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カナリアは鳴いていた

 愛深と書いてメグミと読む。それが彼女の花街での名でございました。
 口減らしのために六歳で遊郭に売られてきた身に、「愛深」と名付けるなんて皮肉でございましょう。名付けたのは小倉の大旦那と呼ばれておりました豪商のご隠居だと聞き及んでおります。愛深さんの水揚げのお相手でいらっしゃいました。
 愛深さんはそれはそれはお美しい方でございましたのよ。ですから、売れっ子の遊女でございましてね。ひっきりなしにお客が通ってらっしゃいました。その中で特別ご熱心に通われていたのが鮎川家の次男・康二郎様でございました。
 康二郎様は愛深さんの身請けを申し込まれましてね。鮎川家といえば旧華族のご立派な御家柄。こんないいお話滅多にあるものではございません。かくして、幸運を手にした遊女として身請けされることになったのでございます。
 ですが幸運はいつまでも続かないもの。ご存じでございましょうけれど、大雨が降った、寒い冬の日に、康二郎様の乗った車が事故に遭い、お亡くなりになられたのでございます。
 お通夜とお葬式はしめやかに行われました。そのどちらにも愛深さんはお見えになられませんでした。康二郎様のご寵愛を受けてらしたといえ、世間では「囲われている身」でございますから、本家に出向くなんてこと出来なかったのでしょう。まして、事故に遭われたのは、愛深さんの元へ向かう途中だったそうですから、尚さらに敷居が高かったのでしょうね。
 それから愛深さんの行方が知れなくなったのでございます。
 口の悪い者の中には、主人がいなくなって、身一つでほおりだされる前に、売れるものをすべて売って、今頃優雅に暮らしているに違いないなんて申す者もおりました。
 ですが、事実は小説よりも奇なり。まさかあんなことになっていたなんて……。
 康二郎様の一周忌が過ぎた頃、康二郎様が愛深さんのために用意していた屋敷の処分の話が持ち上がったのです。事故の衝撃が大きすぎて、鮎川家では康二郎様のお話は禁忌になっていたのですが、ちょうどその頃、政府より土地区画整理のお話が持ち上がりましてね。康二郎様所有の屋敷も立ち退きの対象になったのでございます。それで、処分することになったのです。
 屋敷には役所の職員と、康二郎様のお兄様が向かわれました。
 一年も誰の手もつけられていない屋敷は酷い有様で、蜘蛛の巣や埃で、口元を押さえていないと息も出来なかったそうです。それでも、「一応中を改めてください」という職員のお役所然とした対応に、渋々従いながら、一部屋ずつを改めていったそうです。
 そして、最後に辿りついた部屋――壁一面が真っ赤に塗られた座敷牢で、白骨死体が発見されたのでございます。それが、変わり果てた愛深さんでございました。
 警察の見解では、死体の首と手足に鎖が繋がれていたことから、監禁されていたとの見方が有力でございました。愛深さんは、鎖のせいで外に出ることが出来ず、餓死し、その後、誰にも発見されることなく白骨化したのです。
 旧華族の次男、遊女を監禁。非人道的扱い。死人に口無しと申しますが、当事者がこの世にいないことをいいことに、新聞は面白可笑しく書きたてました。
 ですが、それは違うと思うのです。もし、本当に非人道に扱っていたのならば、あの日、康二郎様が事故に遭われた、大雨の降る日、わざわざ愛深さんの元へ向かおうとはしなかったと思うのです。たった一日ほおっておいても人は死にはしません。でも、康二郎様は愛深さんの元へむかった。そして事故に遭われた……。
 あんな事故さえなければ、こんな不幸、起きなかったに違いないのです。
 たとえ世間がなんと申そうと、康二郎様は、それはそれは愛深さんを愛してらしたのですよ。愛おしくて愛おしくて、誰にも渡したくないとお思いになっていたのではないでしょうか。だから縛りつけて監禁した。そして、そんな康二郎様の、過度の執着を愛深さんは喜んでらしたのではないでしょうか。幼い頃より、愛というものを知らずに育った愛深さんですから、たとえそれが狂気の行動であっても、強く求められることに幸せを感じていたのではないかと思えてなりません。
 だって、愛深さんは幸せそうでしたもの。一度だけ、身請けされてから一度だけ、偶然街でお見かけしたことがございましたの。その時、おっしゃってらしたんですもの。
「今まで辛いことばかりだったけれど、生まれてきてよかったと初めて思ったの。あの方と共にいられて、私はとても幸せよ」
 確かにそうおっしゃいました。見たこともないような優しいお顔で、歌うように私におっしゃったのですもの。あの言葉が嘘だとはどうしても思えないのです。私はそう信じております。




2009/10/10

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