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5 最後の舞踏会へ    


 カヤと過ごす日々はあっという間に過ぎて行った。
 毎夜欠かさず舞踏会へ出席しているから、俺たちはすっかり有名なカップルとなった。嘲笑の眼差しを向けていた人間も、近頃ではにこやかに挨拶してくる。不思議だった。人間は環境に適応する生き物だと聞くが、見慣れると平気になるみたいだ。「お似合いですね」などと言われることもある。最初は嫌味なのかと思ったが違うらしい。実に好意的な意味だ。わからない。どうしてそんなことを言うのか。こんな醜い男と「似合い」など言われて、さすがのカヤも怒るだろうと思ったが嬉しそうな顔をするし。「ありがとうございます」と微笑むのだ。信じられない。やはりおかしな女だと思う。だが、喜んでいるカヤを見ると悪い気はしなかった。なんなのだろうか、この気持ちは。
 そして、いよいよ約束の二週間が終わろうとしている。
「どうしたんですか? 今日はなんだか浮かない顔してますね」
 マスターが言った。浮かない顔? 一昨日ぐらいから気持ちが滅入っているのは事実だったが……傍目に見てもわかるほど落ち込んでいるのか。俺は思わず頬に手を当てた。
「ここのところずっと楽しそうでしたのに。例のゲームで何かあったんですか?」
「……ゲーム」
 カヤとのことを言っているのだろう。
「あのゲームは今日で最終日なんだ」
「うまくいきましたか?」
「うまく……」
「ギャフンといわせたい人間がいるとかおっしゃってましたよね。成功したのですか?」
「いや……」
 俺を袖にしたカヤに一泡吹かせる計画は全く達成されていない。カヤはちっとも動じないのだ。結局本日に到るまで俺の目的は果たせずにいた。このまま終わってしまう。だから憂えていて、それが表情にまで出ているのか。だとしたら重症だ。俺はため息をついた。そして、自分を慰める。まぁ、そんなこともある。相性がよくなかった。悪魔にだって失敗はある。潔く諦めるのも美学だ。そう繰り返す。
「そうですか。うまくいかないのは残念ですね」
 慰めの言葉を聞きながら、俺の胸は軋んだ。
 今日で終わりだと思えば思うほど言いようのない感情が胸の中に広がっていく。俺はこんなにも負けず嫌いだったろうか。どちらかといえば飽き性だと思っていたのに……。
 黙った俺に、マスターは柔らかな声で言った。
「それは期日を延長することは出来ないのですか?」
「え?」
「どうしても今日までじゃないといけないものなのですか? そうでないなら、延長戦に持ち込めばいいのではないかと」
「――そう、か」
 まったくどうして考え付かなかったのか。言われたとおり二週間でやめてしまう必要などないのだ。今後も続けるという選択がある。カヤをぎゃふんと言わせるまで、延長すればいいのだ。今日で絶対に終わらなければならないなんてことない。マスターの提案に俺の心は一挙に軽くなった。嘘みたいに。
「そうだな。俺が勝つまで続けてやる」
「では、勝利を祈って」
 マスターはオリジナルカクテルを出してくれた。透明な桃色のカクテルで名は「淡い恋心」だ。何故こんな名前のカクテルを勝利祈願に出したのかわからない。尋ねようとすると、タイミング悪く、他の常連客に呼ばれてそちらへ行ってしまった。仕方なく口に含む。甘酸っぱい味が広がった。

 一人になってから、期限延長をどう申し込めばいいか考えていると約束の時間がやってきた。カヤの家に向かう。魔界から人間界に出るまではたいして時間はかからないが、人間界に出てからは意外と大変だ。誓約があるから、あからさまに翼を使うことが許されない。人間界に繋がる場所はいくつか用意されているが、カヤの家からもっとも近い魔法陣をぐぐりぬけても、そこから三十分はかかる。魔界を出るのが遅れたせいで時間ギリギリだ。慌てた。
 どうにか約束の時間に到着し、息を整えてドアをノックした。「俺だ」と告げると「今開けるわ」と返ってくる。もうすっかり慣れた光景だ。しばらくしてカヤが扉を開けてくれた。
「――っ」
 驚いた。立っていたのは間違いなくカヤだったが……いつもの地味な格好とは違う。深い緑のドレスだ。けして派手ではないが、シックな雰囲気がカヤに似合っていた。こんなドレスを持っていたのか。
「どうしたんだ、そのドレス」
「作ったのよ。初めて自分のために作ったんだけど、なんだか恥ずかしいわ」
 それは俺が前に言ったからか? 明るい色のドレスを着れば見れるようになると告げたことがあった。その言葉に従ったのだろうか。
「一体どういう風の吹き回しだ」
「今日が約束の二週間目よ。私が舞踏会に出るのもおしまい。だから最後ぐらいと思って……」
 俺との名残を惜しんでいるということなのか。可愛いところ、あるじゃないか。
「そんなにおかしいかしら?」
「おかしくなんてない」
「そう? 顔が笑っているけれど……」
 言われて初めて、自分の頬が緩んでいることに気がついた。カヤは少しだけ不愉快そうだった。自分が笑われていると解釈しているらしい。違うのに。
「まぁ、いいわ。行きましょう」
「待て」
 そっとそのメガネをとってやる。
「何?」
「なんの取引もなく力は使わないんだが。今日は特別だ」
 カヤの目に手をかざす。
「どうだ?」
「……見える」
「今日一日だけだがな」
 カヤはじっと俺の顔を見ていた。穴が開くんじゃないかと思うほど。そして穏やかな笑みを浮かべて、そっと俺の鼻に唇を落とた。――なんなんだ。こんな醜い顔にキスするなんて。ありえない。
「ありがとう。さぁ、行きましょう」
 顔が熱い。一方でカヤは堂々としたものだ。どうして平気なのだ。今、俺にキスしたんだぞ。どうかしている。この女、やっぱり変だ。
「どうしたの?」
「どうもこうもない。キ、キスするなんて……」
「挨拶みたいなものでしょう? キスぐらい、あなたは沢山してるんじゃないの」
「そ、それはそうだが……」
 言われてみればそうだ。お礼にキスをした。そんなことよくある話で。だけど、
「それとも、私にキスされるのが嫌だった?」
「違う。そうじゃなくて……」
 自分でもビックリするほど大きな声が出た。何故そんなにムキになっているのか。そして何を言おうしているのか。心が張り裂けそうだ。息苦しい。俺の態度にカヤは不思議そうな顔をしていたが、時計に目をやると慌てて、
「遅れちゃうわ、行きましょう」
 同時に、俺も我に変える。そうだ、舞踏会に行かなければならない。だから、それ以上考えることをやめてカヤの言葉に従った。




2010/2/28

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