狂気の果てに何を見る?
「想いが叶わないと憎らしく思う。身勝手な感情だな」
私は肯定も否定もせず、ただ近くでそいつの声を聞いていた。
二〇〇九年九月七日。早朝。四時三十七分。私は殺された。犯人は実の母親だった。
痴情のもつれ。記事にするなら、そんな見出しがつくだろう。若い男に熱をあげて、必死だった。若返ることはできないから、せめて独り身になりたかった。そうすれば自分の元に戻ってきてくれると思ったらしい。だから娘を殺害した。もしかした三面記事にもならないかもしれない。チープで陳腐でつまらない。小説だってもう少しひねっているよ。邪魔になった娘を手にかける。ねぇ? そんなことしても男の気持ちは手に入らないよ? 人間の感情ってそんな単純じゃないでしょ? 私はそう思うけど、あの人は違ったみたい。
自分を見ないあの男が悪いのだ。と。取調室であの人は繰り返した。そして私に申し訳ないことをしたと許しを乞うた。自分で殺しておきながら、どうしてそんなに泣くことができるのだろう。不思議な生き物だなと思った。ただそれだけ。
「この人はこれからどうなるの?」
「人間社会の法で裁かれるだろう」
「死刑になる?」
「どうかな。死刑になってほしい?」
私は答えなかった。
「憎んでいるかい?」
「……いいえ。憎むほど愛していなかったから。この人ことも。世界のことも」
「そうか。今度生まれてくるときは愛せるといいな」
「それは幸せなことなの?」
そいつは少しだけ驚いた顔をした。
「愛は素晴らしいものだという人は多い」
「あの人を見ても、そう言えるのかな? それともあの人のは愛じゃないと否定されるのかな? あなたはどう思う?」
「愛だと思うよ」
「なら、私は愛によって殺されたのね。私への愛ではなかったけれど」
そいつはそっと私の頭に触れた。
静かに目を閉じる。真っ暗な闇が訪れて、やがてぼんやりとした光の洪水が現れはじめ、意識が遠のいていく。
「ねぇ、やっぱりさっきの訂正するわ」
たまに一緒に食べる夕食。レトルトのカレーライスでもおいしかった。気が向いた時に、思いついたように買って来てくれた靴は小さくなってもずっと捨てずに持っていた。そんなことあの人は気付きもしてなかっただろうけど。
もっと縋りつけばよかったかなぁ。あの人が男にしてるみたいに。自分を見てくれない相手に、執拗に訴えるの。みっともないって思ってやらなかったけど。あの人と同じようにしていればよかったなぁ。そしたら何か変わってた? 私は殺されずにすんだ?
「とても憎んでるわ、お母さんのこと」
――だから、とても愛してた。
最後の意識を手放す前に、私は小さくつぶやいた。
2009/9/7