
悪人の純愛
「俺の首やるよ」
「何それ?」
「俺の首に縄をかけて捕まえたいって、みんな言うぜ? でも俺は捕まらない。けど、お前にならいいかなって思ったんだ。だから、やるよ」
遊び人の男らしい。女はみんな自分に惚れて首ったけになるとでも言いたいのか。なんとも不遜な言葉。それがプロポーズだった。
男は、どういうわけか私を気に入って、押しかけ女房ならぬ押しかけ旦那として転がり込んできたのだ。迷惑千万と追い出そうとしたが、他に行くところがないという。外は雨が降っていた。台風が来ているらしい。ここで追い出すのはあまりかなと人情を出して二、三日ならと受け入れたのが間違いだ。一週間になり、一ヶ月になり、ついには完全に住み着いて、一緒になろうと言い出した。
「一年でいい。籍も入れることはない。俺と夫婦になってほしい」
一年の期間限定? 籍も入れない? それが夫婦といえるのか。なんなんだろうと思った。
それから半年して理由がわかった。
男は末期癌だった。余命いくばくもない。最後を看取ってくれる人間を探していたのだ。それが私だった。さすが遊び人だ。女を見る目がある。私がこういう厄介ごとを断れないと知っての確信犯に違いない。事実、一緒に過ごした半年の間に、私は男にすっかり情をもってしまった。仕方ない。最後まで面倒見てやるかと思った。
男が死んだ。
宣言通りきっかり一年の夫婦だった。
ささやかながらも葬儀を出す。しかし、誰を呼べばいいのかわからない。そういえば男の身の上を詳しく聞かなかった。話したがらなかったし。私自身生い立ちが良くない。天涯孤独だ。男も似たようなものかなと追及しなかった。だから、私一人で見送ることにした。
火葬場で遺体を焼いてお骨を拾う。
「……これ、」
遺骨の中から少しだけ焼け焦げた鍵を見つける。体内に飲み込んでいたらしい。そういえば男が生前大事にしていた小さな箱があった。あれの鍵に違いない。しかし、鍵を体内に入れて保管するか? ちょっと異常だ。やはりあの男は変わっている。
家に帰り、例の小箱を探し出す。
施錠に鍵をさしてみるとピタリとあった。
――やっぱりこれの鍵か。
開けていいものか一瞬迷ったが男は死んでしまったのだ。何をそんなにも秘密にしていたのか。好奇心が勝ってしまった。
中から白い封筒が二通出てきた。
一つは「田宮藤次郎殿」宛て、もう一つは私宛だった。
私宛の方を読む。
私が死んだら、「田宮藤次郎」という男を尋ねて、この手紙を渡してください。
なんとも簡素な文面だ。一応これは遺言になるのだろうから、もうちょっとないのか。最後のラブレターとか、泣けるような熱烈なものとは言わないが、もう少し。一年とはいえ、仮にも私たちは夫婦だったはずなのだから。拍子抜けしながらも、手紙に書いてある住所を頼りに田宮藤次郎という男を訪ねた。
田宮藤次郎は初老の男性だった。眼光が鋭い。それだけでも普通の人ではないのが容易にわかる。男とはどういう関係なのだろうか。そもそも、男は何者だったのか。改めて、私は男について何もしらないのだなぁと笑いたくなった。
「何か御用かな?」
「……あの、深川利一郎さんから手紙をお預かりしてきました」
「はて? 深川、深川……そんな名の知り合いおりましたかな……」
手紙を渡すと、宛名書きを見て田宮さんは驚いた顔をした。
「なるほど。お嬢さん。で、この男は?」
「死にました」
「死んだ?」
「はい。末期癌で先日。深川は自分が死んだらこの手紙をあなたにお届けするようにと」
「そうですか……お嬢さん、少しお時間ありますかな? どうぞおあがりください」
そのまま居間に通された。随分とお金持ちらしい。大きなシャンデリアがつるされてあって、部屋には牛皮のソファが雄大に並べられている。飾り棚には幾つものトロフィーと表彰状が並べられている。「警視総監賞」……警察関係者?
「昔とった杵柄ですよ。私はかつて、刑事をしておりました」
「刑事さん?」
薦められてソファに腰掛ける。それからお手伝いさんがお茶を運んできてくれた。アールグレイの香りが部屋に広がっていく。
田宮さんは向かいのソファに座り、私が持ってきた手紙を読み始めた。私宛のものとは違い随分と分厚い。田宮さんは時々難しい顔をしながら読み進めた。何が書かれているのか。私は黙って待った。
深い息を吐く姿。読み終わったらしい。
「そうですか。奴は死にましたか」
もう一度、確認するように注意深く問われる。
「はい」
答えると、田宮さんは瞼を閉じた。話かけていいものか。私は躊躇いがちに気になっていた疑問を口にした。
「あの……深川とはどういったご関係なのですか?」
「お嬢さんは怪盗Xをご存知ですか?」
「怪盗X……賞金首の、ですか?」
何故そんなことを言うのか。よくわからない。
「ええ。Xが盗んだ『朱雀の涙』というエメラルドのネックレスを取り戻してくれたら賞金一億円を出すというものです」
知っている。あれは前代見問の出来事だった。とある財閥の家に代々伝わる秘法『朱雀の涙』を盗むと大胆にも怪盗予告が舞い込んだ。相手は、当時、巷を荒らしまくっていた怪盗Xだ。まるで映画か小説のように、怪盗Xは次々に獲物を盗んだ。『朱雀の涙』も例外ではない。厳重警備をすりぬけて盗み出してしまった。
盗まれた財閥家は、なんとしてでも秘法を取り戻したいと賞金をかけた。『朱雀の涙』を取り戻すか、怪盗Xを捕まえた者に一億円支払うと。だが結局見つからないままだ。あれは確か六年ほど前の話だ。
「その時の怪盗Xの捜査の指揮をとっていたのが私です。ですが結局手がかりのないままで、私は定年になりました」
「……はぁ……」
それが男とどんな繋がりがあるのか。よくわからない。私が困ったように笑うと、田宮さんは続けた。
「私がどうしても捕まえられなかった怪盗X……それが深川。怪盗Xの正体は深川利一郎です」
「―――っ」
「この文字を見たときまさかと思ったのですが……手紙にもそう書かれてありました」
男が怪盗X? でも、だったとして、どうして自分が死んだら渡すようにと田宮さんに手紙を書いたのだろう。良心の呵責? 最後に罪を償いたかったのだろうか。
「最後の部分を読み上げましょう。『……どうして私がこんな手紙を書いたのか疑問にお思いでしょう。余命を知り、急に昔の罪を懺悔したくなった? いいえ。私は自分の人生を悔いていない。人から奪い、人を欺き、人に嫌われたことは後悔していない。思えば、憎まれ続ける人生だった。けれど、そんな私に優しくしてくれた人がいました。ろくでもない人生の終わりをこんなに穏やかに迎えられるなんて、神も案外捨てたものじゃないと思いました。だから私は生まれてはじめて、誰かの為に何かをしたいと思ったのです。その人に、私が出来ることがないか考えたのです。ですが、今までまっとうに生きてこなかった私には何をすればいいかさっぱり思いつきません。それで考えついたのが『朱雀の涙』をお返しすることです。隠し場所を教えます。どうぞ、それに掛かった賞金を彼女に、この手紙を貴方にお渡しした女に渡してください。田宮さんにこんなことを頼むのも筋違いと思いますが、他に頼める人がいません。あなたなら、彼女に疑惑の眼が向くことないよう事を運んでくださいますでしょう。どうぞよろしくお願いします』」
2009/10/18