蜜と蝶

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   夕 凪 の 憂 鬱  2    

 
  彩未の部屋は一番奥だった。普通、最奥は屋敷の主のものだ。それを彩未に使わせている。柊夜の入れあげぶりがわかる。それは警備にも表れていた。彩未の部屋に着くまで、二ヶ所に鈴音が置かれていたのだ。鈴音とは、蝶の力で作る鈴で、許可された者以外が鈴音の前を通ると異変を知らせる。警報機と監視機を合わせたような代物だ。蝶ばかりの中に、蜜が一人ぽつんといれば狙われる可能性がある。呉羽が完全な縦社会で、本家の次男に歯向かう者はいないといっても絶対ではない。万が一を考えて置いてあるのだろう。ただ、普通、鈴音はわからないように設置する。その前を避けて通られたら意味が無いからだ。だが、この屋敷にはこれみよがしの場所に設置してあった。つまり、あれは牽制。他にもっと複雑で厳戒な仕掛けがある。鈴音を見て諦めたら許す。それでも侵入する愚か者はそれなりの制裁がまっている。抜かりはない。そこまで危険な目に遭わせないよう配慮しているのだ。それなのに当の本人が「死んでもいい」など言うのだから……さすがに私も柊夜を憐れに思った。
「彩未、落ち着いた? 出ておいで? 」
 猫なで声とはこういうことか。気味が悪いほど優しい声で扉に話しかける柊夜に顔が引きつる。お前はもうちょっと強気にでていいんじゃないか。憤りを感じているだろうに……惚れた弱みか。こんな調子だから、彩未がつけ上がっているのではないか? べたべた甘やかすだけが愛情じゃない。もしかしたらこの二人はあまりいい組み合わせではないかも。この男といたら彩未はどんどん我儘になってしまうかもしれない。理不尽なことをしたらガツンと叱ってやれるぐらいの相手がいい。
 柊夜の言葉に、返事はない。仕方ないので、今度は私が言った。
「彩未。私だ、夕凪だ」
「夕凪? 」
「そう。様子を見に来たら籠城中だって聞いて驚いた。話を聞いてあげるから、中に入れて? 」
「……」
「入れてくれないの? 」
 ガタゴトと音がして、ゆっくりと扉が開いた。出てきた彩未の目は赤く腫れぼったい。ずっと泣いていたらしい。元々涙腺は弱いが、ここまで大泣きするなんて滅多にない。やはり何か理由があるのか。
「可哀相に。こんなに泣いて……何があったの? 」
「何もない……」
 この子は……ないわけないだろう。昔から妙なところで強情になる。仕方ない、
「何もないのに泣いてるの? だったら連れて帰るしかないね。理由もなく泣くなんてよっぽどここにいるのがよくないんだ。さぁ、帰ろう。仕度しなさい」
 だが、私の言葉に先に反応したのは柊夜だった。
「やめてくれ。連れて帰るなんて……。もう泣かせたりしないから」
 別に本気で連れて帰ろうとしてるわけじゃない。彩未に理由を聞き出すために言ってるだけだ。この男、邪魔だ。大変邪魔だ。
「ダメだ。私は当主様から彩未のことを任されている。今までは楽しそうにしてたから大目に見てきた。でも、意味もなく大泣きしてるならほおっておけない。朝比奈にいたときはこんなこと一度もなかった。彩未にとってここはけしていい環境じゃないんだ。そうだろう彩未? それとも、理由があるから泣いてるの? 」
 柊夜のことは無視することに決めて、彩未に視線を向けた。それに耐えかねたのか下を向いたが、小さな声で言った。
「……私が我儘を言いました…」
「認めるの? 」
 まだ俯いたままだったけど、うなずいたのがわかった。
「柊夜様には大事にしてもらっているのに……酷いことを言った」
「そうだね。大事にしてもらっている人に「死んでもいい」なんて言ったら、傷つけることになる。それがわかっていながらどうしてそんなこと言ったの? 」
「……ごめんなさい」
「謝るなら私にではないだろう? 」
 彩未は顔をあげて柊夜を見たが、途端に泣き始めた。感情がこみあげてきたらしい。柊夜は慌てたように彩未に近寄って涙をぬぐっていた。
「理由があるならちゃんと言葉で言いなさい」
「もういいじゃないか、謝っているんだから」
 また柊夜が間に入ってくる。本当に邪魔な男だな。
「いや、ダメだ。このままにしておくとこの子のためにもよくない。言いたいことがあるなら、ちゃんと言いなさい」
 彩未は昔から言葉がうまくないから、言いたいことを言えない。だから自分の気持ちが伝わらないと、部屋にこもったり、黙りこんだりする。そんな子どもっぽい行為をいつまでも繰り返させるわけにはいかない。
「ここに留まると決めた時、ちゃんと、自分が思っていることを言えるように努力するって約束しただろう? 出来ないなら連れて帰る。どうするの? 」
「……」
「ただ歌いたかっただけじゃないんだろう? 他に理由があるのならちゃんと言わないと、人にはわからない。どうして歌いたかったの? 聞いてあげるから言ってごらん」
「……宴に行くの…」
「行くのって…彩未が行きたいってこと? 」
「違う……柊夜様が、行くの」
 それだけ言うと、彩未は黙った。…そりゃ、行くだろうよ。この男は蝶なんだから。月に一度宴に出席して蜜を食べる。そうしなければエネルギー補給が出来ない。わかりきったことじゃないか。だが、彩未はそれから何も言わない。ただ真っ赤な顔をしている。私と柊夜は顔を見合わせた。言いたいことが掴めなかった。
「それで、どうしたの? 」
 先を促すように尋ねるが、
「……」
 言いかけては躊躇って柊夜をチラリと見た。そしてますます顔を赤らめる。なんなんだ一体。さっぱりわからない。
「……どうもお前がいると言いにくいらしい。外してくれ」
「何言ってるんだ、こんな状態の彩未と二人きりにさせるなんて、絶対ダメだ」
「安心しろ。私は可愛さ余って無理やり襲うようなどっかの蝶とは違う。話を聞くだけだ。おいで、彩未。話したら楽になるよ? 私になら話せるだろう? 」
 身に覚えがありすぎる柊夜は言葉を失った。その隙に彩未を奪って部屋の中に入り鍵をかけた。我に返ったらしい柊夜が扉と叩いている。
「うるさい。大人しく待ってろ」
「待てるか! 開けろ。…彩未。彩未? ここを開けて? そんな男と密室で二人きりなんて危険だ。開けなさい」
 だが、その言葉に、彩未はひどく怒った顔をした。そしてぷいっと扉から離れて奥へ入っていく。
「残念だったな。彩未はお前の言葉には耳を貸さないようだ。奥に行ってしまったよ。まぁ、後は私に任せろ。悪いようにはしないから」
「信じられるか! 」
 そう叫んだ柊夜を置き去りにして、私も彩未の後を追った。



2010/4/4

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