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デッドエンドの夜 06


 お通夜と告別式は近くの会館を貸りて行うことになり、準備のため朝から葬儀屋さんが訪ねてきた。納棺を終え高森を見送る。みな無言だった。もう高森が高森の姿でこの家に帰ってくることはない。「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」は必ずセットの言葉だから帰って来ない高森には言えない。黙っているしか出来ない。日常になかったことを重ねていくことが死を認識させる。
 式の準備が整うまで、私と兄夫婦は家に残って連絡係をすることになった。私は手持無沙汰で居間から庭を眺めていた。すると
「おねーちゃん」
「かなたくん。どうしたの?」
 扉からちょこんと顔だけを出して私を見ていた。おいでと手招きをする。とてとてとてと音が鳴りそうな小走りで私の元へやってきて右腕を引っ張った。
「おにーちゃんのとこ、いくの。きて」
 いつになく強引に手を引くのでされるがままについて行った。階段を器用に昇り着いたのは高森の部屋だった。かなたくんは遠慮なく扉を開けて入っていく。勝手に入っていいのかと迷ったが高森の部屋がどんなものか見ておきたい気持ちに負けて入った。
 こざっぱりした部屋だった。ゲーム機や、車のミニチュア、クローゼットの横にあるフックには青いブレザーの学生服がかかってある。基本的にスッキリして、物があまりない。男の子の部屋といった感じの印象だ。ただ、カーテンだけが薄いピンク色で驚く。昨日寝かせてもらった成海さんの部屋のカーテンは青かった。普通逆じゃないだろうか。
「きって」
「きって?」
 かなたくんは、私を見上げるようにして言った。きってって何を切るんだろう。
「おにいちゃんがきってって。きってきってきってー」
 はしゃぎながら、本棚を指差したのでそれを目で追う。
「ここに何かあるの?」
 近づいて見てみると満足そうにうなずいている。私は本の背表紙を一つずつ撫でるように確認した。詩集とサブカルチャーと海外の古典本、「魂の生まれ変わり」とかいう怪しげなものもある。こういうのが好きなのか……。さらになぞっていくと背表紙がない黒いバインダーがあった。
「それ! きってー」
 かなたくんは大声をあげた。
「これ?」
 言われるままに取り出してみる。中身を見ると切手が綺麗に並べられていた。
「きってきってきってー」
 かなたくんは嬉しそうにはしゃいでいた。その声につられたのか成海さんがやってきて「どうしたの?」と不思議そうに尋ねてきた。
「あーママ!」
「あ、すみません。勝手に見ちゃって」
 私が慌てて手にしたバインダーを戻そうとするとかなたくんが静止する。
「ダメ! おねえちゃん、おにいちゃん、きって!!」
 力強く訴えてくるので困った。成海さんに助けを求めるように見る。成海さんは私に近寄ってきて手にしたままでいた黒いバインダーに目をやると意味を解したように微笑んだ。
「それ、高森が集めていた切手帳やわ。かなた、これが切手帳だってよくわかったわね」
「うん、おにいちゃんがおしえてくれた」
 そう言うと役目を終えたようにかなたくんは部屋を出て行ってしまった。
「かなたくんも切手好きなんでしょうか?」
「んー、どうだろ。あの様子じゃ、部屋に入るたびに見せられてたのは確かやね」
「これ、見てみてもいいですか?」
「もちろん」
 そう言ってくれたのでもう一度開いて見る。成海さんも傍にきてアルバムを眺めるように高森が愛したコレクションを見始めた。
「小学校三年生ぐらいのときかな、突然切手収集家になるって言いだして集めはじめたんよ。もうそれからはすごかっわ」
 私の知らない高森の話を聞きながら、ゆっくりと一枚ずつ眺める。どれもこれも、思い入れのあるものなのだろう。正直、よさや価値なんてさっぱりわからないけど……。
「あ、待って」
 次のページをめくろうとしたら成海さんに制止された。そして一枚の切手を指さしてした言った。
「これ。カラーコピーじゃない?」
 よくよく見てみると何かおかしい。切手の端にあるはずのギザギザがなく真っ直ぐなのだ。特別な切手だからそういう形なのだろうか。私たちはどちらともなくそれをバインダーから出して確認した。素手で触るなんて高森が見たら卒倒しそうだけど構わずに引き剥がした。
「コピーみたいですね」
 私と成海さんは顔を見合わせた。
「どうしてコピーなの?」
 黄色いカナリアの絵が印刷された切手だった。なんの変哲もない。極めて普通の、一般に市販されている切手と似ている。私はその切手に見覚えがある気がした。ゆっくりと記憶を辿るように思い出す。あれは、この切手なんじゃないか。こういう地味な感じのものだったはずだ。
「これ、もしかして「幸福の切手」かもしれないです」
 私の言葉に、成海さんは小首をかしげて、話の続きを促した。
 「幸福の切手」それは私が知っている限りでは、当時、高森が特別に大切にしていたものだった。

***

 大阪に来た翌日、昨日までの晴天が嘘のような雨で予定していたユニバーサルスタジオへ出かけることは見合わせになった。元々遊園地が好きじゃない私は問題なかったし、高森にしても「俺が雨男やからや、気にすんな」とケロっとしたものだった。ただ、兄と成海さんはとても申し訳なさそうにしていた。
 時間が出来たので、兄夫婦はかなたくんを連れて挨拶がてら成海さんの祖父母の家を訪れることになり、私と高森は近所のショッピングモールで映画を見ることになった。十四時十分から上映のチケットをネットで予約してくれて兄夫婦は出かけていった。ショッピングモールまでは歩いて十分ほどで着くので家を十三時四十分に出ることにした。それまでまだ時間はたっぷりあった。
 私は居間にいて庭の桜の木を見ていた。雨に濡れる桜も物悲しくていい。すると、高森が数冊のバインダーをもってやってきた。おもむろに広げて作業を始める。それは切手帳だった。
「地味な趣味だね」
 私が言うと高森は「あほか、何が地味やねん」と切手の良さについて語りだした。だけど、いくら聞いてもさっぱりわからない。切手はどこまでいっても切手だ。使ってこそ役割を果たせるのではないか。一向に理解を示さない私に音を上げたのは高森の方だった。
「なんでこの良さがわからんねん」
 呆れかえったようなため息をついて、小さな子どもみたいにふてくされた。それから無言で作業を続けた。私は傍で眺めていた。五、六分ぐらいそうしていだろうか。高森が突然立ち上がって、
「わかった。お前には特別なん見せてやるわ。それ見たら、絶対納得するから」
 そう言って地団太みたいな足音を踏み鳴らし二階へ向かった。それからすぐ黒いバインダーを持って降りてきた。
「何それ?」
 私が尋ねると勝ち誇った顔でニヤリと右の口元だけを持ち上げて笑った。いかにも得意げといった表情がおかしかった。
「貴重なやつだけ別綴にしてるねん」
 そういってバインダーを広げた。一ページに四枚ずつ綺麗にファイルされている。もっとまとめて綴じたらいっぱい入るのにと思ったがそれは黙っておいた。言えばきっと憤慨するだろうから。
 自慢するだけのことはあって先程見せてもらった物よりも心なしか目を惹く気がする。でもまた一枚ずつ「これはどこそこの絵で、いつ買って」と説明されるのかと思うとちょっとうんざりした。だけど高森はどんどんページをめくったいった。そして真ん中ぐらいで手を止めた。そこには一枚だけが貼られていた。切手そのものはとても地味で、普段、私が使用している切手と近い。
「これや」
「何が?」
 高森はさらにニタリと笑った。
「この切手は幻の切手といわれてるねん」
 切手は「幸福の切手」と呼ばれていてこの切手を貼って出すと受け取った相手が幸福になれるらしい。
「な、すごいやろ?」
 私が二度三度と頷くと高森は満足そうだった。
「それで、誰に出すの?」
「はぁ?」
「だって、受け取った相手が幸福になるんでしょ? 誰に出すの?」
 私の言葉に高森は信じられないと目を見開いて、
「なんでそうなるねん」
 と頭をかいた。
「使ってどうするねん。集めてすぐに使ったらコレクションにならんやんか。意味ないやん」
「逆だよ。使わなかったら意味がないんだよ。使って誰かを幸せにしなくちゃ」 
「あかんわ。まこと、お前理解度ゼロやな」
 そういって、拗ねたようにぷいっと顔を背けてまた黙々とコレクションを整理し始めた。だが、私は引き下がらなかった。せっかくそんなすごい切手を持っているのなら、実際に本当かどうか確かめてみたい。ただ綴っておくなどもったいない。熱心にその話を繰り返すので高森は降参した。そしてまだちょっと不機嫌そうだったけど、
「わかった。ほんじゃ、幸せになってほしいと思う人が出来たらこの切手使うわ。そんな人に出会うかわからんけど。つーかこれやるぐらいなら出会わんでいいけど」
「それって寂しいよ。切手じゃなくて人を好きになる方がいいよ」
「いいねん。俺は寂しい男やねん。今までもそうやってんから、これからもそうやの」
「強情っぱりだね」
 高森は横目で私を睨んできた。その顔が奇妙で私は噴き出した。

***

「たぶん、幸福の切手ですよ」
 話終えて改めて私は言った。
「なるほどね。でも……ってことは、本物は誰かにだしたんかな?」
「たぶん。誰かに出したんじゃないでしょうか」
「誰にだしたんやろ?」
 それはわからない。でも、ここに本物がないということは誰かに使ったのだ。それ以外にない。あれほど大切にしていた切手を出そうと思える人に高森は出会った。そして、私と交わした約束を実行させていた。律儀だなと思った。
「そういえば、あの子、ラブレター出したことがあったわ」
 今度は成海さんが記憶を頼りに言った。
「もうだいぶ前。確か、お盆でこっちに帰ってきてたときかな。あの子、いっつも携帯電話なんてそのへんほったらかしにするのにその時は肌身離さず持ち歩いてものすごく気にしてるの。何をそんなに気にしてるんやろって思って母親に聞いてみたら一月ぐらいずっとあんな感じっていうのよね。それで彼女でもできたんちゃう?って。私も気になって尋問にかけたの。そしたら白状して……」
 丁寧に探るように、慎重に、ゆっくりと言葉にしていた。 懐かしむように話をする成海さんは柔らかな目をしていた。大阪にきてから悲しみに食われないように気を張って強張った表情しか見ていなかったがいつもの成海さんがいた。
「手紙を出したらしくて、その返事を携帯にもらうようにしてたみたい。『中身に気づいてないのかもしれへん』とか『手の込んだことやりすぎたかも』とかぶつぶつ言うの。あんたどんな渡し方したん、ちゃんと届いてるかどうかもわからんの? って言ったら『届いてるのは届いてる、でも気づいてない』とかちっとも要領を得ないのよ。で、もう最後は『ほっといてくれ』って逃げられたんやけど、あの時の手紙に使ったのかもしれない」
「きっとそうですよ」
 私は言った。本当はこのコピーが間違いなく「幸福の切手」だという自信はなかっし、成海さんの話のラブレターに確実に貼られていたなんて言いきれない。でもたとえそれが推測だったとしても真実にしたかった。高森がとても大切にしていた切手をあげてしまえるほど誰かを想った。人生においてそういうことがあったのだと思いたかった。
「でもあげちゃったのにコピーとっとくなんて未練ありまくりやね」
「身を裂く思いで貼ったのかもしれないですね」
「結果、返事ももらえず振られたんやね。せつない話やわ」
 成海さんが本当に可哀相な声を出す。そして、私たちは微笑みあった。
「誰かが言ってた。お葬式の席で、思わず笑っちゃうような思い出話こそが大事なんだって。悲しみは少しずつ癒えていって忘れてしまうものやけど、楽しかった記憶はずっと忘れないから。それがその人になるんやって。私はこの話を忘れへんよ。これから先も何度も何度もするの。あの世で高森が恥ずかしがってもやめへん」



2010/6/3

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