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蜜と蝶
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蝶 と 蝶 1
「誓う気になった? 」
睨みつけると笑った。楽しそうだ。狂っている。
「ずっとこうやって私に愛されたかったのだろう? 望みは叶えているのに不満か。欲張りだな」
右耳の下を舐められると体の奥が震えた。敏感な部分はすでに熟知されている。感じたくなくとも反応する体が悲しい。 触れられた場所が熱くなる。息があがり、追い詰められていく。それを満足そうに眺めて、
「体は私に馴染んで、ほらごらん、こんなに欲しがっている。いい子だ」
チュっとわざと音をたてて私の頬に唇を寄せた。それから、私を抱き上げ膝に乗せて、首筋や顎に何度も何度も唇を落とす。小さく漏れる吐息は熱をあげていく。そのくせ下から覗きこんでくる眼差しは静かだ。そのアンバランスさが恐ろしい。興奮しているのか、冷めているのか。わからない。ただ嬉しそうな声で、残酷な警告を促す。
「素直になれ。私が欲しいだろう? 」
それだけ言うと、唇を塞がれる。濃厚な口づけ。唾液も何もかもを奪われて。意識が遠のいてしまう。快楽に溺れて、考えることを手放してしまえば、私は楽になれる?
「心だけが強情だね。もういい加減諦めて私を求めればいい。あの頃みたいに――」
そう、私はこの人が好きだった。好きで好きでたまらなかった。だから諦めたのだ。そうしなければ、自分が壊れてしまうと思ったから……。
☆★☆
私が初めて、草寿様とお会いしたのは、六歳の時だった。
呉羽御三家・叶の嫡男である草寿様と、御三家のすぐ下に控える鴇灯の家の末娘である私の婚約は、私がまだ母の胎内にいる頃より決められていた。呉羽は完全なる縦社会であり、格式を大切にする。それゆえ、本家や御三家の方々の婚姻は特別厳しいものであった。血筋と家柄の見合う者同士…となってくると、なかなか難しい。そんな折、私が生まれた。鴇灯は昔から男が生まれやすい家系だった。娘が生まれれば上位の家系へ嫁にやりパイプを作ることができる。それが出来ないものだから、同位の家に比べると随分と見劣りし、冷遇されていた。だから私が生まれた時は長兄が生まれた時よりも喜ばれたという。叶の嫡男との婚儀が決まった時などそれはそれは大変なものだったそうだ。父は私の顔を見ると嬉しそうだった。反面で、母は少しだけ悲しそうな顔をする。男と女とでは立場も考えも違う。母は、そんな格式の高い家に嫁いで、私が苦労しないか心配してくれていたのだろう。
「お前は恵まれた子どもだ。将来は叶の家の奥方になるのだよ。誰もが羨む最高の人生が約束されている」
皆が私に言った。だけどいまいち実感をもてずにいた。確かに、これは幸運には違いない。叶家嫡男との縁談ならどの家も望む。それがあっさり私に決まった。見合う年齢の者がいなかったからだ。比較的年齢が近いのが私だった。それでも五歳離れている。そんな年上の、顔さえ見たことがない人のために花嫁修業と称して、行儀作法を学ばされるのは苦痛だった。外に出て遊びたい。友だちを作りたい。だけど、
「お前は草寿様のものなのだ。怪我をしては大変だ。危険なことをしてはならない」
と父は許しては下さらなかった。
――私の人生は私のためのものではない?
鳥かごの中で過ごすみたいな毎日。ああ、なんてつまらないのだろう。恵まれているなんて嘘だと思った。自分の意志を尊重されない。ただ、嫁ぐ日まで大人しく飼われる。嫌になっていった。婚約など無くなればいいと真剣に願った。
それから月日は流れ、六歳の誕生日を迎えた時、正式に、草寿様とお会いすることになった。私の自由を奪い続けた男がどんなものか。興味はあった。
驚くほど広い部屋に通されて、半刻ほど待つ。傍に控える父の緊張した面持ちからただならぬものを感じた。やがて人の足音が近づいてきた。父が頭を下げるように囁いたので、私は習った通りの方法で指の一本一本を意識するように手をついてお辞儀したまま静止した。部屋に人が入ってくる。気配から二人だ。叶当主と草寿様だろう。
父が挨拶の口上を述べる間も、ずっと動かずに、呼吸もなるべく小さく。やがて、低い声で
「面をあげよ」
と御声がかかったので、ゆっくりと体を起こす。
――っ。
こんな美しい人がこの世にいるのかと思った。叶当主の隣に悠然と鎮座している姿から目が離せなくなる。この人が、草寿様。私の許嫁。信じられない。強いられてきた拘束にうんざりとしていたけれど、そんな気持ちいっぺんに吹き飛んだ。心を、奪われる。この人の花嫁になれるのならば、どんなことでもする。なんだって出来ると思った。生涯をささげることを決めたのだ。一瞬見ただけの相手に。たった六歳だった私が。永遠を誓った。私の全世界を一瞬で変えてしまった出会い。ああ、やはり私は幸運なのだ。そう思った。
だけどそれは、悲しい恋のはじまりに過ぎなかった。
2010/4/22
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