春待月 Side 月子 ―― ファーストキス
水瀬と付き合いはじめたことが噂になった。
私が言いふらしたわけでもなければ、水瀬が言いふらすわけもなく。放課後二人でいるところを目撃されたのだ。それが噂話になってしまった。たぶん相手が水瀬でなければこんなことにはなっていないだろう。これが有名税というものか。
ただ、これが厄介だった。
ともかく、いろんな女の子に真偽を問われた。「付き合ってます」と正直に言うとおそろしいことになりそうで曖昧に「まぁ友だちです」と答えた。それで納得してくれるとは思わなかったけれど。でも、
「そうよね。相葉さんと水瀬君じゃ不釣り合いだものね」
悪意があるわけじゃない。ただ、思った通りのことを述べているだけ。でも、それは遠まわしに私を傷つけた。私は水瀬と付き合うにしては見合わない。そういうことだから。失礼すぎると思ったが、反発すると話がややこしくなるので黙って笑った。
そんなことがひたすら続いていると、どんどん嫌になってくる。「お前みたいなブスが勘違いするなよ」とハッキリと言われたわけではないけれど、小さな無神経さが積み重なってくるとそれと同等の、いやそれ以上の威力をもたらすのだ。数の暴力は恐ろしい。私はすっかりまいっていた。傷ついていたのだ。だから、
「あなたと付き合ってることで尋常じゃない被害がでてるんですが」
他に言っていくところがないので、とりあえず水瀬本人に伝えてみた。あの修羅場を目撃した公園だった。別に故意にこの場を選んだわけじゃない。さっき入ったファーストフード店でもよかったのだが、なんとなく人の目を避けたかったから。こういう時は公園に限る。六時を過ぎた公園は子どもたちが帰路についてひっそりとしているし。あの女性がこの公園で水瀬を追及した気持ちがなんとなくわかった。別にわかりたくもなかったけど。
「あなたを好きだという女子に目の敵にされてます。不釣り合いとか。似合わないとか。なんだか自分がとてもつまらない人間だと言われてるみたいですごく、嫌」
イライラする。でも八当たりしゃちゃいけないと思ったから、出来うる限り丁寧に言った。けれど水瀬はまったく悪びれることはない。まぁ、水瀬が悪いわけじゃないから仕方ないけど。ただつまらなさそうな顔をして聞いていた。でも、ふと何かを思いついたらしい。
「ふーん。じゃあさ、」
それは一瞬だった。
――……!
唇に柔らかいものがあたった。キス、された。
「何?」
「お詫び?」
「はい?」
「だから、俺のせいで迷惑かけられたんだろ? それのお詫び」
お詫び……悪いと思っているのか? というか、
「なんでキス?」
「喜ぶかと思って」
……。ありえない男だ。自分のキスは女なら喜ぶと? 一体何様なのだろう。ここまでくるともうどうでもいいやと思えてくる。それぐらい水瀬は突き抜けていた。この男に感情的になっても無駄なのだとつくづく思う。
「で、どうだった?」
感想を述べろと言うのか。それなら述べてやる。
「別に何も感じない。たぶんだけど、好きな人とだったらドキドキするんだろうから、やっぱりあなたのことは好きじゃないんだとわかった」
水瀬は大笑いした。私の感情温度はますます低下して苛立ちが募る。もともと機嫌はよくなかったが、いつ爆発してもいいほど不満がたまっていた。
「やっぱり面白いなぁ、相葉月子。そんな感想がくるとは思わなかった」
「……これ、一応、私のファーストキスだったんだけど? 別にロマンチックなものを夢見てたわけじゃないけど、好きでもない男とだなんて笑えないわ。それも理由がお詫びだなんて」
ショックを受けているのか、自分でもわからない。何も感じない。たぶん、感情の深いところでは動揺しているのだ。それが浮かび上がってくるまでにラグがあるだけ。私はいつでも、怒りや悲しみは後から押し寄せてくるから。怒るのは苦手だ。まして人前で泣くのも。感情が爆発してどうにもならなくなる前に一人になりたかった。そんな私の気持ちを察したわけではないのだろうけど、感じるものがあったのか、水瀬は「じゃあ今日はこれで」とアッサリと退散した。こちらに背を向けたまま片手をあげて公園の中を突っきっていく。
まったく、要領のいい男だ。動物的感が鋭い。トラブル事前回避能力にたけている。そうじゃないとあんな性格だ、いろいろなところから苦情を言ってこられて、それだけで一日が終わるに違いない。水瀬の後ろ姿が完全に見えなくなると途端にため息が出た。
――なんだかすごく疲れた。
当然だ。あの男はまったく私の気持ちを考えない。好き勝手すぎる。ストレスがたまる一方だ。善意も好意もなにもかもを当然のごとく受ける尊大さ。憎みきれない愛嬌はあるが……あの男に恋をした女の子は大変だろうと思う。愛は無条件のものだというけど、やはり人間そんなに完璧ではない。自分が提供した分の見返りを求めてしまうだろう。けれど、水瀬からそれを返してもらうのはおおよそ不可能だ。だから、水瀬に惚れた女の子は途中で疲れ果ててしまうのではないか。そんなことを思っていた。
――っ
刺すような視線を感じた。びっくりして振り返る。そこには、
「何キスなんてされてんだ?」
怖い顔をした央介がいた。
2010/2/6
2010/2/16 加筆修正