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デッドエンドの夜 07


 準備が整ったとの知らせを受けて会館へ向かった。正面入り口に「遠野高森告別式」と書いた看板がある。会館は土足でも入れるように緑のシートが敷かれていた。 
 通された会場は立派な場所だった。昨夜、写真がないといっていたが、祭壇に飾られている写真はいい表情だった。カメラ目線ではなく、何かを見つめて笑っている。その視線の先に何があったのか。誰に向けて笑っているのか。優しげな顔だった。  
 それから私は祭壇の一番前の、親族用の席に腰掛けて、手を合わせる人々を眺めて過ごした。なんだか頭が重たい。寝不足のせいだけではない。とめどなく溢れてくる想いのどれひとつもまともに掴めずに、様々なものが混沌として内側に留まり、処理できずに蓄積されて飽和しそうだった。どれも本当の気持ちに違いないが、私が見つめなければいけないものまで辿り着いていない気がした。
 夕方になると制服姿が目立ち始めた。青いブレザーの制服。高森の部屋にあったものと同じだ。二十名ぐらいの男子の集団が入ってきた。高森が所属していたサッカー部員らしい。スーツ姿の男性は先生だろう。この中で高森もわいわいとはしゃいだりふざけあったりしていたのか。 
 女の子もいた。涙をいっぱいにためてハンカチを握り締めている子、その子の背を撫でる目の赤い子、表情のない眼差しでそっと手を合わせる子。
 ふと、さっきのラブレターのことが頭をよぎった。もしかしたらこの中に送った相手がいるのかもしれない。高森がすごく好きだった子。大事な切手をあげてしまえる相手。高森はその子のことを毎日考えていたのだろうか。あれやこれやと妄想なんかして……。でも振られちゃって落ち込んだ? それをあのサッカー部の人たちが慰めたりなんかした? そんなことを漠然と思いながら彼らが順番にお焼香をしていくのを見ていた。 
 五、六人が終わったくらいだろうか。突然携帯電話の音がした。水戸黄門のオープニングテーマだ。随分と渋い。引率の先生が「誰や。切っときなさい」と言ったけれど、誰も該当者がいない。すると、一人の生徒が
「棺から流れてるみたいですが」  
 と言った。  
 傍にいた係りの人が確認した。遺品として棺に入れてあったものが鳴っている。それは間違いないみたいだ。事故のせいで見た目はボロボロになっている。だからてっきり壊れていると思い電源の確認をしないでいたようだ。  
 それにしても誰からなのか。高森の死を知らない人だろう。訪問者への挨拶をしていた成海さんが駆けつけて中を確認すると、
「勧誘メールでした」  
 疑問を晴らす様にみんなに言った。たちまち緊張が解け和やかな雰囲気が訪れる。
「なんか高森らしいなぁ」  
 と、一人の生徒が言った。
「私もそう思うわ」  
 成海さんは笑った。
「高森のアドレスってめっちゃ簡単すぎるからすごいイタメールくるんよな。でも変更せぇへんねん。『これは絶対変えられへんねん』って言い続けてたよな」
「そうそう。それで授業中とかバイブにはしてるんやけどすんごい振動するねんなぁ。だからよう先生に没収されてた」
「特に科学の前島とは相性最悪やったよな。目の敵にされてたやん。だからもう散々アドレス変えろっていうのに変えへんし。『変えられへんねん』の一点張りでさ。でもなんで変へられへんねんって聞いてもそれは教えてくれへんねんな。あいつ秘密主義者やから」
 一斉に話し始める生徒たちを引率の先生がたしなめた。でも成海さんは笑っていいんですと答えていた。
 私の知らない日常。高森の生活がここにあった。
――っ
 それは唐突だった。本当に。喉が熱くてたまらなくなり自然と涙が流れた。後から後からとめどなく。さっきまでまったく泣けなかったのに。一体これは何? どうしたの? 変だ。そう思うのに泣きやめない。慌てて鞄からハンカチを取り出そうとするけどうまく見つけられない。溢れてくる涙になんだか笑えてくる。何を泣いているんだ。バカみたいに。みっともない。きっと不自然には見えないだろうけど。高森の死を悲しんでいる。そんな風に映るはずだ。でもこれは高森の「死」に対する悲しみではなかった。自分のための涙だ。それがわかっていたからいたたまれなかった。ハンカチは諦めた。代わりに式場を後にした。彷徨うように外に出る。人気のない場所まで来てもまだ涙は止まらなかった。そこで存分に泣いた。遠慮なく。号泣した。嗚咽というものを初めて経験した。そうしていると徐々に落ち着いてくる。そしてより明瞭になってくる心。ああ、そうか、と。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。自分でも狂ったかと思うけど私はおかしくてたまらなかった。高森の訃報を聞いてからずっと感じていた気持ち。喪失感と対をなすもの。それは、後悔だ。どうして死んだの? なぜ高森なの? その先に続くのは「だって私はまだ何もしていない」だ。高森と同じ学校に通う子たちを見て思った。羨ましいって。それでようやくわかった。私は高森ともっと一緒にいたかったかったのだと。

 傍にいたかった。

 自分が人に対してそんな風に思っているなんて信じられないけど。だから認められなくて心の奥に閉じ込めていたけど。私は、高森の傍にいたかった。高森は初めて私の気持ちを理解してくれた人だったから、私にとって特別だった。こんな人がいつも一緒にいてくれたらなぁと思っていた。でも見ないふりをした。誰かと一緒にいたいなんて感じたことは初めてでどうしたらいいかわからなかった。とても照れくさくて恥ずかしかった。素直に近づけなかった。それに怖かったから。拒否されたらどうしようと思うとおそろしかった。だから知らないふりをした。でも大丈夫と思った。そのうち会うこともあるだろう。兄夫婦を通じて関わることがある。だからいいやと先延ばしにした。でも結局そんな機会はやってこなかった。臆病風に吹かれて言い訳している間に高森はいなくなってしまった。「もう絶対、取り返しのつかない」という現実を前になす術がない。泣くしかできない。情けない。どうして私は何もしなかったの? どうして、どうして……そればかりが脳内をめぐった。
「まこと」
 名を呼ばれる。振り返ると兄がいた。私の泣く姿を見ても何も言わなかった。ただ傍に来てハンカチを貸してくれた。
「姿が見えないから探したよ」
 探してくれたの? こんな大変な時に、私のことを気にかけてくれていた。いつもの兄だった。周りからふわりと包み込んでくれる優しい兄だ。でも今日はなんだか違って見える。
「私は……」
 兄は真っ直ぐに私を見ていた。
「お兄ちゃん……私は高森ともっと仲良くしたかった」
 それから私は声をあげた泣いた。こんな風に兄の前で泣いたことはない。でも兄は戸惑いを見せなかった。当然のように泣きやむまで私の傍にいてくれた。無理に泣きやまそうと慰めることはせず私の気が済むまでじっと傍で見守ってくれた。
 もっとはやく、もっとちゃんと、自分の気持ちを言えばよかった。怖がらずに。そしたら違っていた。私はずっと傷つかないことを選んでいただけだ。その代わりに受けとめてもらうこともなかった。恐れずにもっとなんでも言えばよかった。諦めずにやってみればよかった。どうしてそうしなかったのだろう。何もかもが手遅れになってから気づくなんて。どうしたらいいのかわからなかった。ただ泣いた。ひたすら。何もかもを吐き出すように泣き続けた。

***

 夜になり交代で仮眠をとることになった。かなたくんを寝かすために成海さんと私がまず家に戻ってきた。なんだかボケッとする。あれだけ泣いたのだから当然だけど……。
「疲れたでしょう」
 成海さんがコーヒーを入れてくれた。今日、何十杯目になるのだろう。
「成海さんて青色が好きなんですか?」
 青いコップを手にしている成海さんを見ながら、私は尋ねていた。どうでもいい問い。押し寄せてくる感情についていけず、紛らわせるために尋ねた。
「ああ、これね。違うの。私が青を好きなんじゃなくて、高森がピンクが好きで」
 この家の全てが高森と繋がっている。どこをどんな風に切り取っても消えはしない。その事実に心臓が止まりそうになる。
「あの桜の木あるでしょ」
 成海さんは話を続けていた。庭にある桜の木に視線を向けている。
「あれは高森が生まれたときに植えたんよ。そのせいか、あの子はあの桜が好きでね。でも、お花見するのは嫌がってた。『純粋に花を見るだけなのがいいんや。花より団子になるから絶対あかん。桜に失礼やし、しいては俺に失礼や。この桜は俺の分身やねんから、いい加減な見方は許さん』って」
「……そうなんですか」
「うん。それでね、桜が好きやからピンクも好きで。ピンクというか高森にいわせたら桜色らしいんやけど。で、うちの家では桜色は高森の色なんよ。だから代わりに見分けがつくように私は青にしてるんよ」
 高森の部屋のカーテンが淡いピンクだったことを思い出した。男の子の部屋には不釣合いと思ったがそんな理由があったのか。意味のないことなど何一つなく、起きうることは人の意思や想いが働いた結果なのだといわれている気がした。
 それから、客間に布団を敷いてもらって横になった。昨日、高森がいた場所だ。成海さんは気を遣って自分の部屋で一緒に眠ろうといってくれたが断った。高森が最後にいた場所で過ごしたかったのと、一人きりになりたかった、その両方の理由だ。高森が寝かせられていた北枕とは反対の南枕で横になる。死と生の矢印は真逆で私と高森はこれから違う方向に進む。本当にもうどうしようもないのだ。私はそれを受け入れなければいけない。取り返せないのが人生なら、前に進むしかできないのなら、始めなければいけない。
 眠れずに起き上がり縁側のある居間に行く。そこから高森の愛した桜が見える。前に来た時も、ここからこうして眺めた。高森と二人で。けれどもう彼はいない。空だってあの時とは違い真っ黒だ。何も見えない。
 私は庭に降りた。
 桜の傍に近寄ってみる。幹に触れるとひんやりとして気持ちがよかった。仰ぎ見るようにのぞくと満開の花びらが風に揺られて散っていた。




2010/6/4

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