君なくて、番外編 【密約】 > 01 / 02 / 03 > novel index
密約 02

 先代、弥一が急死した後、朱乃との婚儀を薦めてきたのは他でもない、陽芽自身だった。
 まだ年若い陽芽にとって後ろ盾は多ければ多い方がいい。婚儀をまとめて入江とのパイプを強めることが己の利になる。そう考えたのだろう。陽芽は権力を選んだのだ。
 哀れなのは朱乃だ。好いた男に別の男との縁談を薦められる。彼女の心を思うとやるせない。ただ、それでも彼女はこの婚儀を受けた。朱乃の陽芽に対する思慕の強さなのだろう。少しでも役に立つなら、それで陽芽に敵対する者が少しでもいなくなるのなら――想う相手が傍にいるのに報われることがない恋心。それをこんな形で成就させようとする。いじらしいと思う。
 こうなったからには彼女の暮らしは保障する。愛する人が手に入らない、そんな共通点をもって、私たちは結ばれ、ゆっくりと絆を築いていく。
 だが、自らが切りだしてきた話のわりに、陽芽の態度は不可解だった。
 朱乃と交流を持とうとしても、なかなか会わせてもらえない。最初は朱乃自身が拒んでいるのかと思ったが、よくよく話を聞いてみると、私の誘いを知らないという。耳に入る前に陽芽のところで情報が遮断されている。なんの嫌がらせなのか。
 それから直接本人に連絡をとりつけるようにした。陽芽が文句をつけてくることはなかったが不服そうだった。
 その後、私と会うときは陽芽への事前事後報告を義務付けられていると聞いた。朱乃は陽芽のその異様な行動を、「自分が何か問題を起こし婚儀が立ち消えになることを危惧しているためだ」と解釈しているようだが違う。もっと単純に、私と会わせたくないのだ。朱乃のことが気になって仕方ない。朱乃の気持ちが私に傾くことが。確実に変化していく現実に困惑しているのだ。それも無意識だから始末が悪い。鈍い男というのはいるものだ。ここまでくると呆れるというよりも面白い。
 陽芽の嫉妬心が決定的になったのは、祖父のパーティでの一幕だった。
 朱乃と二人で出た祖父の誕生日会。奥澤の当主として陽芽も出席していた。最初こちらに一瞥をよこしたのを気付かぬふりをしてやり過ごす。
「せっかく来ていただいても私のこの足では踊れませんので、退屈でしょう」
 青いドレスに身を包む朱乃はひときわ美しい。私が選んだドレスだった。本来なら、陽芽に連れ添われてくるべきだろう。だが今朝早くから朱乃を迎えに行き、こちらで支度を整えた。陽芽はまだ私と朱乃が一緒にいる姿を見ていない。仲睦まじいところを見せつけたらどんな反応をするか。それを見たかった。だからあえて不躾な真似をしたのだ。
「そんな、私もあまりダンスは得意ではないですし……それより足は大丈夫ですか。座ります?」
「いいえ、ただ、少し肩を貸していただいていいですか」
 ひどい痛みがあるわけではなかった。目的は別だ。この位置関係からなら、陽芽には抱きよせているように映る。瞬間、切りつけるような悪寒が走る。わかりやすいというか、よく見ている。思わず笑みが零れると、
「どうかされましたか?」
「本能は正直だなと思いましてね」
「え?」
「彼が――」
 言いながら、こちらに歩いてきているはずの男を振り返るべく、朱乃の腰を抱いたまま態勢を変える。予想外に近い距離まで来ていた男が視界に入った。随分と不機嫌そうだ。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
 今気付きましたといわんばかりに言ってやると、陽芽は口元だけで笑った。
「ええ。お二人とも?」
 傍にいる朱乃の体が硬直していくのがわかった。緊張――それはまだ陽芽を意識していることを意味している。先代が二人は魅かれあっているのだと言っていたが、確かに、傍目にはわかりやすいほどわかる。
「せっかくパーティですが、私のこの足では踊れませんから。朱乃さんには退屈をさせてしまって申し訳ないと言っていたところなんですよ」
「ならば、私がお相手させていただいても?」
 言うや否やこちらの返答を待つまでもなくかっさらうようにして朱乃を連れ去って行く。それはまるで囚われの姫君を連れ出す騎士のようで。
――さしずめ私は悪の王か。
 先代との密約がまだ終わっていないらしい。
 ようやく動き出した男の本能が今後どうなっていくか。朱乃を奪い返すだけの度量があるのか。見届ける義務がある。
 フロアで踊る陽芽と朱乃は一際目を惹く。誰が見ても似合いのカップルだ。どうしてこうもスムースに話が進まないのか不思議なほど。まったく恋愛とはわからないものだ。ただ、最終的に私はとんだピエロになりそうだなぁと、そんな予感に苦笑を禁じえなかった。




2009/9/23
2010/2/21 加筆修正

  

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