蜜と蝶

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   蝶 と 蝶  2   

 
「来年、お前も二十五だ。そろそろ潮時だろう」
 神妙な面持ちで告げる父親に、私は返す言葉が見つからなかった。
 草寿様にお会いした日から、私はただただ草寿様の花嫁になる日を夢見ていた。上位者の家の女は大抵皆、二十歳を迎えると嫁ぐのがしきたりだ。遅くとも二十五までには嫁に行く。私は、正式な婚約をしているから、当然、二十歳を迎えると式を挙げるものだと信じていた。けれど、二十歳になっても二十一になっても話は進まず……気付けば二十四。来年、二十五。相手がいないのならまだしも、相手がいるのに未婚でいることは異例。恥ずかしいことだった。
 叶の家との縁談は、鴇塔にとって大変に名誉なことであり、是が非でも成立させたいものだ。それでも、私が二十二を迎えたあたりから、雲行きが変ってきた。先方にその気がないのであれば、破談にさせて、力がなくとも別の家に嫁がせてしまったほうがいいのではないか、と。仮にこのまま二十五を過ぎて、先方より破談にされては終わりだ。それこそ貰い手がなくなってしまう。その前に、手を打ってしまったほうがいい。父にも幾度か打診されてはいた。それを断り続けたのは、私自身だ。草寿様以外の人のところへ嫁ぐなど考えられなかったから。きっと、今に、ちゃんと妻にしてくださると信じていた。信じたかったのだ。だけど…。
「はい。お父様のご意思に従います」
 ダメなのだ。私は、草寿様に好かれていない。認めたくなくても、認めざるをえない。そんなところまできてしまった。
「では、早急に叶のご当主様に話をつけてくる」
「よろしくお願いいたします」
――草寿様への想いを断つ日がくるなど、夢にも思わなかった。
 私が覚悟を決めるきっかけになったのは先月の宴でのことだった。
 草寿様は、家柄、能力、容姿、どれをとっても素晴らしい。それ故、当然におモテになられた。女関係の噂は後を立たない。嫌でも耳に入ってくる。英雄色を好むとはよく言ったものだ。だけど、そんなこと気にしていては、叶の嫁は務まらない。幼い頃よりそう言い聞かせられて育った。だから平気。苦しく寂しかったけど、それでも正妻の座は私だ。浮気相手に嫉妬するなど器が小さいことをいわず、どんと構えていればいいのだ。そう自分を励まし続けた。
 それに、私の矜持を保たせていたのがもう一つ。草寿様と噂になる女は皆、私よりも年上の遊びなれた女性ばかりだった。草寿様は大人の成熟された女性がお好きなのだ。五つ下の、年若い私には魅力を感じない。だから、私が年齢を重ねてもう少し色気が出てくればきっと……そう、思った。
 だけど、真実は違った。
 草寿様は、私よりも年若い娘とも関係を持たれていたし、こともあろうに蜜にまで手をお出しになっていた。
 知ったのは本当に偶然だった。先月の宴の折、運悪く月のものがきてしまい調子が悪かった。頻繁に手水を訪れてはいたのだけれど、大広間へ戻る途中、貧血で倒れそうになった。それをたまたま通りかかった蜜に助けてもらった。その蜜が空いた部屋を提供してくれて、しばらく横にさせてもらった。小一時間ほど経過して、随分楽になった。私を助けてくれた蜜は席を外していたので、お礼を述べるために待っていたほうがいいかな…などと呑気に思っていると、廊下から声がした。草寿様の声だ。
 宴では、呉羽本家と、御三家の方々には個室が用意される。おそらく、私が今休んでいる部屋の近くに草寿様のお部屋があるのだろう。私は吸い寄せられるように、襖に近づき、わずに開いて廊下を覗いた。
 そこで見た光景は、私の全てを破壊するのに充分なものだった。
 草寿様は、年若い蜜の腰を抱き口付けて、その蜜も甘えたように草寿様の首元に腕を回していた。軽い口付けを幾度か繰り返した後、蜜は、胸元にかけられていた宝石を両手で包み、「大切にしますね」と微笑んだ。草寿様からの贈り物なのだろう。間もなくしてその蜜が去って行く。また別の蜜がやってきた。先ほどの蜜より更に年若い。まだ十代後半ぐらいの可愛らしい蜜だ。襖が開けられると、草寿様に飛びついた。そして…。
 蜜は歌を食べるための存在だ。普通蝶は蜜に手を出したりしない。だけど、草寿様は蜜を抱いているのだ。様子から見て、今日が初めてではないだろう。宴の度に毎回こんなことを? そこまで、好き者だとは知らなかった。だけど、そんなことが問題なのではない。好色家であるにも関わらず、私は一度も、草寿様から贈り物を受けたことはないし、口付けを与えられたこともない。それが問題なのだ。私だけを愛してほしいなど、そんな贅沢は言わない。ただ、私のことも愛してくださるなら私はそれでよかった。けれど、草寿様は、私のことだけは見向きもしない。蜜さえもそういう対象になさるのに、私は、手さえも握られたことがない。
 心の奥に感じていた不安が、あふれ出してくるのに充分だった。見ないようにしていたこと。考えると絶対にろくなことにならないとわかっていたから。でも、これだけ現実を突きつけられては行き止まりだ。流石に、もう、無理だ。
――私は、草寿様に「嫌われている」のだ。
 好かれていない。ではなく、嫌われている。唱えた途端に、鈍器で殴られたような強い衝撃と、同時に、何かスッキリとした。悲しいとか、辛いとか、そういったものよりも、ああ、そうなのだ、と。だから草寿様は私との結婚を渋っていらっしゃったのだと。私が年下で若くて色気がないから興味がないわけではなく、そういうことではなく、もっと明確に、私が年上で色気があったとしても興味をもたれない。私ではダメなのだ。わかってしまえば、案外に、簡単だ。どうにもならないから。十八年、あったのだ。どうにかなるなら、とっくになっていた。ましてやこれは、政略結婚でもあるのだ。そこに愛がなくとも構わないはずのもの。そういうものであったとしても、私を嫁に迎えることを拒否された。それほど私をお嫌いなのだ。女好きであられるのに、だ。余程、お嫌いなのだろう。
「案ずるな。お前ならばすぐに別のいい婿が見つかる」
「はい……」
 そうは言っても、私はまだ、ほんの少しだけ期待していた。縁談の断りを申しだせば、もしかしたら、ひょっとしたら、気が変わられて、引き止めてくださるかもしれないと。どこまでも楽天家だ。だけど、勿論、そんなことはなく、破棄を申し込んだその日のうちに、了承のご返答がなされた。
 こうして私の片思いは幕を閉じた。
 


2010/4/26

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