蜜と蝶

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   蜜 と 蝶    

 
―蜜04―

 それは、夢なのか現実なのか――。
 吐息に混ざって聞こえる声は甘い。今まで呼ばれてきたはずの自分の名が初めて聞く言葉のようだ。彩未という単語がこんなにも美しい音をしていたなんて。男の唇からもれてくるすべてが甘やかでおかしくなりそうだ。世界は真っ白で綺麗に見えた。
「んっ…」
  唇が落ちてくると瞬間にパッと火花のように体が燃えた。肩から鎖骨へと口付けられて、やがて胸元に降りてきた。先端を丁寧に、そして執拗に舐められて熱が増す。やはり男は左効きなのか左手でもう片方を弄られて体の奥が疼き始める。快感を得始めたことに恥ずかしさと後ろめたさが混ざり合って涙が溢れた。
「はぁ、ん……やめ…」
 諭すような口づけは優しかった。頬や鼻先、唇の少し横。繰り返し与えられた。だけど口づけの柔らかさとは違って男の動きは獰猛だった。いつのまにか下半身へ伸ばされた手が器用に足を割って誰にも触れられたことのない場所を容赦なく弄る。
「あっ…あっ…」
 どうしてこんな…。上に覆いかぶさるようにして私を見つめる男は嬉しそうだった。私は解放を求めて体をよじるが、逆に力強く抱き寄せられて逃れられなくなる。指先で与えられる刺激に限界は近かった。だけど男の目的はそんなものではない。もっとはっきりとした、
「大丈夫。恐くないから、力を抜いて」
「やぁっ―― 」 
 痛みなのか快感なのか判断がつかない。たまらずに男の肩に噛み付く。耳元でかすかな笑い声。
「なかなか情熱的だ」
 歯を立てたことを怒っているわけではないらしい。髪を撫でる手が物語っていた。初めて男を受け入れて、今も繋がったままで言葉を交わしていることに羞恥が煽られた。
「少し動くよ」
「や…」
 体の内側からこみ上げてくる気持ちが生々しい声として洩れたが口付けにかき消される。下からも上からも注がれるそれは甘くて私を潤していく。――熱い。感じたことがない熱が身を焦がす。
「あ、やぁ…あ…あっ…」
「いい声だ。そのまま歌ってごらん」
「…や…できな…」
「出来るよ、歌って」
 焼けそうだった。熱くて。何かが昇ってくる。内から激しく。男の舌が私の首筋を舐め上げた。同時に、
「―――――っ」
「可愛いね。もっと聴かせて」
「―――――――――――――っ」
 私の声…。喉を開くということの意味を知る。ずっと言われてきた。喉を上手に開いて歌うのだと。でも、実感できなことはない。ああ。それは普段話す方法とは全く違うもので――
「とても甘い」
 私の歌を食べた?
「何故泣くの? 歌いたかったんだろう? 」
 いろんなことが一度に起きてわからなかった。私は歌えたの?
「まだこれからだよ。もっと歌わせてあげるから、私を求めなさい」
 それははじまりの合図だった。


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―蝶04― 

 宴の終焉が近付いている。昼十二時から深夜零時までの十二時間が決まりだ。午後十一時を過ぎたら帰り仕度をはじめなければならないのだが…。
――まいった。本当に、これはまいった。
 十時を過ぎた頃、彼女がポロポロ泣き始めた。何事かと思っていたら、私と離れたくないと泣いているのだ。信じられない。可愛すぎて身悶えてしまう。――ただ残念なのはこれは彼女の本音ではない。媚薬の効果だ。私も蜜に伽をするのは初めてのことで加減がわからなかった。注ぎすぎてしまったらしい。私なしではいられないほど完全に虜にさせてしまった。そのせいで行為が終わった後も、べったりと甘えてはきていた。それがこれ以上ないというほど可愛いかった。うっとりとした眼差しで見つめられるとたまらなくなって、更に抱いてしまった。素直に反応して悦ぶ姿が愛しくてとめられなかった。彼女がはじめてだったことも私を浮かれさせていた。蜜が蝶に求められると歌い続ける気持ちがなんとなくわかった。私も彼女に求められたらなんでもしてしまいそうだった。だが、いい加減にしておかないと壊してしまう。理性を総動員してやめたのだ。
 それから体を清めてやって、乱れた服を着替えさせて、後始末をして一息ついた。彩未は私に寄りかかるようにしてうとうとしていた。疲れたのだろう。眠たそうだった。小さな子どものようで保護欲をかきたてられる。
――これが、媚薬の力ではなかったらいいのに。
 さすがに後ろめたさはある。全部が全部媚薬の力ではないと信じたいが……かなり大きいのだろう。それでも、彼女を本気で惚れさせたらこんな風に甘えてくれるようになるのだと知れたのは収穫だ。いつか必ず、自力でこういう状態にしてみせる。
 彩未をあやすように髪を撫でたり、頬に触れたりして甘やかしていると、時間はあっというまに過ぎた。十時の鐘がなる。
「そろそろ宴も終わりだね」
 私が言うと、彼女は泣き出したのだ。
 ついさっきまで満足げにしていたのに、突然すぎて焦った。だが「帰らないで」と小さな声で言われて理解する。同時に、おさめていた激情はあっさりと火がついた。勘弁してくれ。襲うぞ。という衝動をギリギリで堪えているというのにこちらの状態などおかまいなしでしがみつてくるし。私の方が泣きたかった。
 今の状態なら連れて帰ることは可能だろうが、正気を取り戻した時にどうなるかわからない。無理をして嫌われるのは困る。
「ごめんね。私は帰らないといけない」
「いやだ。行かないで」
「聞き分けて? 」
「……」
「来月また会えるから。ね? 」
 更に大粒の涙をこぼしはじめる。――クラクラするほど可愛い。こんな状態のままこの子を置いて帰るなんて到底出来るはずがない。これはもう仕方ないだろう。どう考えても選択肢は一つしかない。
「じゃあ、私と一緒においで? 」
 物は考えようだ。元々彩未を連れ帰ることが私の望みだったのだ。願ったり叶ったりではないか。本人が私の傍にいることを望んでいるのだ(媚薬のせいだが)。正気に戻って文句をいっても、突っぱねてしまえばいいか。
 問題は外野だな。蜜を連れて行くとなると両家ともに煩いだろう。説得には骨が折れるに違いない。また彼女は歌えるようになってしまったからな。蜜を食らうために傍に置くと邪推されるのは心外し。その辺の説明が厄介だ。
「いいの? 傍にいてくれるの? 」
 私の提案にどこか不安げに尋ねてくる。
「もちろんだ。おいで? 一生大切にしてあげるよ」
 嬉しそうに綻ぶ笑顔を向けてくれる。私が欲しかったものだ。そんな顔を見てしまったら絶対に手放せない。
 頭の痛いことはいくつかあるが、とりあえず、今は私にぞっこんらしい彼女を甘やかすことだけ考えよう。それが最も有効な時間の使い方だ。後はなるようになろうだろう。彼女の唇を奪い甘い蜜に溺れてしまうことにした。

to be continued...?



2010/3/16
2010/6/9 加筆修正



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