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春待月 Side 央介 ―― 激励    


 秋を主張する鱗雲が浮かんでいる。雲が風によって形を変えて流動する光景は人とも重なった。皆、移り変わって行く。同じままではいられない。己の小さな存在を思い知るには空を見るのがちょうどよかった。
 放課後、屋上で寝そべっていると、冷たいコンクリートに体温を奪われていく。だが心の冷たさの方が大きく気にならない。すぐに家に帰る気にはなれず、こうして時間を潰していた。
「頭を冷やすにしても寒すぎるんじゃない?」
「……新藤か」
 新藤琴。月子の親友だ。中学で出会って、二人はあっさりと仲良くなった。男の俺よりも、女の新藤の方が話があう。まして初めての女友達だ。嬉しくないわけがない。それはわかる。楽しそうな月子を見るのは好きだった。だが、同時に寂しさも覚えた。新藤が現れるまで月子にとって友人は俺だけだったのだ。月子の世界が広がっていくことを純粋に喜んでばかりはいられなかった。新藤は勘のいい女で、そんな俺の気持ちをいち早く察知した。その後、いろいろとからかわれもしたが悪い奴ではない。
 起き上がって胡坐をかきながら新藤の姿を目で追う。フェンスの近くまで歩いて行って、階下を見下ろす後姿。
「おい、あんまり端に行くなよ」
 声をかけると、こちらを振り向いた。
「落ちたりしないわよ。そんな間抜けじゃないし」
「だろーな」
 それから大きく伸びをした。ショートヘアの柔らかな茶色い髪が揺れる。
「……お前はいいな。俺も女に生まれたらよかった。そしたら、嫉妬や独占欲なんて感情抱かなかっただろう。あいつがどんな男と付き合おうが、結婚しようが、永遠に友だちという揺るぎないポジションを獲て、ずっと傍にいられた」
「友だちでも相手を傷つけることを言えば関係なんてすぐ崩れるわよ」 
「そうだな」
 正論というのは愚の根もでない。
「そんで、これからどうする気?」
 今度は俺が伸びをした。縮こまっていた筋肉が収縮する。心も同じように伸びが出来れば便利だろうに。
「どうするって何もしないよ。嫌われてるのにこれ以上近寄っても不愉快な思いをさせるだけだろう?」
「まぁそれはそうかもしれないけど……」
「何年でも待つよ。月子が話しかけてくれるまで」
「気の長い話ね」
 呆れた、とわざとらしくため息をついてみせた。
「それってさ……単に逃げてるだけじゃない?」
 逃げている。そう解釈されるならそうかもしれない。だが、他に何が出来る?
「これは月子の親友としてではなくて、西垣央介の悪友として言うわ。あなたはさ、自分の気持ちを伝えたことないじゃん。まともに思いを告げたこともなくてそれでいいわけ? 男なら、まわりくどいことせずに、正攻法で勝負したら? 本当に月子を好きだっていうなら、みっともない姿さらしてでもすがりつくぐらいのことしてみなさいよ。それぐらい許されるんじゃないの?」
「そんなの月子には迷惑だろ」
「だから、それが余計な考えだっていうのよ。相手の気持ちを考えることは大事なことだけど、あなたはそれを考えすぎなんだって。そうやって月子月子って、じゃあ、あなたの気持ちはどうするの? 誰が考えるの? 今回みたいな状況になったのはあなたが自分の気持ちをないがしろにしてきたからじゃないの? そうやって自分の気持ちを後回しにして、それが積りに積もって爆発したんでしょ? 小出しにしていればこんな状況にはなってなかったはずよ。別にさ、気持ちを伝えるのに相手のことを考える必要はないじゃん。相手を慮るばかることは思いやりかもしれないけど、思いやりだけじゃ人とは関係を結べないんだよ。我侭であることが人の心に響くことだってあるんだから」
「……」
「仮に、このまま、何も言わなかったとして、時の流れに身を任せても、同じことを繰り返すだけなんじゃないの?」
 最もだった。だけど……恐いと思う。目の前でもう一度拒絶されたらと考えると、二の足を踏む。そんな俺の臆病さを敏感に感じたのか、
「それに、これ以上嫌われることなんてないだろうし? 失うものなんてないんだから。何も戸惑う必要ないじゃん」
「お前、言うよなぁ」
「言わなきゃわかんない奴にはね。でも言ってもわからない奴には言わないよ」
 それだけ言うと、新藤は去っていった。一人残された屋上で、俺はもう一度寝転んで空を見上げた。鱗雲は消え去り、快晴広がっている。なんの邪魔もなく真っ青な空は清々しい。包み隠さない潔さは美しいものだ。
 新藤の言うことはわかる。結局今まで俺は、ちゃんと自分の気持ちを月子に告げたことがなかった。当たり前すぎて今更口にするのも恥ずかしかった――それは単なるいい訳で、もし月子が目の前で困った顔をしたらと思うと言えなかっただけかもしれない。否定されてしまったら、どうすればいいのかわからない。黙っていれば、永久に奪われない。単純に自分が傷つくことがおそろしくて言わなかった。それだけのことを、格好つけて、月子を気遣っていると言っているだけなのか。
 大きな深呼吸を一つした。冷たい秋風が体内に流れ込んでくる。
 素直になることができないまま終わらせるのは悔いを残す。それは間違いない。ただ、今までしてこなかったことをするには遅すぎるかもしれない。今更、それが許されるのかわからない。でも――帰ろう、帰って、月子に話そう。あれこれ考えず想ってきたことを告げる。聞いてもらえないかもしれないし、嫌がられるかもしれない。でも、これで最後にするから。遅すぎる告白を、十二年分の想いを伝えよう。それは俺にとって必要なことだと強く思った。
 上がってきたときより、少しだけ力強い足取りで降りる。途中で、携帯電話が震えた。見慣れない番号だ。それはCDショップからだった。「アジャッシュ」というバンドの新譜の発売日だったことを思い出した。特典がつくから予約申し込みしたのだ。それが届いた通知だ。楽しみにしていたのにすっかり忘れていた。せっかくだから、ショップに寄って受け取って帰ろう。それを聞いて、気持ちを高めようと思った。




2010/2/8
2010/2/16 加筆修正

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