた遼の手が私の右手を取る。躊躇いなく繋いで歩きだす。私は引っ張られるように遼の後ろを歩く。繋いだ指先から伝わってくる体温は温かい。けれど、何故だろう。私は急激な悲しみに襲われていた。

 何が、悲しいのか。
 自分でも、よく、わからない。
 ただ、

「茶化してよ。馬子にも衣装だなとか、そう言って笑ってよ。そしたら私も笑って普通に出来るのに」

 自分でも何を言ってるのだろうかと思う。可愛いと誉められて、優しくされて、それなのに、何を言っているのだろうか。そもそも、そんな風に茶化されることを嫌だと思っていたのではないか。茶化されても、可愛く返せない。だから、茶化すようなことはされたくないと思っていた。それなのに、矛盾しまくったことを口走っている。悲しくて。悲しい――というか、
「志保?」
 遼は立ち止り振りかえると、私の名前を呼ぶ。涙で滲んで表情は見えないけど、私の姿に、驚いているのがわかる。当然だ。私だって驚いている。自分のいいようのないこの感覚に。
「志保……ごめんな?」
 声は静かだった。
 無茶苦茶なことを言っているのは私なのに、謝られたことで私はますます混乱する。
 呆れられる。困らせる。嫌われる。よくない言葉がぐるぐると目まぐるしくうごめいていたけれど、私はこの状況をどう対処していいかわからない。どうして泣いているか自分でも理由がわからないのに、わからないことを処理することはできない。
 だけど。
 遼は私の正面に立ち、繋いでいない方の手も取って、ぎゅっと握られた。私の心臓は大きく揺れる。
「不安がらせて、ごめん。志保が男と付き合うの初めてってわかってたし、だからゆっくり進もうと思ってたのに、恋人になれたことが嬉しくて、つい……いきなりこれまでと違った態度で接せられても困るよな」

――あ、

 私の縮まっていた心が強く反応する。
 そうか、と。
 そうか。私のこの不確かで曖昧で居心地の悪い気持ち。これは――不安なのだ。 
 生まれて初めてデートすることへの緊張。甘い雰囲気をどうしていいのかわからない。だけど、遼は手慣れた風に、恋人として接してくる。それをうまく受けとめられず、友だちのように、気安く、気軽く、そうしてくれたらいいのに、と願ってしまう。
 そんな勝手な気持ちを、遼は、私よりもずっと理解してくれていることに、また別の涙が溢れる。
 
「でも、志保のことを好きだって気付いた時から、もう後戻りはできないから。出来るだけ負担をかけないようにはするけど、好きだって気持ちを隠せない」

 潔いぐらいキッパリと言う。
 いつの間に、こんなに真っ直ぐな人になったのだろうか。照れ隠しで茶化すことなく、自分の気持ちを躊躇わず言葉にするようになったのだろうか。過去のいくつかの恋の経験の賜物? 
 それに比べて、私は全然だ。自分の気持ちさえ理解できず、八つ当たりを。情けなく、みっともなかった。
 
 ダメだ。こんなんじゃ。
 ダメだ。ちゃんと、言わなくちゃ。

「ごめんなさい。もう大丈夫。ちょっとびっくりして、でも、私も……遼の恋人になれたことは嬉しいから。うまく振る舞えないけど、ホントに嬉しいから」

 どうにか、それだけ言えた。
 格好悪い告白だけれど、今、言える言葉を伝える。
 私の言葉に、遼を包む空気が、少しだけ華やいだ気がした。
 それから、

「それ、とてつもなく殺し文句だと思うけど?」

 遠くでドーント大きな音が上がる。
 空に大輪の花が咲く。



2011/8/4

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