蜜と蝶
夕 凪 の 憂 鬱 1
「夕凪のお嫁さんになる」そう毎日のように言っていた。幼馴染で、六歳年下の彩未は私によく懐いていた。ぐずっていても、私が抱き上げると泣き止む。母親にあやされてもダメだった子が、私の顔を見ると笑うのだ。それが可愛くて可愛くて、時間がある限り彩未と過ごした。それが……。
――よりによって蝶に奪われるなんて…!
伽をされて、骨抜きになり、連れて行かれた。
宴終焉後、当主様に呼ばれたときは驚いた。部屋に入ると当主様と、呉羽の当主、そして呉羽本家次男・柊夜。その傍に彩未の姿だ。何事かと思った。話しを聞いて唖然となる。犯罪行為じゃないか。許されるわけがない。反対した。だが、悲しげな顔をするのだ。彩未が。「味方してくれないの? 」と言われて言葉に詰まった。現状では何を言っても無駄だ。正気に戻れば違ってくる。仕方なく同意した。ただし、私がお目付け役として、定期的に彩未の様子を伺いに行くことを条件にだ。当主様もそのために私を呼んだらしい。幼馴染であり、歌詠みとして朝比奈の幹部である私が適任だとされた。
誤算だったのが、正気を取り戻しても彩未が帰ると言わなかったことだ。
柊夜がどんな説得をしたのか、留まることに決めた。まぁ、確かにあの男が彩未を大事にしているのは認める(癪だけど)。デレデレとしまりのない顔をして、みっとみないほどだ。彩未も嬉しそうにしているし、幸せならいいと思った。ただ気まぐれな蝶だ、いつ気が変るか分からない。定期的に様子を伺いに行くことはやめられなかった。
そうはいっても、私も何かと忙しい。特に春は。「初歌の儀」が間近に迫り準備に追われるのだ。だからここしばらく時間を作れずにいた。ようやく落ち着いたので久々に彩未の元を訪れたのだが。
「彩未はどうした? 」
いつもなら、飛んで出てくる。ぱっと顔を輝かせて出迎えてくれた。それを面白くなさそうに柊夜が見ているのがお決まりのパターンなのに、今日は柊夜だけだ。
「…部屋にいる。体調がよくないんだ。出直してくれ」
「体調がよくないなら、余計にこのまま帰れないだろう…というか」
――嘘だな。
明らかに動揺しているし。おそらく、彩未は部屋に立て篭っているのだろう。あの子は昔から何かあると部屋に篭って出てこないから。
「一体何をしたんだ? ……まさか、無理やり歌わそうとしたんじゃ……」
「冗談じゃない! 逆だ。彩未が歌いたがるのを私が止めたんだ!そしたら、」
「興奮するな」
なんだかこっちもこっちでえらく憤りを感じているらしい。面倒くさい。だが、このまま放っておくわけにはいかない。彩未はかなり気難しいところがあって、一度臍を曲げると大変なのだ。喧嘩両成敗だ。仲裁に入るからには両者の言い分を聞く必要がある。全く乗り気はしなかったがまず柊夜の話を聞くことにした。
☆★☆
「ダメだ。歌っても私は食べないよ」
「どうして……私は歌いたい」
「歌うと喉に負担が掛かる。君は元々喉が強くないんだ。先週だって堰がとまらなかっただろう? 無理をして喉が潰れたらどうするんだ。死んでしまうんだよ? 」
「わかってる」
「わかってるなら諦めなさい」
一体何度こんなやり取りを繰り返しただろう。長いこと歌えなかったのだから、歌いたい気持ちはわからないでもない。ただ、命に関わってくるのだ。簡単にうなずけるわけない。
「死んだっていい。歌って死ねるなら本望だ」
「バカを言うんじゃない! なんてこと言うんだ」
「柊夜様に食べられて、喉を潰した蜜がいるの知ってます。どうして私はダメなの? 」
確かに、過去にそういうことが幾度かあった。蜜にとってランクの高い蝶に歌を食べられるのが大変魅力あることで、それで死んでも本望という感情がある。らしい。その気持ちをまるまる理解できないが、命をかけて食べてほしいと言われて悪い気はしない。本人がそれを望んでいるなら、こちらが無理にやめさせることもない。そう思って食べてきた。蜜たちが命を落としてもかまわなかったし。だが、
「……あの子たちと君とは違うだろう? 」
「何が違うの? 私の歌が下手だからそんなことを言うの? 」
「違う。そうじゃない。そういうことじゃなくて……私は君を蜜として必要としていないんだ。ただ、私の傍にいてほしい」
「私は蜜なの。蜜じゃなくていいといわれても嬉しくないの。他の蜜の歌は全部食べるのに、どうして私の歌は食べてくれないの…」
「だから、そんなことして死んだらどうするの? 」
「いいの! 死んでもいい」
「いいわけないだろう! いい加減にしなさい」
「…他の蜜の願いは叶えてあげたのに、私にだけしてくれない……」
「……」
叶えて「あげた」って…別に叶えてやろうと思ってしたわけじゃない。ただ歌うから食べた。その結果、蜜たちの望みが叶った。それだけだ。だがどうやら彩未の解釈は違うらしい。話がまったく通じ合わない。どう考えても手間暇をかけているのは彩未の方なのに、どうしてわかってくれないのだ。これは今まで私が喉を潰してきた蜜たちの怨念か。
彩未はついに泣き出した。
「泣いたら私が折れると思ったら大きな間違いだ」
そういいながら、私の心拍数は上がっていた。彩未の涙は苦手だ。泣き顔がたまらなく可愛い。保護欲をそそられて、なんでも言うことを聞いてやりたくなる。だが、こればかりはどうしても聞き入れられない。自制するために言ったようなものだ。だが、
「…ひどい。そんなこと思ってない……」
私の言葉に心外だと言って、突然立ち上がって去っていこうとする。
「どこに行くの? 」
「部屋に戻ります」
部屋で泣くということらしい。慌てて引きとめたけど、彩未は部屋にひっこんでしまった。鍵までかけて。万が一、愚かな蝶がやってきて彩未を狙わないとも限らないから、私が外出時にかけておくように特別に作った鍵だ。蝶の能力を無効化させるまじないがかけられている。彩未が開けてくれない限り開かない。それは私を締め出すためにつけたものではないのに…。
「ここを開けて? 」
聞えているはずだが返答はない。扉に耳をつけると、かすかに泣き声らしいものが聞こえる。
「彩未。ごめんね。言い過ぎた。悪かったから、ここを開けて出ておいで。泣くなら私の前で泣きなさい。一人で泣いていたら心配するだろう? 」
「いや。貴方の前では泣きません」
完全に機嫌を損ねてしまった。
☆★☆
「なるほど。それで篭城してるってわけか」
柊夜の話を聞く限り、彩未の我侭だ。大事にされているのにそれを踏みにじることを言っている。それでも忍耐強く彩未を心配して憔悴している柊夜に同情する。呉羽本家の次男坊といえば、人にかしずかれることがあっても、人に奉仕することなどない立場だが、それが彩未に対しては全て自分の手で世話をしている。独占欲の強い男だなと最初は呆れたが、そこまで惚れこんでいるのなら任せられるかと、ちょっとだけ思った。それに胡坐をかいて彩未は勝手を言いまくっているのか?――そんな子ではないはずだが…。
「お前の言い分はわかった……。だが、彩未が意味もなく我侭をいうなんて思えない。あの子なりに理由があるのだろう。彩未と話してみる」
「だけど彩未は部屋から出てきてくれないんだ…」
「情けない声を出すな。篭城は彩未の専売特許だ。とにかく、あの子の部屋に案内してくれ」
2010/4/3
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