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恋でないなら 不遇な身の上 14
「玖柳に茶を淹れてもらうとは思わなかった」
先に住屋に戻り片づけの前に一服と出せば、惟哉は驚き半分、からかい半分で言った。
二人は幼き頃――玖柳が五歳で藤重の門下に入った頃からの付き合いで、年は同じだが三歳から剣術を始めた惟哉は玖柳の兄弟子となる。
早瀬では男児として生まれれば武術を習わせるのがしきたり。一つは心身の鍛錬のため、もう一つは人の上に立つ身である以上、権威を持つ。さすれば人の性として乱用したくなる。いかに自制するか。それを学ばせるためである。武術の道では人は等しく、身分や家柄は関係ない。門下に入り"下っ端"から稽古をつけていく。初めから当然のものと得た権力ではなく、己の力で強くなっていく。その過程で感じ学ぶことが多いだろうとの考えである。
しかし、そうは言ってもやはり玖柳は"早瀬家の跡取り"だ。理屈と現実は異にする。周囲の者たちは気を配るし、親の入れ知恵か年嵩もいかぬ子どもでも媚びたり、おべっかを使ったりする者もいる。"力"というものはそれほど強靭で厄介な代物だった。
だが惟哉は違った。それは父の影響で物心つく前より剣術を始め、真摯に向き合ってきたというのもあるが、己の出自も関係している。惟哉の血筋はさほどよくはない。父・藤重は早瀬当主の懐刀と呼ばれる重鎮であったが、当主が早瀬の養子となる以前からの関わりであった。当時から信頼に足る人物と頼りにしており、婿に入ると決まった時、引き立ててきたのである。博学で文武に長けた藤重は期待通り才覚は露わにし、否、期待以上の働きをした。今では早瀬にとってなくてはならない人物である。ところが、それを快く思わぬ者がいる。身分の低い家柄の者が幅をきかせることが面白くなく、しかし実力では敵わないとなれば、嫌味や陰口、そして妬みはついに息子である惟哉へと向けられる。
幼いということは"経験がない"ということである。したことがないことをすれば失敗する。初めからうまくいくことはまずない。だが未熟な振舞いをすれば、それをひそひそと笑いながら"お里が知れますね"と言われてしまう。出自が低いから、かような振舞いも出来ぬのでしょう、と。理不尽に馬鹿にされ笑い者となることがしばしばあった。年端のいかぬ子どもが懸命に行ったことを誉めてやるならまだしも、上手く出来ぬからと嘲るとはそちらの方が余程"お里が知れる"というもの。やがて惟哉は身分、家柄というものを嫌悪するようになっていった。
そこへ玖柳の登場だ。早瀬の跡取り――すなわち南の地で最も高い身分であり家柄である。ろくなものではないだろうと思い、挨拶こそはするが最初は近づかなかった。玖柳とちやほやする取り巻きと距離を置き呆れて見ていたのだ。
それが一変したのは、玖柳が入門して三月ほどが経過した頃である。
稽古が終わり道場の掃除当番として玖柳と惟哉が残ることになった。道場の掃除は二人一組でするのが決まりだが、まだ幼い二人は年上の者と組むのが通例。しかし、その日、藤重は二人にするよう命じたのである。
一体どういうつもりでそのようなことを言うのか。惟哉は不可思議に思いながら、逆らうことも出来ず、早いところ終わらせてしまおうと取り掛かることにした。しかし、玖柳は動かない。一体どうしたのかと問えば、掃除の仕方がわからないと返される。
「これまで当番はいかがされていたのですか」
惟哉は更に問う。さすれば、
「何もせずともよいと言われました」
玖柳はさらりと返す。
「は?」
しかし言われた惟哉は一瞬理解できず妙な声が出た。それから、
「なんですかそれは。何もせずともよいと言われ、本当に何もせずにいたのですか」
徐々に興奮し始めた。武術を習う者であれば、道場の掃除をするのは当然である。自分が世話になっている場所に敬意を込めるものだ。それをしていなかった――己の身分を笠に着せて楽をしていたのだと解釈したからであったが。
「されど、兄弟子の言うことは聞くものだと教えられました」
続いた玖柳の言葉に今度は目が点となる。
片や対峙する玖柳は変わらず淡々とした調子だ。問われたことに素直に偽りなく応えている。濁りのない眼差しが証明していた。膨れ上がる禍々しき思いを解毒させるには十分であった。さすれば惟哉はどうしてよいかわからなくなる。
玖柳は"何もせずともよい"と媚びを売ってくる者の発言を、自分が早瀬の跡取りであるから気を使われているとは考えてはおらず、兄弟子が何もするなと言うのだから何もしてはいけないのだと思い従っていたと言うのである。取り巻きたちの意図はまったく伝わっていないし、意味もなかったと。
「あなたは馬鹿なのですか」
思わず洩れた呟きだが、それには玖柳は眉を寄せる。
「馬鹿と言う者が馬鹿です」
真顔で返され、ついに惟哉は声を上げて笑った。
それが二人がまともに会話らしい会話をした初めてであった。
どうやら玖柳は惟哉がこれまで出会ってきた身分や家柄を鼻にかける者とは違うらしい。良く言えば純粋・無垢であり、悪く言えば世間知らず。惟哉は玖柳を"面白い"と感じた。
一方で玖柳もまた、年の近い者と触れ合ったことはなく、目上の者に愛でられて、また早瀬の後継者として甘やかされてきたこともあり、対等に物を言ってくる惟哉は不思議な存在であった。
そして、二人は気の置けない間柄となっていくのだが――。
「誰も淹れてはくれぬからな」
惟哉の軽口に玖柳もまた軽口で返す。さすれば惟哉は浮かべていた笑みを引っ込める。
「苦労したのだな」
「よしてくれ。いつだって私を甘ったれの御子息だと揶揄っていたお前にそんなこと言われると気味が悪い」
「今は揶揄っていない」
今は――という言葉に玖柳は苦い笑みを浮かべた。
早瀬にいた頃、仲良くしていた二人であったが、時折、惟哉は説教じみたことを玖柳に告げることがあった。大抵軽口という体をとって言われていたし、また己を立派であると信じていた玖柳はその言葉を真剣に受け止めることはなかったが。あの頃、もう少し真面目な気持ちで受けとめていれば、といくばくかの後悔が過るが言っても仕方のないことである。それよりも、馬の耳に念仏のごとき自分を見捨てることなく――時にぶつかり喧嘩をすることはあったが――友として傍にい続けてくれた惟哉の懐の深さを思う。自分がいかに井の中の蛙であったか。崎宮に来なければわからなかったことである。何事も悪い面ばかりではないというのは本当である、と玖柳は実感していた。
「しかし、よかった。お前が早瀬に戻れることになって、本当によかった」
しみじみと洩れでる惟哉の言葉。"よかった"という一言が玖柳の内に流れ込む。
突然知らされた弟の死を前にどう受け止めればよいのか困惑していた。早瀬に帰れる。窮屈で頼りない崎宮での暮らしが終わる。確かに玖柳にとって有難いことではあったが、"弟の死"という事実によってもたらされたそれを喜ぶのは心苦しい。人の不幸の上に自分の幸せがあると、否、結果としてそうなったというだけで、玖柳が弟の死の原因を作ったわけではないのだが理屈ではなく後ろめたさを感じた。善きことより憂いに心は偏る。落ち着かぬ心持ちであったが。しかし、惟哉は"よかった"と。弟の不幸という現実には触れず、ただひたすらに玖柳の身を喜ぶ強さが存在した。悲しみは悲しみ、喜びは喜び、悲しみがあるから喜んではいけないということなどない。しかし、そこへ自力でたどり着くことが出来ずにいた玖柳は、惟哉の言葉に救われる思いがした。
――早瀬に戻れるのだ。
噛み締めるように胸中で繰り返す。
戻っても以前通りというわけにもいくまい。変わらずいること、変わってしまったこと、そして変わっていくこと、変えていくこと。早瀬という家の持つ強大な力の凄まじさと、己の脆さを知った玖柳は、再び早瀬の跡取りとなったことを手放しに歓迎していいとはもう思えなかったが。それでも家に戻れることは嬉しい。見通しのない未来に光が差し込んできたような、明るく照らされた一面もある。そこに、もっと意識を集中してもよいのかもしれない。誰に遠慮することなく素直に喜んでも。
「ああ、心配をかけたな」
手短に返せば、惟哉は込められた思いを丁重に受けとめるように深くうなずいた。思いもよらず辛い日々を過ごすことになったが、それも終わる。よかったと。そのことを無言の空気に込めて互いにうなずき合った。
だが、次の瞬間には惟哉はガラリと声音を変える。
「では、片付け始めるか。父上がこちらへ来る前に少しは進めておかねばな。何をしていたかと咎められては敵わない」
言って、玖柳の淹れた茶を一息に飲み干すと立ち上がり、どれを持って帰りどれを置いていくのだと問うてくる。玖柳はもう少し再会に浸ってもよいのではないかと思うが、このさっぱりとした気質が惟哉の良さでもあると思い直し同じく立ち上がった。
何せ、明日にはこちらを発たねばならない。立つ鳥跡を濁さずと言う。世話になった住屋を綺麗に掃除して出ていくのが礼儀と考える。ならば、ぼやぼやしてはいられぬのだ。
「まずは押し入れから荷を出そう」
玖柳の言葉に惟哉は従い二人して押し入れから荷を引っ張り出し始める。
ちょうど先月夏の着物が送られてきたばかりで、真新しく袖を通していないものが大量にある。それから、冬の着物と、読み終えた書物と、手当たりしだい無作法に入れ込んであり全部出せば部屋中が荷で埋まる。これを今度は持ち帰るものと置いていくものに分けるわけだが。大半はこちらへ置いていくことになるだろう。長旅は身軽な方がよいし、玖柳と惟哉、それから藤重の三人では持てる量に限りがある。ならば、
「全部置いていってもよいかもしれんな」
玖柳は呟く。置いていく荷は崎宮で処分を願わねばならぬ。選りすぐった残りとなれば崎宮も捨て置くより他ないが、全てをよきようにしてほしいと告げれば、屋敷の者が使うことはないだろうが、使用人に与えられ有効に活用してくれるだろう。そちらの方が大変な思いをして持ち帰るより有意義ではあるまいか。と考えた。
「玖柳がそういうなら、そうしてもよいとは思うが」
せっかく出したのに、それなら早くそう言え、と惟哉は少しばかり不満げに返してきたが提案そのものは受け入れた様子で、今度は押し入れに片付ける動き始める。すると、
「……この風呂敷は何が入っている」
紫の風呂敷に包まれた随分と嵩のある荷を持ち上げた。大きさに反して軽い。丁寧に包まれているから大事な物なのだろうと考えていた惟哉は興味深々である。
「それは、」
玖柳は答えようとして言葉を詰まらせる。
中には"千羽鶴"が入っている。折り鶴そのものは何も問題はない――しかし、それを玖柳に贈った人物が問題であった。
崎宮の末娘・うい。
早瀬に戻ると聞かされてから玖柳の脳内に過ってはいた。ただ、あまりに唐突に決まったことに驚いていたし、また弟のことを動揺していたことも手伝い、考える余裕がなかった。否、考えれば途端に苦しくなるとわかっていたので無意識に避けていたと言うべきか。だが、いつまでも知らぬふりは出来ない。
――うい姫様。
自分がここを発てば、かの姫はまた一人になってしまう。いつかは来る別れではあったが、それがこれほど早く訪れるとは予想外だった。せめてういがもう少し大人であったなら話もしやすいが。いかがしたものか。考え始めると、心にあった喜びはいっぺんに色褪せる。気重さが玖柳に圧し掛かる。そこへ、まるで玖柳が思い出すのを待ちかねていたかのように、
「くりゅうどの。遊びにまいりました。」
楽しげで溌剌とした声が玄関口から聞こえた。
2012/3/23
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