春待月 Side 央介 ―― 崩壊
たった今見た光景に、本当に、気が変になりそうだった。月子自身に噂の真相を確かめるまでは……と思っていたが、雄弁に語る現場を目撃してしまった。
「何キスなんてされてんだ?」
「……み、てたの?」
顔を赤らめて恥ずかしそうな顔。イラっとした。
「付き合ってるって噂になってたけど、本当だったのか」
「噂……」
月子はうつむいた。苛立ちっていた俺は構わず続けた。
「あんな派手な男、お前には似合わないよ」
俺の言った言葉に、月子の顔色が一変した。
「何よそれ?」
瞳には悲しい色を浮かべている。声は冷ややかだ。
「私が地味だから似合わないって?」
自嘲するような声。うんざり、という風にもとれる。そして怒っていた。とても。月子の導火線に火を点けてしまったのは間違いない。
「は? 別にお前が地味だなんて話はしてないだろう?」
「言ったじゃない。派手な男は似合わない。それって私が地味だから不釣り合いってことでしょう。水瀬と付き合うようになってから、いろんな人に言われた。似合わない。不釣り合い。たとえば私が絶世の美女なら誰も文句言わないはずよ。なのに……確かに私は地味だけど、それがそんなに悪いことなわけ? もう嫌だ!」
そこまで聞いてようやく、月子の憤りの意味を理解した。男絡みの泥沼劇など経験したことがない。女の陰険さとも無縁。月子は純粋培養なところがある。それが突然、あんな男に目をつけられて嫉妬と憎悪の渦巻く中へ引きずり込まれた。いろいろ揶揄られたのだろう。堪えていたものが爆発したのか、うーっと噛みしめるように涙をこぼす。
「どうせ私はブスよ。男前には不釣り合いよ。そんなこと私が一番よくわかってる」
話の論点がずれていた。俺が聞きたいのはあの男のことだ。だが、今の月子はそんなこと頭にないだろう。
「お前はブスなんかじゃないよ」
とにかく落ち着かせることが先決だ。このままではどんどん話があらぬ方向へ進んでしまう。何より、月子の涙は苦手だ。あまり泣くことがないから余計に。感じていた怒りよりも、動揺が勝った。小さな子どもにするように頭を撫でようと手を伸ばす。が、パンっと払いのけられる。
「嘘つき!」
「あ?」
「私のことブスっていったのは央介じゃない!! 知らないとでも思ってるの? 中学の時、私のことブスって言ってたの聞いたんだから!」
高校入学してからはずっと「西垣くん」と呼んでいたのに、それも忘れて名前で呼ぶほど我を忘れているらしい。感情が暴走しているのはわかるが、怒りの矛先がいつの間にか俺に向けられていた。今まで一度だって触れることがなかった「あの事件」について、まさかこんな形で言われるとは。今はまずい。月子は冷静さを欠いている。どうにか落ち着かせなければ、よくない状況になる。だが、
「キライだ」
まるで、どうでもいいとばかりに、簡単に口にした。たった一言にぞっとするほど気持ちが冷えていく。
――嫌い、だと? ふざけんな。
今、俺が感情的になってはいけないと思うのに、止められない。
「いい加減にしろよ。八つ当たりも大概にしろ。なんでお前はそうやって簡単に、俺を嫌いだとか好きにならないとか言うんだ。その度に俺がどんな想いでいると――」
言い返えそうとしたが、真っ赤な目をして睨む月子。その眼差しに言葉を失った。見たこともないほど傷つていたから。それは、今まで俺にひた隠しにしてきたものなのだろう――その時になってはじめて、俺の言った言葉がどれほど月子を傷つけていたのかを知った。それは俺が考えていたものよりも遥かに強く、深いものであること。痛ましいほどに無言で責める眼差しに、今度は別の意味で冷えていった。心臓が、痛い。
「私が聞いてないと思って本音がでたんでしょ」
「別にあれは本音じゃ……」
「私のことずっと疎ましく思っていたんでしょ? なのにどうしてこうやって絡んでくるの? もう私は子どもじゃない。父に何を頼まれたのか知らないけどほっといてよ。あなたには関係ない。私が誰と付き合おうが、とやかく言われる筋合いもない」
「ちょっと待て、関係ないとか、筋合いないとか、そんなこと言うなよ。俺は……」
「いい訳なんて聞きたくない」
「いい訳なんかじゃない。聞けって。……俺は、知ってたよ。お前が廊下で聞いていたことは知ってた。だから言ったんだ」
真相を話した方がいいと判断した。話せばわかってくれると。だが、
「――っ、何それ。わかってて言ったの? それならもっと悪いじゃない。私に聞かれてないから本音を言ったんだと思ってた。盗み聞きしちゃったから、責めることもできない。だから私は黙って我慢したのに。わかってて言ったなんて……なんで、」
「お前が俺を『好きにならない』なんて言うからだよ」
「いつ? 私がそんなこと言った?」
「言ったろ? 俺がそれを言うちょっと前に、視聴覚室で、クラスの女に俺のこと聞かれてたとき。俺はそれを聞いてたんだ」
「……でもあれは……」
「場を丸くおさめるため? それでも俺は許せなかった。どんな理由があるにせよ、俺を好きにならないなんて言ったこと。絶対に」
「何それ? どうして私が好きにならないと言ったぐらいで、そんなに怒られなきゃいけないの?」
「それは、」
「私がどんな思いをしたか……ひどいよ。許せない」
「だから俺の話を最後まで――」
「嫌だ」
――ああ……。
それは言葉のあやではなく、売り言葉に買い言葉でもない。正真正銘の「嫌」だった。それが一過性の、感情を爆発させただけの、時間が経過すれば消えていくものなのか、この先もずっと続くものかはわからない。ただ、この瞬間、月子は本気で俺を嫌がっていた。それだけは間違いなくて、
「大っキライ」
そう叫ぶと、逃げるように走り去る。追いかけなければ。そして、ちゃんと話をしなければ。そう思うのに、でも俺は、その後を追いかけることが出来なかった。まるで力が入らない。嫌われた。本気で。それは俺から全ての力を奪い去るのに充分すぎる出来事だったから。
2010/2/6
2010/2/16 加筆修正