6 カヤの事情
本日の舞踏会はスチュアート卿の屋敷で行われる。これまで出席した夜会とは比べ物にならない規模だ。最後を飾るにしてはいい舞台だと思う。だが、これだけ格式の高い夜会の招待状をどうやって手に入れたのか。そもそも「二週間」の意味は何なのか。改めてみると俺はカヤのことをよく知らない。屋敷に向かいながら尋ねた。
「妹がね、くるの」
「妹? 三年前に嫁いだという?」
「そう。妹はロシフォール卿の次男・ライリーさんに見初められて結婚した。今は都市に住んでいるわ。今回ロシフォール卿の末の娘が隣国に嫁ぐことになってそれに出席することになったの。道中が遠いから、一日だけこの町に滞在するのよ。その歓迎にスチュアート卿が夜会を催すことになったの」
「ふーん。そうか。それで妹から招待されたというわけか」
「ええ。妹は私のことを心配しているの。自分が先に嫁いだことも気にしているわ」
「だから恋人がいると思わせて安心させてやるつもりか? でもどうして二週間も恋人役が必要なのだ? それなら一日振りをしてくれる人で充分じゃないか」
「ダメよ。妹は聡い子なの。きっと周囲に本当かどうか確認するわ」
「なるほど。それで、あちこちの夜会に出まくって噂になったというわけか。……しかし、俺のような男が恋人だとわかれば余計に心配するんじゃないのか?」
「私の選んだ人なら納得してくれるわ」
カヤは妹のことを信頼しているし、妹もカヤのことを信頼している。短い会話の端々から伝わってくる。俺は面白くなかった。カヤが人のことを良く言うのは気分が悪い。まして、大切に愛しく思っているのなら尚更ムカムカした。
屋敷に着くとすでに大勢の人間がいた。俺を最初に見た者は相変わらず眉をしかめたり、バカにした眼差しを送ってきたりする。だがあからさまに蔑まれるようなことはなかった。この二週間のうちにすっかり顔なじみになった連中も結構な数いたからだ。彼らは友好的に接してくれた。印象づけるために毎日出向いた成果が、思いも寄らない味方をつくっていた。
「お姉さま」
ホールに入って間もなく、黄色い声が聞こえた。カヤに近寄ってきて抱きつく女。これが妹。――驚いた。ひどく美しい。カヤとこの女が姉妹だなんて、聞かされても納得できない。金持ちの男に見初められたというからどんなものかと思えば、これならばわかる。同じ血なのにここまで違うものなのか。なんて美しい女なのだ。
カヤは優しげに妹の頬を撫でていた。それはカヤの癖だ。俺も何度かされた。どうしてそうするのか一度尋ねたことがあった。だが本人は無意識らしい。それから俺はカヤがその仕草をする時を注意深く見ていた。おそらく嬉しいときにする行為なのだ。俺はその仕草を気に入っていた。カヤに撫でられると気持ちがいいから。だが今はその光景にイライラする。
「会いたかったわ」
妹は甘えたように言った。仲睦まじい姉妹の再会。だが俺の気分は悪くなっていく。悪魔に感動な場面など不要だからだろう。
「私もよ」
「嘘よ。だったらどうして遊びに来てくれなかったの? 何度も屋敷に招待したのに!」
「ごめんなさい。仕立ての仕事が詰まっていて……みんなが待っているわ。投げ出すわけにはいかなかったの」
「もう! 昔からそうなんだから。お姉さまの腕は一流だけど、そうやって根を詰めて仕立物ばかりするから視力もどんどん悪くなって……そういえばお姉さまメガネはどうなさったの?」
「あ、ええ……」
そこでようやくカヤは俺を思い出したように視線を送ってきた。遅い。
「彼が傍についていてくれるから」
そっと俺の腕に手をおいて妹に紹介した。仕立てものをする指先は傷がありテーピングが巻かれている。妹の美しい指先とは対照的だ。
だが、カヤの指先は美しいドレスを紡ぎだす。
「ああ、この人が手紙に書いてあったお姉さまの恋人ね。初めまして」
美しく整った顔を綻ばせる。可憐な笑顔だ。
「……」
「お姉さまから話を伺って本当に嬉しかったんです。どうぞこれからもお姉さまのことをよろしくお願いします」
「……」
「ごめんなさい。彼は照れ屋で。あなたの美しい笑顔に見惚れちゃったのね」
しゃべらない俺をカヤがフォローしたが別に見惚れてるわけじゃない。誤解だ。どうしてそんなことを言うのだ。そんな女に緊張したりしない。
「ふふ。でもよかった。奥手なお姉さまの初めての恋人と聞いてプレイボーイの遊び人にでも引っかかってたらどうしようって心配してたの。けど、真面目そうな人で本当に安心したわ」
「大丈夫よ。プレイボーイは私のような女を相手にはしないし」
「またそうやって自分を卑下する。もっと自信を持って? そのドレスだってとても素敵よ」
「……ありがとう」
「彼のために綺麗になろうと努力してるのね?」
「ええ。彼と一緒にいると楽しい。私にはとても必要な人なの。だから、あなたも私のことはもう心配しないでね」
―……。
「ちょっと待ってて、ライリーを呼んでくるから」
妹は人ごみに消えていった。
「美しいでしょう? 自慢の妹なの。あなたの好みでしょうけどダメよ。あの子は人妻なんだから」
カヤは釘をさしてきた。本気で俺が見惚れていたと思っているらしい。確かに俺は美しい者を愛しているし、妹は俺が今まで見た中でも相当に美しい部類に入る。だからそう止めておきたくなる気持ちは分かる。だが手なんて出さない。カヤは焼きもちを妬いているのかもしれない。バカだなと思う。そんな心配しなくてもいいのに。
「ちょっかいなんて出さない」
「そう? そんな満面の笑みで言われても信用できないけどね」
カヤは素っ気無かった。笑み? 俺は笑っているのか? 頬をさすってみると確かに口元がニヤけている。変だな。本当に手なんてださない。どうやったら証明できるのだろうか。そんなことを考えていると妹が戻ってきた。傍には男がいる。
「やぁ、カヤさんお久しぶりです」
「お久しぶりですライリーさん。お元気そうで」
カヤは笑っていた。ライリー。なるほど、これが妹の旦那か。なかなかの美男子だ。
「こちらが?」
次に男は俺を見た。――
一瞬、戸惑った顔をした。だがすぐににこやかな顔で手を差し伸べてくる。俺はそれを軽く握ったがすぐ離された。
「カヤさんに恋人が出来たとお聞きしてお会いするのを楽しみにしていたのですよ」
「それはどうも」
「どうぞ、楽しんでらしてくださいね」
それから二、三会話を交わすと、ライリーは妹を連れて去って行った。他にも挨拶に出向かなければならないから、という理由で。だがおそらく俺と一緒にいるところを他の人間に見られたくないのだろう。妹を安心させるために俺に恋人役を頼んだ。その目的は果たせたが、妹の旦那にはバカにされた。プラスマイナスゼロと言ったところか。そう思ってカヤをみたが。
――っ
カヤは、二人の後ろ姿を――正確にはライリーの姿を目で追っていた。
その眼差しは、まるで……。
「さて、これで目的は達成したわ。帰りましょうか」
振り返ったカヤの顔は寂しそうだった。
2010/2/28