
願うということ、願われるということ。
世の中捨てたもんじゃない。という台詞を実感出来るのは大抵落ち込んでいる時だ。
わたしはその時、人生で何度目かのどん底の更新をしていた。もうこれ以上落ちることはないだろうと思っていた「どん底」。嫌なことがあると、これくらい大丈夫だ。あれを乗り越えたのだから、これぐらい平気、とそうやって自分を励ます「どん底」ライン。それを更新していた。
悲しみが液体ではなく固体になってしまったようにイガイガして、何をしても体が重たくて、部屋から出ることも億劫で、でも仕事を休むことも出来ないから、引きずるように外に出て、電車に乗る。
そしたら、人身事故なんかが起きた。
その人も辛いことがあったのかなぁ、と同調する気持ちと、あんたよりよっぽどわたしの方が辛いわ! 逃げやがって! と何も知らないのに怒り狂う気持ちと、いろんな感情が巡ってきて、もうどうしようもなくなる。
そしてようやく動き出した電車は、いつもより込みあっていて、窒息しそうで、本当に泣きだしたかった。
「生まれる…!」
突然、女の人の叫び声。
わたしは扉前にへばりついていたのだけれど、反対の扉付近から聞こえてきた。どうも妊婦さんが乗っていたらしく、このラッシュの中で破水したらしかった。
「大丈夫ですか。次の駅まで頑張ってください」
「もう少しですから、もう少しですから」
男の人や、女の人の励ます声が聞こえる。
それは不思議な時間だった。
みんな、多かれ少なかれイラついているはずだった。こんな朝の混雑した時間に、妊婦が乗ってくるなよ! と罵る人がいてもおかしくなかった。非常識だ。迷惑だ。舌打ちが聞こえても仕方ないような、そんな荒んだ時間だった。
それなのに、そんな声は少しも聞こえず、懸命な励ましが聞こえるだけだ。
「頑張って」
「もう少ししたら楽になりますからね」
「もうちょっとですよ」
その声はわたしの奥深くに届くようで、気付けばわたしも反対側の扉前で今、まさに正念場を迎えているはずの妊婦さんに「頑張れ、頑張れ」と唱える。人のことなど応援している余裕なんてどこにもないはずだったのに。わたしのことを励まして欲しいぐらいだと思っていたのに。顔も知らない、その妊婦さんのために「元気な赤ちゃんが生まれてきますように。母体も無事でありますように」繰り返し繰り返し祈った。
それからほどなくして、次の駅に到着して、その妊婦さんは運ばれていった。わたしは相変わらずは扉前にへばりついたままで、妊婦さんの姿は見えなかったけれど、どうか早く病院に着くようにまた願った。
妊婦さんが降りた後、騒然とした車内に秩序が戻り始める。
みんな、誰もがわずかな安堵と、少しの不安と、強い願いを込めているのだなぁと感じられた。
ああ、世の中捨てたものじゃない。
そして、わたしも。
きっと大丈夫だ。
何一つ解決していないし、またしばらくしたらどんよりとした気持ちが戻ってくるだろう。そんなに簡単に消え失せてしまうものではない。それでも、わたしは大丈夫だ。このどん底を乗り越える。時間がかかっても。そんな気持ちが十円玉程度だけれど心の一番真ん中に陣取っている。
だから、と。
だから、あなたも負けずに生まれておいで。早く生まれておいで。嫌なことはあるし、辛いこともあるけれど、ままならないことの方が多いけれど、それでも、楽しいことも、嬉しいこともあるこの場所へ、元気に生まれておいで。とわたしは最後にもう一度、顔も知らない妊婦さんのお腹にいるはずの、小さな命に呼びかけた。
***
産婦人科に配属になった時、私は頭が真っ白になった。若い時に様々な部署を経験しておいた方がいい。体力がある時に。というのは言われていたけれど、産婦人科は嫌だった。だから婦長に直談判したのだ。だけど、そんな我儘が聞き入れられるはずがない。四月の移動で私は産婦人科に配属になった。
最悪だ。
私は子どもが嫌いだった。
いや、違う。自分の子ども時代が嫌いだったのだ。
私は捨てられた子どもだった。物心ついた頃は、すでに施設にいて、だから両親の顔など知らない。
十歳の時、養子に引き取られた。そこでは大切に育てられたけれど、私は養父母に有り難いという感情を抱いたけれど、両親として慕うことはなかった。
早く自立して、一人でやっていこう。迷惑かけないように。
そんなことばかり考えていた。
看護師という職業を選んだのも、食うに困らないだろうと思ったからだ。誰かを助けたいなんて立派な考えがあったわけではない。私は優しい人間ではない。どちらかというと、「誰かの役に立ちたいの」などという女は嫌いだった。何を温いことをいっているのだろう。と思った。私は自分のことだけで精いっぱいだったから。
そんな私が、生命の誕生という、尊い職場に配属になった。
冗談ではなかった。
私は望まれて生まれたわけではない。私はこの世に生れてきたくなんてなかった。両親に捨てられるような命なら、生まれたくなんてなかった。そう呪ってきたのに。そんな私が何故産婦人科で赤ん坊の出産を見なければならないのか。
それでも、仕事をやめるわけにはいかない。配属先が気に入らないからやめるなんて真似は出来ない。私は食べていかねばならないのだ。
ほどなくして、初めての出産現場に立ち会った。
電車の中で破水して病院に運び込まれてきたらしい。何故臨月間近で電車になど乗ったのか。信じられないと思った。
若い母親だ。付き添っている男も若い。きっとできちゃった婚だろう。子どもがいるとわって、慌てて籍を入れたに違いない。こういう人間が子どもを捨てるのだ。いい加減な人間は親になるなと憤る。
私は鼻白みながら、指示された通りに、機械みたいに動いていた。
「頑張って。力みすぎないで」
なだめたり、励ましたりする声を、他人事みたく(実際他人事だ)聞きながら、自分の仕事をこなしていた。
「るみちゃん、頑張れ」
男の声。ぎゅっと手を握ろうとするが、るみちゃんはそれを振り払った。邪魔だ、と言わんばかりに。自分が苦しんでいるとき、人の優しさは邪魔だ。受け入れる容量はない。それでも男は何か出来ることはないかとおろおろしている。
「お母さん、頑張って」
それから助産師の声。
「もう少しですよ」
同僚も。
私は、その光景を見ながら、何故だか苦しくなった。
感動している?
馬鹿な。私はそんなセンチメンタルじゃない。
だけど。
ふと、思ったのだ。私もこうして生まれてきたのか。と。私の両親がどういう人なのかは知らない。この男のように、父が出産に立ち会ったかどうかもわからない。きっと母は一人きりで産んだだろう。と、思う。一人きりで。でも、助産師や、看護師に励まされて。
――ああ、
確かに、今、この瞬間。誰もが祈っている。早く生まれておいで。ここに、出ておいで、と。
生まれてきた子が幸せになるかどうかはわからない。この頭の悪そうなカップルの子どもとして生まれてくることが、幸せだとは思えない。私みたいに、途中で捨てられるかもしれない。疎ましく思われて捨てられるかもしれない。
だけど、そういうことではなくて。
そんなこと、何も関係なくて。
誰もが、この子の誕生を強く願っている。それは刹那的なもので、永遠に続く保証などどこにもないもので。それでも、確かに、この一瞬は。
そしてそれは、生まれるとき、誰もがそうされているのだと。
だから、私も。
私は、望まれなかったわけではない。
それなら、もう、いいのではないか。
これだけの人が、祈ってくれていたのなら。その生を願ってくれていたなら。その瞬間が一度でもあったなら、人生は十分生きるに値するのではないか。
――生まれておいで。
そう、真剣に、願われた。それだけで、人生は生きていくだけの意味がある。
「頑張ってください」
焼けるような喉から、大きな声が出た。自分でも驚いたけれど、次の瞬間、元気な泣き声が分娩室にこだました。
2011/5/31