二度と呼べない名前
立川みどりという女が、明日、この世から消える。
彼女とは大学のサークルで知り合った。
中高一貫して男子校で育ったせいか、いかにも女らしい柔らかな雰囲気は落ち着かない。接し方がわからずに、つっけんどんな物言いになってしまう。そんなだから当然、ほとんどの女子は俺を敬遠した。だが、立川だけは例外だった。同じ会計係をしていたこともあり、自然と話をすることも多かった。面白いこと一つ言えず、なんとなく浮いてしまう俺をさりげなくフォローしてくれる。おしつけがましくないサッパリとした気遣いがありがたかった。
あれから四年。社会人になり、サークルのメンバーとも頻繁に会うことはなくなった。久々に集まったのは、柳と立川の結婚前祝いのためだ。
一次会が終わり、二次会に繰り出すりために店を移動する。もうすでに感極まって号泣ぎみの柳をかかえてみんなが外に出て行った。それを確認して、会計に向かった。
「お勘定あってた?」
レジで支払いをしていると、後ろから声をかけられた。立川だ。
「お前、何してんだよ? 主役がこんなとこいていいのか?」
「うん……いつもの癖というか、ね。このメンバーで集まると暗黙の了解みたいになってるでしょ。気になって戻ってきた」
全員から料金を回収して支払いを済ませ、忘れものがないかチェックする。立川と俺の役割だ。いつのまにかそうなっていた。だからって何もこんな時まですることないんじゃないか。
「変なところで律儀だよな、立川って」
「変なところで、は余計じゃないの?」
レジが混雑しているのか、なかなか進まない。手持無沙汰でどうしていいかわからなくなる。
「いいぜ。先に行ってろよ。みんな待ってるだろ?」
「みんなは次のお店に行ったけど、私は帰るから。家族と過ごしたし」
「そうか」
ようやく会計が済み、店員が領収書を手渡してくる。
「過不足なくきっちりだな」
「さすが、会計係」
「うれしかねぇよ」
そんな他愛のない会話をしながら、店の外に出る。
「じゃ。明日よろしくね」
「駅まで送るわ。一応、花嫁になんかあったらまずいし」
「変なところで律儀だよね」
「お互い様」
奇妙な感じだ。立川とこんな風に歩いていると、学生の頃に戻った気がする。よくこうして、取り残されては二人でとぼとぼとみんなの後を追いかけた。俺はこの時間が気に入っていた。
「……次会う時は、もう『立川』じゃないんだよな。『柳夫人』か」
「なんか嫌だよそれ。一気に老けこんだ気持ちになる」
「そんなこといっても、柳が二人もいたらどっち呼んだのかわからないだろ」
「だったら、立川のままでいいよ」
「いや、そういうわけないはいかない」
「まぁ、なんでも好きなように呼んでよ」
頑なな俺に、立川は呆れたように、だけどどこか楽しげに言った。
外套が青い。犯罪抑制のために青い光が効果的だと試験的に取り入れられているらしいが不気味だ。現実感がない。だから、余計なことを言ってしまいそうになる。
「なぁ、立川」
「ん? 何?」
立ち止まった俺を振り返える。だが、立川の顔を照らす光だけはどういうわけか白で――。
「どうしたの?」
「……いや、最後にもっかいだけ呼んどこうと思って」
奇妙な俺の言葉に「子どもみたい」と彼女は揶揄った。本当に、子どもだったと思う。何も出来ないガキだった。
俺が好きな女は、明日、この世から消える。
2009/12/8