密約 01
奥澤の当主であり、朱乃の父親である奥澤弥一に、朱乃を妻に望んでいると申し出た。
「入江様のご子息のお呼び出し、てっきりお仕事の話かと思いましたが、どうやらプライベートなことのようですな」
完全な、ではないが。入江と奥澤の結びつきを強固にするための結婚でもあるのだ。そうは思ったがあからさまな政略結婚というのも聞こえが良くない。先方がそう言うのなら従う方が賢明だろうとうなずいた。すると弥一は、傍に控えていた男たちに下がるように命じた。
「――っ」
そのうちの一人、長身で、感情の全く読めない不気味な男が、出ていく瞬間、ほんの一瞬、パッと燃え上がるような殺気をこちらに向けた。
「申し訳ない。あやつもまだ若くていけませんな」
弥一は何故か楽しげだった。
「彼は?」
「向井陽芽と申します」
向井陽芽――弥一の後継者として最も有力とされている男の名だ。それがさっきの……確かに眼光の鋭さは震えくるほど冷たかった。だが、雇い主である入江の人間にあんな物騒な眼差しをむけるなんてどう考えても不自然だし、いかがなものかと。奥澤家歴代の中でも相当の実力者だと謳われているが大したことないのかもしれない。
そんな私の思考を読んだらしく、弥一は得体のしれぬ笑みを浮かべながら告げた。
「実はあれも朱乃に惚れておりましてな」
「なるほど」
先ほどの威嚇は恋する男の嫉妬なのか。
「それで今まで朱乃さんの見合話、すべてお受けにならなかったのですか?」
奥澤との政略結婚を望む者は多い。見合はあまたも舞い込むはずだが、弥一はそのどれも断っている。よほど娘が可愛いのか、選びに選びぬいているのだろうと思っていた。
「相手がすでに決まっていたのなら、私も無粋な真似をしました」
「いいえ……陽芽は、自分の気持ちに気付いておりませんので」
「は?」
「さっきのあれも無意識なのです」
弥一の話はこうだ。朱乃は陽芽を長年想ってきたし、陽芽もまた朱乃を想っている。傍目にはそれがわかるのだが、肝心の陽芽は恋愛ごとに酷く鈍く、己の気持ちに全く無自覚。それどころか朱乃のことを避けている。それ故、朱乃も脈なしと思いながら、気持ちを整理することも出来ず現在にいたる。
弥一は二人がうまくいけばそれはそれで祝福するつもりだったが、自分の気持ちもわからないような男に自らすすんで大事な娘をくれてやる気はない。だから、これまで待ったが、さすがにこれ以上、見合話を断り続けるのも不可能になってきた。奥澤の家に生まれたからには朱乃も覚悟は出来ているだろう。だが、それでも、好いた男の元へ嫁がせてやりたい親心がある。だからここら辺で、最後の勝負にでることにした、と。
「あなたとの婚約を知ってそれでもまだ陽芽が動かなければ、そのままあなたの元へ嫁がせましょう」
「……また随分な申し出ですね。それは、私にもメリットがあるのですか?」
「無論。あなたが勝てば朱乃が手に入りますし、負けても陽芽に貸しが出来ます。この貸しは大きいですよ。入江家とっても悪い話ではないでしょう。あなたならこのお話、飲んでくださると思ったのですが」
「確かに……」
そして、私と弥一のひそやかな密約が成立した。
2009/9/15
2010/2/21 加筆修正