デッドエンドの夜 04
窓に頭をもたげて再び流れ出す景色を仰いだ。やたらと明るい夜だ。ナトリウム灯のせいだろう。オレンジ色のなめらかな光と濃紺な空が溶け合うと、切ない匂いがした。夢か、現実か、ひどく曖昧で、なんでも起こりそうだった。時々、こういう夜が巡ってくる。何もかもを包み込んでくれる優しい夜だ。空気が共鳴し、遠い場所から柔らかなものが流れ込み、身体の深いところで固まったイガイガの塊に酸素を送り込んでくれる。私は身をゆだねて心を落ち着かせる。大丈夫だと思える。
この夜を、一度だけ人と共有したことがある。あれは大阪に遊びにいった日の夜だ。私の意識は再び深い場所へと引き寄せられていった。
***
深夜二時すぎ。眠れずに目が覚めて居間に行った。居間には縁側があった。私はマンション住まいだったから物珍しくて気に入っていた。昼間もずっとそこで過ごしたぐらいだ。また縁側から続く庭に桜の木があるのも素敵だった。まだ五分咲きぐらいだったけど綺麗だ。夜の桜を見てみたい。そんな気持ちもあり向かった。着くと先客がいた。高森だった。私の気配を感じて振り向いたが何も言わず窓の外に視線を戻した。私は少しだけためらったが傍にいって隣に腰かけた。
「この時刻の空の色って好きやねん。濃厚な青ってドキドキする」
高森が言った。
「私も好きだよ。なんかすごくひとりぽっちな感じがしてほっとするんだ」
言ってしまった後、しまったと思った。ひとりは寂しいものだ。ほっとするなど言って変に思われるのではないか。否定されたり、からかわれるのは好まない。
「それ、わかる」
だが、予想に反して高森は同意した。私が驚くと高森はゆっくりと話し始めた。
「一人やと感じても変じゃないって言われてる気になるんやろ? 孤独とかたいそうなもんじゃないし……というか孤独じゃないしな。俺が孤独なんていったら、家族もいてるのに何が孤独やねんって言われるやろうし。確かにそのとおりで、一人やって感じる自分をおこがましいなぁとか思うんやけど、でもどうしても俺って一人ぽっちやなって思えてしゃーないねんな。それは悲しいとか寂しいとかじゃなくて、現実としての実感なんや。そういうのを肯定してもらえるんよな。なんかうまくいわれへんけど」
高森の言葉は混乱していた。上手ではなかった。けれど、よくわかる。私もずっと感じてきたことだった。濃淡な空を見上げると、自分は一人なのだと強く思い、それでいいのだと勇気付けられるのだ。
ずっと一人だった。父がいて母がいて兄もいて、どこが一人なのだと言われると反論できない。けど、一人だったのだ。愛されていたし、優しくもされていた。きっと私の育った家庭はいい人たちで構成されているに違いない。でも、ときどき私はたまらなくひとりぽっちだと感じた。この家族は私のものではない気がしていた。埋められないものがあると感じていた。それは「時」だ。私が生まれるまでの十六年という歳月をかけて父と母と兄がつくりあげた「家族」というものに私は混ぜてもらっている。そんな気がしてならなかった。この家族の中のルールは私がつくったものはない。つくられたものを甘受しているにすぎない。自分の影響が少しもまじっていないのならそれは私のものではない。
「なんか生まれてからずっとそんな感じ。なんというかなぁ……おまけで入れてもらってますみたいな感じがするねんな。ここじゃないというか、父さんも母さんも姉貴もいい人やし、不満も特別ないんやけど、あれ? 違うよな? って感じがして苦しい」
不満はない。でも、苦しい。私もそうだった。
兄は出来た人だ。優しく温かで立派だった。まっすぐおひさまのもとを歩いていける人だ。意地悪な気持ちも僻む気持ちもなくおおらかで包み込んでくれる。完全なる模倣が、私の前にはあった。なぞらえるようにして暮らした。こうした方がいい、こうしなければならない。卒のない行動は兄の傍にいれば自然とわかっていた。
ただ、わかっていることと、実際に出来ることは全く違う。わかっているのに出来ないことが辛かった。わからなければよかった。頭はずっと大人だったけど、心がついていかずに責め立てられている気がした。まだ自分は小さいのだから出来なくて当たり前だなんて思えなかった。出来なければならなかったのだ。劣等感を持ち始めた。その劣等感さえ包み込まれた。理解とは違う。包み込まれることで私は出口を失った。自分の内側へ抑え込むしかなくなった。
「気にしすぎとか、考えすぎといわれればそれまでやし……おもろいからそれはそれでいいんやけどな……」
高森はやるせなさげに笑った。そして、
「なぁ、まことは、どう?」
(まことはどう)
初めてだ。誰かにそんな風に気持ちを聞かれたこと。何を想いどう感じているのか。
私は考えながら、今まで思ってきたことを口にしてみた。
「うん。お父さんもお母さんも、一応子育ては一通り終えましたって感じ? あとはその要領でって、考え過ぎかもしれないけどそう思う。お兄ちゃんも全部私に譲ってくれて優しくしてくれるけど、それがかえって悲しくなる。余裕というか。もう自分はたっぷりもらったし、あげるよって。複雑。きっとそんなこと思っちゃいけないんだって思うけど。嫌な意味じゃないってのもわかってるし」
愛されてはいると思う。兄と私、同じだけ愛されている。でも、兄への態度と私への態度は明らかに違う。男と女だからというのもあるが、決定的に私への真剣さが足りない。一度したことだから、慌てないし、なんとかなると余裕がある。たとえば風邪で高熱が出たとき、対応は迅速だった。甘えさせてくれたし、優しくしてくれた。嬉しく思う私の傍で、両親は懐かしそうに話す。昔、兄が高熱を出したとき、どうしていいかわからずパニックになって救急車を呼んでしまった。大騒ぎになってご近所にも迷惑をかけた。でも本当にあの時は恐かった。兄が死んでしまうのではないかと思うと自分たちの方の倒れてしまいそうだった。その話が私の中で小さな影を落とした。全てがそう。兄の経験があるから、私への処置は落ち着いているのだと知った。大丈夫だ、これくらいならなんてことない。心配していないわけではないが、それほど心配することじゃない。知っている。私にとって初めてでも両親にとってはそうじゃない。心が張り裂けそうなほど焦燥を向けなくても大丈夫。私はそれがたまらなく寂しかった。
だからといって、真剣さを向けて欲しいためだけに、傍若無人な振る舞いは出来きなかった。傷つけてでも、私を見てと叫ぶのは子どもっぽすぎる。愛されていないわけじゃないことはちゃんと知ってたから。実感できないけど、愛があることはわかっていた。ただ、その表現が圧倒的に物足りない。切実に感じないし届いてこない。親に真剣になってほしいという欲求を持て余していた。私が求める形で愛してくれと言えたらよかった。子どもなのだからそうやってわがままを言って親の愛をほしがればよかった。けれど私は出来なかった。両親が表現する愛情で満足できる自分になればいい。この人たちは愛がないわけじゃない、示してくれている愛で納得する自分になればいい。そう合わせようとした。だから知らない。私がどういったものを欲しがっているか。彼らは、知らない。私がそんな風に感がていることさえ知りはしないだろう。彼らの愛はちっとも私を満たさないし、届いてもいないということ。愛されているということは知っていたが、触れさせてもらったことはない。
「ああ、そうやねん。優しくされて怒るなんてわがまますぎるけど、理屈じゃないよな。同じ兄弟やのに、こっちから見たら相手はもう完全で完璧で絶対勝てないし、全部持ってかれてる気がして、張り合っていっても相手されへんの結構くる。同じやなぁ」
同じといわれることが嫌いだった。分かった風な安っぽい共感などいらない。だけど、高森のいう「同じやなぁ」という言葉は心地よく私の中へ落ちてきた。私は静かにうなずいた。それ以上、何か一つでも言葉にすると嘘っぽいものになってしまう気がして黙った。
きっと私たちは似ていたのだろう。もっとも誰かに触れてほしかった部分があまりにも似ていた。そしてそこに的確に、心地よく触れてくれる人がいなかった。何故自分はここにいるのだろうか。不思議で仕方なかった。そんなやり場のない思いを、いつか溶かすことは出来るのか。絶望的な祈りのような気がしていた。私たちはどうしようもなく寂しかったのだ。恵まれていたけど寂しかった。恵まれているのに寂しいなんて贅沢なこと口に出来ないから苦しかった。それをわかってほしいなんて言えずに辛かった。
それからしばらく二人して空を眺めていた。産まれて初めて誰かに心を吐露した夜だった。
***
それは、私が最も大切にしている記憶だった。高森は忘れてしまっているかもしれないが、私にとっては重要で特別な夜。悲しいことや寂しいことがあるとよく思い出す。自分と同じような人がいる。嬉しくもあり、悲しくもあった。
その大切な記憶を担う高森が死んだ。
持て余した感情を紛らせるために窓の外に広がる夜を見つめる。星がよく見えた。でも、月はなかった。今日は新月だ。月の満ち欠けと月経のリズムは密接な関係がある。友だちから聞いて以来、意識するようになった。今年買った手帳も、月の満ち欠けが記載されている。新月は零だ。また新しいサイクルの始まりを意味する。その夜から、高森ははじかれてしまった。つい数時間前に、あっけなく。その事実に自分が何を感じているのか、私はまだつかめないでいた。
2010/6/2