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デッドエンドの夜 05


 大阪に着くと、おじさんと成海さんが起きて出迎えてくれた。おばさんは先ほどまで起きていたが眩暈がして横になっているそうだ。「衝撃が強すぎるから」と言った成海さんの顔も蒼白だった。それでも今は自分がという気丈さを感じる。泣き崩れ、取り乱しているのではないかと、なんと声をかければいいかと考えていた私は自分の底の浅さを思い知った。気を張って、強く律する姿は、そのまま傷心の大きさに比例する。ただ、最も辛いはずの両親のために自分がやらなければならないのだと奮い立たせている。私はその強さと優しさにただ圧倒された。
 物音を立てないようにひっそりと家に入る。静まり返った室内はおそろしく寒く感じた。居間に通され荷物を置いていると、客間の襖が開いた。そこには、一式の布団が敷かれていて真っ白な布を顔にかぶせた人が寝ていた。唐突に突きつけられた光景に戸惑う。兄が枕元の近くへ座ったので私もその隣に座った。
 これは高森だ。心の中でつぶやく。目の前で眠っているその人はずいぶんと小さかった。高森は背が高かったから、四年も経てばもっと大きくなっているはずだ。本当に高森なのか。高森という名前の別人なのではないか。そう思う。思いたい。現実とそれを否定したい気持ちがせめぎ合う。高森の訃報を聞いてからずっと続いていたが今ひどくなっている。一つ一つを言い聞かせなければ、たちまちおかしな言葉を言ってしまいそうだった。許容量を超えると防御が働き、見たくないものを拒否する能力が人には備わっているらしい。私にとって高森の死は境界線に位置するみたいだ。どっちつかづで見えたり見えなかったりしている。だから余計困惑する。
 おじさんが「どうか顔をみてやって」と告げると兄は躊躇いがちに白い布に手を伸ばす。私は息を止めてじっと見ていた。
 綺麗な顔だった。拍子抜けするほど綺麗だ。損傷はない。まるでコールドスリープさせているようだ。SFなどにでてくる、難病の子が未来で特効薬が出来上がるのを待つために眠るアレだ。これは確定的な死なのではなく、未来へ託した希望だと言われても私は信じる。しかし科学はそこまで進歩していない。
「高森。豊さんとまことちゃんが着てくれたんやで」
 私の記憶よりもぐっと男らしくなっている。変わっていて当然だし、変わっていないのはおかしい。けれど、そのことがまた私を混乱させた。記憶の中で何度も繰り返して会っていた少年はどこにもいない。知らない人みたいだ。だからピンとこなかい。誰だこれ、と思った。何の感情も湧いてこない。自分を冷酷だとなじっても涙は出ない。「本当に高森ですか?」と言ってしまいたかった。やっぱり事故に遭ったのは別人だと、これはお芝居です、あなたを騙そうとしてたんですと言われても今なら怒らない。なんだそうかーっと笑って許せる。だから本当のことを言ってほしい。でも、やはりこれは本物の高森らしかった。どれほど私が嘘だと思っても、事実が覆ることはない。自分の許容量を超える現実を少しずつ咀嚼していくしかなかった。
「お茶入れたからこっちで休んで」
 成海さんの声で兄が立ち上がって傍に駆け寄った。「僕がするから、君こそ休みなさい」「これくらい大丈夫よ」なんて会話を聞きながら、私は高森の遺体から目が離せずにいた。人が死んだ姿を見たのは初めてではない。父方の祖父と、母方の伯父とを見送ったことがある。でも今はその時とは全然違う。どんな感情もわかない。突き動かされるように大阪までやってきたのに、いざ高森の死と対面しても私は悲しい気持ちにはなっていない。そこに大きな戸惑いを感じていた。
「まことちゃんも、こっちに」
「はい」
 立ち上がる前に高森の顔に白い布を被せようと手に取った。それはガーゼのような繊維の荒いもので出来ていた。これなら、顔の上に乗せても呼吸できて息苦しくないだろうと思った。そこまで考えてはっとなる。もう呼吸はしていないのだ。そんな心配しなくていい。生と死の違いをイチイチこうして感じなくちゃいけないのか。そんなに違うものなのか。やはり飲み込めない。 
 居間の机には、アルバムが広げられていた。
「遺影の写真を選んでたんや」
 視線に気づいたのか、おじさんが言った。
「なかなか最近の写真がなくて困ったわ。あいつ、あんまり写真に写りたがらんかったから」
「いいですか?」
 と言って、私は見せてもらうことにした。
 まだ赤ちゃんの頃の写真。二、三歳ぐらいで膝の上に抱かれている写真。幼稚園の発表会、小学校の運動会、学芸会。おじさんの言うとおり小さい頃のの写真ばかりで大きくなってからは少なかった。その中で、私は一枚の写真に釘付けになっていた。
「ああ、それなぁ」
 おじさんは頼りなさそうに笑っていた。
 兄と成海さんの結婚式に親族一同で撮った写真だ。成海さんのおじさんとおばさん、私の両親と私が兄夫婦を取り囲むようにして微笑みあっている。私も同じ写真をもっていた。ただ、少しだけ違う。高森はあの時、高熱を出して寝込んでいた。だから写真には写っていない。だが、この写真にはしっかりと写っていた。右上に丸くくりぬいた高森の写真が貼られている。学校の集合写真で欠席した子が別撮で合成されるものみたいに。
「『姉ちゃんの大事な日に熱だしてごめん。もう俺一生の後悔やわ』って言うてな。せめて写真だけでもって」
 おじさんが言うと、思い出したように成海さんも話はじめた。
「ああ、そうやったね。わざわざこのために証明写真とりにいったんよね。学生服着て。それも映りが気に入らんって三回も取り直して『小遣い使い込んだー』って大騒ぎしてたの覚えてるわ」
「あいつは、こういう手の込んだこと好きやったからな」
「でも嬉しかったな。あの子、どっかで遠慮してるというか、家族的なものって苦手なのかなって感じることがあったんよね。男の子ってそういうものなのかなって思ってたけど『この写真は家族写真やから自分も映らなあかん』って言ってくれて嬉しかった」
「そやったなぁ」
 高森はきっとすごくこの家族が好きだったのだろう。馴染めない寂しさを抱えながらも愛していたのだ。そして、その想いはちゃんとおじさんや成海さんに伝わっている。良かったと思った。そして少し羨ましかった。
 それから私は成海さんの部屋に案内された。
「私は高森についているからまことちゃんはここで寝て? 疲れたでしょう」
 と言ってくれた。成海さんの方がよっぽど疲れているだろうけど、ここで私が遠慮してもかえって気を遣わせるだけだと思った。それに高森の傍にいるのは家族だけの方がいいと感じた。高森とたった二度しか会ったことがない私が高森の最後の夜に混ざるのは厚かましい気がして後ろめたい。だから申し出をありがたく受け入れた。
 部屋に入るとかなたくんが眠っている。その隣に布団を敷いてくれたので横になる。
「おやすみなさい」
 成海さんは小声で告げて扉を閉めた。
 真っ暗な部屋で私は違和感と戦っていた。奇妙だ、とても。本当なら私はここにいるはずない。そして、本当なら隣の部屋から高森の寝息が聞こえてるはずだ。それがつつがない日常だ。でも今は違う。寝息は聞こえるけれど、それは隣の部屋からではなく、すぐそばに眠るかなたくんのものだ。私は石川ではなく大阪にいて隣の部屋はもぬけの殻。誰がこんなことを想像できた? 唐突すぎる。あまりにも急すぎてついていけない。そんな自分を妙だと思う。私は動揺している。それがわかると変だと思う。どうしてこれほど動揺しているのか。正直、親しかったわけじゃない。頻繁に連絡をとっていたわけじゃない。それが訃報を聞くと感じたことがない喪失感に打ちのめされている。この感覚は何? 
――年の近い人の死だから。
 遠いものでしかなかった「死」が突然傍まできて戸惑っている。それはある。でも、違う。もっと個人的なものだ。「高森だから」その後に続く適切な言葉を思いつかないけれど「死んだのが高森だから」なのだ。でもそこから先は何も浮かばない。心の真ん中にあるざわざわしたもの。その中に答えはある。それは大切なことのような気がした。だけどまだつかめなかった。




2010/6/3

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