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春待月 Side 月子 ―― 不吉の日々のはじまり    


 世の中には様々な人間がいる。その「様々」を私はこれまで理解していなかったと思う。類は友を呼ぶ。それほどまでにかけ離れた人間と出会うことがなかった。どこかしら共通点がある、狭い世界で生きてきたのだ。しかし、彼、水瀬瑛史は違った。まるで宇宙人みたいだ。「退屈だから」という理由で、人を振り回す人間がこの世にいるなんて。そんなことがまかり通るものなの? 目をつけられた――本人曰く、目をかけてやっている、らしい――人間はたまったものじゃない。そして今現在、その目をかけてもらっている人間は「私」ということになるのだが…。
 悪夢の本格的なはじまりは、公園で修羅場に遭遇した日曜日から六日経過した土曜日の昼だった。
 授業が終わって、帰り支度をしながら教室で琴と話をしていると携帯が震えた。始めはメールかと思った。だが、カバンの中で震動し続けているので電話なんだと慌てる。取り出したときには待ちくたびれたのか切れてしまっていた。着信相手を確認してみる。知らない十一桁の数字の羅列。登録した番号じゃない。いたずら電話? いや、もっと性質の悪い感じだ。番号を見た瞬間、悪寒が走った。これには出ない方がいい――虫の知らせ。シックスセンス。危機回避能力。そういったものがとにかく出るなと告げていた。
 少ししてまた着信がある。さっきの番号だ。掌で動く携帯を見つめる。やがて切れる。それからまた鳴る。今度はさっきよりも間隔を短くして。
「出ないの?」
 不思議そうな顔で琴が聞いてきた。
「……見たことない番号なの」
「誰かが携帯変えたとか?」
「普通それならメールで知らせてこない?」
「携帯会社が違うからアドレスわからないとか?」
 ありえなくはない。ただ、どうも嫌な予感がする。そうこうしている間に鳴らなくなった。六回ぐらい鳴っては切れてを繰り返していたが諦めたのだろう。もし知り合いなら悪いことをした。知り合いじゃないなら出なくて良かった。そして後者であるだろうと根拠はないが思った。こういう時の私の勘は結構当たるから。
「じゃあ、私、部活いくから」
 琴は美術部員だ。近くにコンクールを控えていて今作品の追い込みだった。
「うん、頑張ってね」
 見送った後、私も教室を出た。今日は央介の母親の十三回忌の法事だ。早く帰らなくちゃいけない。授業が終わってすぐに学校を出るのがベストだけど、そうすると帰りの電車で央介と一緒になってしまう。それは気まずくなりそうで避けたのだ。
 正門に向かう渡り廊下を歩いていると運動部の掛け声が聞えた。グランドでは陸上部とサッカー部とラグビー部が練習を始めている。高校生にもなると体格もしっかりしていて青年という言葉が似合う人も多い。まして、運動部に所属している人はガッシリとしているから余計に「男の人」だな――って何考えてるんだ。なんだかここのところ「異性」を意識している自分がいる。今まで当たり前に話していたクラスメイトともなんだかうまく話せなくて避けてしまうのだ。それもこれも央介のせいだった。先々週の金曜日。コンパから帰宅すると珍しく央介がリビングにいた。缶ビールがテーブルに置かれていた。お酒は強くないはずだ。酔ってるのかと心配になったが、意外と普通で安心した。でも、
――キス、されそうになった。
 思い出しただけでも悲鳴があがりそうだ。頬に手を当てると熱い。恥ずかしい。たまらなかった。あれからまともに央介の顔を見れない。あっちは全く気にしていないのか態度が変わってないけど。だから深い意味はないんだろうな、と、思う。実際、本当にキスされたわけじゃなく、キスされそうになっただけだし。それでも私は央介を意識してしまっていた。
――あんな風に誰とでもするんだろうか。
 冗談でキス(未遂だけど)出来る。央介もう私の知ってる西垣央介ではないんだ。したくなったときに、傍にいる女の子と、する。そうなのだろうか? 無性に胸が苦しくなる。もやもやとした感情が広がっていく。それは感じたことのない不快さで、この感情は……。
「おい、相葉月子!」
「……――っ」
 大きな声で名前を呼ばれて振り返る。正門のすぐ傍――私が考え事をして通り過ぎてしまった場所――で、私を睨みつける男。
「水瀬…何してんの?」
「何してんのじゃねーよ。何度も呼んだんだぞ。つーかなんで携帯でないんだよ」
「携帯? さっきの怪しい着信、あなたなの?」
「誰が怪しいんだよ。相変わらず失礼な女だな」
 ダメだ、今、この男の相手をしている余裕はない。放っておこう。そう決めて、再び駅へ向かって歩き出す。「おい」と呼び止められても知らない。関わり合いたくない。だが水瀬は追いかけて、私の前に立ちふさがった。
「何? 私、急いでるんだけど?」
「そんなの知らないし。俺はお前を待ってたんだから付き合え」
「……どうして?」
「俺の彼女だから」
「それは、あなたが困ってたから協力しただけでしょ?」
「その後、お前と本当に付き合うって言ったろ?」
「私は納得してない」
「お前が納得しようがしなかろうが、俺は決めたとも言った」
 なんなのだろう。傍若無人な台詞を顔色一つ変えずに当然のごとく言ってのけるこの男は。理解できずに言葉を失うしかない。周りでは下校中の学生が私たちを興味深げに追い越していく。明らかに悪目立ちしている。
「急いでいるので……」
 立ちはだかる水瀬の右を通り抜けようとするが、
「逃げられると思ってんの?」
「……別に私のこと好きでも何でもないでしょ?」
「好きではないけど、気に入ってはいるぜ。ちょうど女と別れて暇だし。退屈しのぎにちょうどいい。お前だって別に付き合ってる奴いないだろ?」
 付き合うってそういうことなの? 暇だとか退屈だとかそういうことで付き合うの?
「ごめん、あなたと話しているとだんだんわけがわからなくなってくる」
「じゃあ、もういいじゃん。このまま付き合えば。つーか、お前に断る拒否権なんてないだろう? 秘密、握ってるわけだしな」
 ニヤリとまた人の悪い顔をして笑う。実に楽しそうだ。この男を説得できる気がしない。ここは大人しく従って、水瀬がこんなつまらないお遊びに飽きるまで我慢する方が賢いのかもしれない。どうせ、こんなことすぐに飽きるに決まっている。
「わかった」
 やけっぱちに答えると、水瀬は満足気な顔をした。そして私はこの日から、水瀬の彼女――という名の下僕――生活がはじまった。




2010/2/2
2010/2/16 加筆修正

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