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春待月 Side 月子 ―― 見えてきたもの  


――西垣はずっと優しかったでしょ?
 琴に言われてから、考えていた。央介のこと。
 授業中、気分が悪くなって、でも先生に言いだせずにいた時、気づいて保健室に連れて行ってくれたのは央介だった。日直当番でノートを運ぶように言われた時も、どこからかやってきて教室に戻るついでだからと持ってくれた。体育祭の借り物競走で「下駄」を持ってこなくちゃいけないのに見つからなくて、隣のクラスだったにも関わらず必死に探してくれたのも。そんなの氷山の一角で、思い出せばいくらでも溢れてくる。……それを全部「頼まれていたからやってただけ」と決めつけて、央介の優しさを嘘だと思った。自主的にしてくれたことじゃないなら意味ないと切り捨てた。たとえ頼まれていたことだったとして、彼がしてくれていたことが色褪せることなどなかったはずだ。何故、私は、あんなにもガッカリしたのだろう? 
 優しかった。ずっと優しかった。央介に嫌な思いをさせられたのはあの一件だけだ。それ以前はない。一度も。それは紛れもない真実で――でも私はそんな央介を信じなかった。
 蘇ってくるのは彼が私にしてくれていたことと、それに対してあまりにも横柄な私の態度。そんな私に、央介は一度も、感謝しろなんて言ったことはなかった。恩に着せることも。それどころか、気を使わさないように、わからないように、当たり前を装ってくれていた。なのに私は自分のことばかり。自分の気持ちを主張するばかりだった。私のためにいろいろとしてくれていた彼に、私は何かを返していた? ――考えても考えても情けないことに一つとして思い浮かばなかった。
 その日、結局、眠れず、翌朝、寝不足で家を出た。おかげで、いつも出る時刻より十分遅い。そのせいで、央介と玄関で鉢合わせた。
「――っ」
 咄嗟に避けてしまう。あからさまに。どんな顔をすればいいかわからなくて、いけないと思いながら逃げるようにして駅に向かった。
 私の態度を央介はどう思っただろう? ――避けられていい思いをする人間などいない。心臓がうるさいほど脈打った。
 駅に着くと結構な人がいた。早めに出るのは央介と一緒になるのを避けるためだけど、車両がすいていることも理由だった。事実、十分遅いだけなのに、私がいつも乗る電車よりかなり混雑していた。満員とまではいかないが七、八割ぐらいの混みようだ。電車に乗り込んで扉付近を確保できたのはラッキーだった。それにしても、不慣れでなんだか落ち着かない。
 三駅ほど通過した時だった。
――え?
 太ももに違和感。
――触られている? 
 わからない。ただ偶然に手が当たっているだけだともとれる。作為的な動きだと言いきれるものではない。背中に嫌な汗が流れる。そうでなくても睡眠不足で気分が優れないのだ。よりによってこんな時に。だが、その手は一向に離れない。動きは執拗さを増しているようにも感じる。
――……気持ち悪い。
 怖くて声なんか出せなかった。
 吐きそうだ。もうダメだ、次で降りよう。遅刻するかもしれないけど、そんなこと言ってられない。快速電車だから停車駅までまだ少し時間がかかる。それまでなんとか我慢して…そう思った。だけど唐突に太ももにあった違和感が消えた。かわりに包み込まれるような気配。何? 不思議に思って振りかえろうとした、その一瞬前に声が降ってきた。
「隣が女性専用車両だから。次の駅で降りて移動したらいい」
 聞きなれた声だった。
 いつのまに……混雑する中をきてくれたの? いや、それより、私の異変に気づいてくれたのが不思議だった。見ていてくれた? ――今朝、あんな風に避けた私のことを?
 今度はさっきとは違う緊張で体が動かなかった。お礼を言わなくちゃいけないのに、喉で詰まって出てこない。早く言わなくちゃと思えば思うほど反比例して体は固まっていった。そうこうしているうちに、電車の速度がゆっくりと落ちていき、完全に停止した。プシューっと独特の音を鳴らして扉が開く。軽く背中を押されて、降りていく人の波に混ざって私も降りる。慌てて振り返るが、私が予想していた人物はこちらに背中を向けて奥に入っていくところだった。だから顔をちゃんと確認できない。でも、そんなことせずとも、後ろ姿だけで、いや、本当は声だけで、誰だかわかっていた。
 「まもなく発車します」というアナウンスが流れたので慌てた。指示された通り、隣の女性専用車両に乗り込んだ。先ほどより多少混雑してはいたけど、安全な分ずっとましだ。ほっとしたら、涙が出そうになった。それは、さっきの恐怖が押し寄せてきたからではなくて、
――どうして、私は……。
 強い衝動が体を駆け巡る。考えれば、そうだ。あの一件の前だけじゃない。あの後もだ。私が彼を避けてから、一緒に行動することは極端に減ったし、言葉を交わすことも少なくなった。でも、私が困っていると絶対に助けてくれた。それも、絶妙なタイミングで。気にかけてくれていなければ出来ないことだ。押し付けがましくなく、ごく自然に手を差しのべる。それがいかに難しいか。深く考えなかった。それどころか「頼まれてるからまた優しくしてるだけだ」と、そんな優しさいならいらないとまで思った。斜に構えて、親切を親切とも思わなかった。
 今更になって私は、央介が私に向けてくれていたものを理解した。どれほど私が彼に甘やかされていたのか、そして、そのことを曇った目でしか見なかった自分の傲慢さも。




2010/2/7
2010/2/16 加筆修正

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